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zoom RSS 『福沢諭吉の哲学』

<<   作成日時 : 2017/05/06 08:46   >>

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全然知らなかったが、丸山眞男(1914−96)の書いた論文集7編を集めたものだという。

福沢諭吉が、最高の社会形態は無政府だとしたことは明らかであるが、それにもかかわらず、彼の書物は全く無傷で出版禁止にもなっていない。実に世渡りのうまい人であったことがうかがい知れる。傍から見れば実につかみどころがなかった人物だったのかもしれないが、そこが大杉栄などとは偉い違いだ。

そのわけが知りたかったのだが、個人の著作集となれば相当の変更のあるのは致し方ない。果たして丸山眞男とはいかなる人物だかというと、ウィキではどうもあまり評判がよくないらしい。西洋かぶれ気味で、日本古来の古典神髄を知らなかったそうだ。福沢諭吉をまねて、古典全般を「故習の惑溺」とみなしていたのかもしれない。

しかしまた、批判のほうが圧倒的に多そうなことは、案外彼の見方が真実に近かったのではないかということをうかがわせることでもある。世の中さかさまが真理に近いものだ。そのうえ、個人の思考過程は各人異なっているのが当然なのであって、批判が多いということはそれだけオリジナル性が高いということにも往々にしてつながる。


読んでみると、最初から原文の引用が多くてやたら読みにくいうえに、丸山氏の文章も生硬がちで漢字がやたらと多いので、まず終わりの解説を先に読んでみた。すると、福沢諭吉は「人生は遊戯である」という命題を抱いていた(『人間万事小児の戯』(M25))ということが強調されていた。遊戯こそは、人間の知性の最も洗練された方法的行為なのだそうだ。「人生本来戯と知りながら、此一場の戯れを戯とせずして恰も真面目に勤め」るのが元来蛆虫として生まれた人の生きる道である。浄土真宗の家に育ち、蓮如の「御文章」を文体の模範の人地と親しんでいた諭吉にとって、一心に念仏して救いにあずかる安心を得るには念仏を唱えるように日々を勤行することに通じたのだろう。大昔、古代ギリシャのヘラクレイトス(前6世紀頃)も「人生は遊戯」という断片を残している。正確には「人生は小児の遊戯だ、将棋遊びだ。主権は小児の手中にある」というものらしいが、どうせ誰かが書き換えたものかもしれない。駒を動かして遊ぶ将棋が古代ギリシャにあったらしいというのが面白い。将棋そのものは紀元3世紀ころインドで考案されたといわれるが、どうも時代的に合わない。古代ギリシャのはハサミ将棋のようなゲームで、これはエジプト起源ともされるようだ。

福沢諭吉(1834−1901)の実学もプラグマティズムなどといわれることがあるが、アメリカのプラグマティズムとは成立年代から考えてみても一切関係はない。ただ西洋哲学で福沢思想にもっとも似通ったものを探せばプラグマティズムということになるらしい。

諭吉に漢学の素養があったのは、『福翁自伝』に詳しく、貧窮の下級武士の家に生まれ、父を失い幼時より内職仕事に追われ、14,5歳にしてようやく漢学塾に学んだ。経書、論語、孟子、詩経、書経、蒙求、世説、佐伝、戦国策、老子、荘子、独学でも史記、全後漢書、晋書、五代史、元明史略に親しみ、ことに佐伝は15巻すべて11回も読み直し、面白いところは暗記していたという。自分でそういうことを言っているわけだが、21歳で長崎で蘭学を学ぶまでの間だから、いくら才覚豊であったとしてもかなりの期間漢学漬けであったようだ。行ったるところで「儒学の惑溺を打ち払うこと」を強調しているのは、まさに漢学こそ「獅子身中の虫」であったからなのだろう。それで対朝鮮、対支那においては一貫して強硬的であったそうだ。福沢諭吉も、儒教に関しては相当に感情的であって、西欧のスピノザタイプであったらしい。啓蒙思想家ということでは、日本のヴォルテールなどと評されることもあるが、どうもデカルトに似て数理学を重視した面もある。これは中国共産党の数理を重視する実学主義と似ているといえば似ている。中国も福沢同様支那の儒学を憎悪の対象としてみていたことには疑いはない。

