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zoom RSS 絶望と歓喜〈親鸞〉

<<   作成日時 : 2017/05/27 09:54   >>

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角川ソフィア文庫の「仏教の思想