しかしながら、福沢諭吉が啓蒙思想家で単純な実学主義であったかというとそうでもなさそうだ。それは彼の信念に「人生は遊戯である」という命題が強く根付いていたということからもうかがえる。そもそも「実学」という言葉を盛んに提唱したのは、まさに支那の儒教思想(宋学)であった。空虚な観念分析を忌み、実践生活の場に学問の意義を見出そうとするのは、日本人の伝統的態度だとしてもよいそうである。そうだとすると諭吉に表れた実学主義は、自説を一般に普及させるための一種の細工だったとも受け取ることが出来る。諭吉の主張を過去の日本古来の儒学者たちと比較しても、実学主義という観点からは何の変りもないと丸山氏は語る。

翻って西欧のほうを見ても、教育に実学を取り入れることは避けられた。何か特別の意味があるのかもしれない。実学だけでは人間形成ができないという意味でもあるのだろうか。世の中の多くの人間は経済的にも成功できないので、先回りして無駄な要素を学問に取り込んでおいた方がいいとでもいうのか。ただ考えるだけで幸福を生むのが学問だということにしたのだろうか。ここで西欧の実学論というのは、例えば空想的社会主義者のロバート・オウエンらの教育方針のことだ。要するに各国政府は実学を教育としてふさわしくないものと判断した。福沢諭吉も実学が及ぼす不都合には気が付いていただろう。学問というのはヒトのためにあるもので、社会の発展のためにあるのではない。まさに「人はパンのみに生くるにあらずだ」。東洋社会には「人は思考だけで生きていくことが出来る」という概念がないのが欠点だ。自伝の一説に何やら意味深な文句があるそうだ。「東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と」である。独立とは何を指すのか。西欧流の独立とは、国家からの独立をもさすではないか。むしろ国家からの独立が本命だ。それが福沢諭吉の文書に隠された意図ではないか。だから「無政府が最高だ」といったのだと思う。

『学問のすすめ」の中で、あらゆる悪の中で最も悪いものと規定した悪がある。それは怨望というものだという。丸山氏はルサンチマンと同義だとしているが、望とあるからなんとなく欲望の一種だと思う。独立自尊の反対概念であるらしい。国家に追随することも怨望を抱く原因になるというなぞかけだろう。模倣は最大の悪だということだ。丸山氏は「怨望とはあまり聞きなれない言葉だ」としているが、「えんぼう」を変換すると、「遠望、「遠望」と並んで「怨望」という文字に変換される。今時の流行り言葉なのだろうか。

西洋が主観と客観を分けることに成功したのはようやくルネッサンスが始まってからだというのが丸山氏の主張だ。東洋には主観しかなかったという。東洋というと、仏教の流れがあるかといえばそれは外来のものだ。仏教にはもともと客観主義の流れ、ほとんど唯物思想的なものもあるようだから、仏教だけ見ると氏の考えは和合していないような印象を受ける。それがデカルトやニュートンの時代を超えて、産業革命期になると、客観主義が優位になってきた。それでも阿片戦争を過ぎて帝国主義時代に入っても、西欧には主観の流れもなお残っていたのである。物理学の動きにしても、神秘思想による開拓に多くは拠っているのだ。現代科学の低迷は神秘的思想を完全に退けた戦後の還元学的唯物思想のためだといえばそのことを否定する論拠はないであろう。西洋思想でも100年前は今のような完全合理主義などとは縁遠いものだったはずである。もっとも、例外というものは必ずあるもので、丸山氏の上げているのは「聖人は天地とその徳を合せ日月とその明を合せ、四時とその序を合わす」という朱子学の太極図説である。諭吉個人にも「文明男子の目的は銭にあり」というのがあるから、大いに誤解の種は存在している。

東洋のごとく、日常の経験をいくら累積しても法則は生まれない。支那や日本で、鉄からは物を作り、木石を持って家を建てる等々、の技術は「ただ偶然の僥倖に得たる所を其のままに利用し、夢中の錬磨を重ねて夢中に改良したるもの」に過ぎず、これはいわばITの経験蓄積の記憶力では発明は行われずというのと似たようなものだ。天下に誇る日本刀もただ職人の偶然の手技によるものだったに過ぎない。偶然の技術でも、法則の技術に勝っていた。だから産業革命後しばらく経過するまでは西欧は東洋に太刀打ちできなかった。中華帝国が野蛮の権化と呼びならわしているような未開のモンゴルの技術でさえ、西欧人にとっては長い間最先端を行くものであった。モンゴルの鍛錬度の高い鏃は、西欧騎兵たちの最高度の甲冑をやすやすと貫通した。鉄器製造における技術力には圧倒的な力の差があった。

諭吉にとっては、価値は先験的絶対的に固定されたものではない。あくまでも相対的なものである。まあ、当たり前のことだと思うが、あたまの悪い人がバカのまま暮らしていれば世の中の善悪は不変だ。反対に成長していれば、昨日の金持ちは今日の貧乏人である。価値判断の相対性は、人間精神の主体的能動性の高まりとともに自在に変化する。要するに周囲の状況にのみ適応するものは総じて愚か者だ。したがって国家の命といえども無条件にこれに従うものは軽蔑されてしかるべきである。こういうことが福沢諭吉の本意だろう。これを福沢は「惑溺」と呼んだ。あるいは人間精神の懶惰である。プラトンをはじめとした多くの先人が大衆を死んだも同然と卑しんだ元凶のものだ。

丸山氏の福沢論はきわめて個性的だというが、それは福沢こそがより個性的であったからだと思う。惑溺の文化と主体独立の文化といった二極のうち、文明開化時代の日本が属していたのは前者であった。前者に限りなく近い社会で大衆を啓蒙するに必要なことといえばせいぜい銭儲けして日本国を潤す程度のことでしかない。しかし福沢の理想としていた社会は日々流転して目まぐるしく転変する伝統や慣習といったものがない社会であった。ここにおいて丸田氏の見解も、福沢の理想としていたのはアウトローな無政府状態であったということが感じられる。それがいわゆるアナーキストの夢と大きく異なる点は、自由を味わうためには権力による自由の拘束が必要だというところであった。「自由は不自由の際に生ず」というのが福沢の第二命題だそうだ。社会的交通の発展とともに、人の精神は無政府状態へと限りなく向かうが、それでも権力が消え去るわけではない。昔古代ギリシャのポリュビオスは政体循環論というのを主張したらしい(善悪の思い込みがあったようだが)。福沢にも同様の思いがあり、民主性よりも独裁制が好ましい背景があるとした。それで始めは代議制を推し進めたが、後には猛反対したそうだ。

同時に丸山氏の見解が人の批判を浴びがちだというのも納得できる。思考力に乏しいものはむしろ惑溺の社会を欲するものだ。バートランド・ラッセルの『自分で考えるくらいなら、戦争で死んだほうがましだ』というのが大衆の思いだというのを思い出す。案外そうした人間もいるのだ。最大の悪徳だという怨望につながるものなのだろう。怨望的で魂のない人間にとっては、自由は全くの敵だ。彼らにしてみればこれほどの悪徳はない。実際没個性の伝統のある閉鎖社会においては、自由とは気まま勝手なふるまいを行う我儘な者として、むしろ極端な悪であった。集団で戦闘行為を行うものが善とされた。兵士として戦争に参加できることは長い人類の歴史の中で市民の権利であるとみなされていた場合がほとんどだった。年金を受け取る権利などと同じようなものだったのである。

かなり驚いたのは、「本来政府の性は善ならずして注意すべきは只その悪さ加減の如何にある」とか「政府のことは都(すべ)て消極の妨害を専一として積極の興利に在らず」とし、あちこちで盛んに政府の人権への妨害を主張しているのにもかかわらず、そういう人がなぜ一万円札の表紙を飾っているのかということである。福沢諭吉の思想にはかの『貧困の哲学』の筆者カール・マルクスや、『哲学の貧困』を書いたプルーストにも通ずるところがあったようである。それなのになぜかと思う。大杉栄の運命と比較するとえらい違いである。現政権はともかくとして、国粋主義時代の検閲の厳しかったであろう時代になぜ無罪放免だったのだろうか。どうやら思っていた以上にアナーキスト寄りの人物だったようだ。似て非なのは、政府の使命は政権を強大にし社会の安寧を守ることとしたことである(「強大」は現代的意味とは異なる。大きい政府という意味合いはないようだ。大人が大きいわけではないようなものだろう)。それは『学問のはじめ』の冒頭を見てもわかる。「世の中は平等ではなく、バカの集まり」なので、権力の集中は絶対に入用だ。もっとも両者の異なるのは、国際問題においてだろうと思う。海外との争いが問題となると、日本国の独立不羈が不可欠となるのが福沢諭吉の哲学だといえそうだ。何かと単に勇ましくなる。これは両者の生きた時代背景を考えれば案外と簡単に理解できそうだ。帝国主義の植民活動の勢いは想像以上にすさまじいものだったらしい。

ローマのヴィトリヴィウス(*)は「人間の哲学はせいぜい35歳までにあらかた出来上がるもの」といったそうだが、福沢諭吉が明治維新を迎えたのもちょうど35歳だった。ちょうど人生観、世界観の大枠が出来上がったころで時期的にも都合の良いころだったが、それでも明治の初めのころは「嘘を言う吉、法螺を福沢」などといわれたそうだ。晩年の明治26年になると「日本は教育においては欧米に追い付いたどころか、かえって優れた部分も散見されるようになってきた。しかし実業のほうはまだまだだ」などという感慨を抱いていた。日本の教育が最高潮になったとされるのは大正前期のころとされている。現代の閉鎖的な学問の場と比較すると、恐ろしく自由な雰囲気であって、まさに大正デモクラシー時代の夜明けといった世相がうかがえる。その後いつからか今では全くその地位が逆転した。
(*)建築家として知られるが、別段建築家ではなかったらしい。おそらく古代ローマの体制も福沢諭吉にしてみれば多分に東洋的惑溺の社会で、ウィトリウィウスの理論も職人の偶然の名人芸ということになるだろう。人体とのアナロジーで建築を考えているようだからである。

福沢の論説に多用されるのが、先に挙げた「惑溺」という言葉だ。社会通念の刷り込みに似たもので、惑星が太陽の引力から離れられないようなものである。日露戦争と太平洋戦争の違いを考えてみてもわかる。おわりよければすべてよしでたちまちつうねんというののができあがる。日露の戦いと比べれば、太平洋戦争のほうははるかに用意周到であった。だからこそ太平洋戦争においては、日露の時のように連日の連敗をまぬかれたのである。歴史書を少しでも紐解けばそのことは明らかであるのに、案外認めようとしないものが多い。これが惑溺の正体だ。はっきりとした史実の証言を見せつけられても、理性を欠くものの心には過去物語しかない。反対思考ができない。正反対の思考(および論説)が常にできるのが諭吉であった。丸山氏にとってもそれが理想だったと思う。

現代良く日常的に話題になるものが放射線は体にいいのか悪いのかということや、長寿のためには肉食がよいのか菜食がよいのかという問題がある。放射線や菜食が体に良いとしているグループに共通しているのは、それらによって体質の改善が可能だとしている点である。おそらく彼らの信念を考慮するならば、彼らはダーウィンの進化説よりも獲得形質の遺伝のほうをとるだろう。免疫力の強化は遺伝的体質をも変える。変えられないもの達は信念の結合の弱小な連中たちである。遺伝的体質を脱却できないもの達には肉が必要だというだけの話だ。意志による惑溺は社会的適応を呼ぶが、無意識の惑溺は肉食を呼ぶというわけだ。

そのほか最近報告されているものに「電磁波過敏症」なんていうのがある。疫学的な実験の結果、電磁波のある部屋だという恐怖感が症状を発生させていることが判明したらしい。テレビ電波、ラジオ電波で人が狂うかというとそういうことは報告されていない。一種の不定愁訴の類だとも考えられるが、何万人に1人の難病かもしれない。電磁波恐怖症の人も、意外と平気でオーロラを鑑賞したりしているものだ。



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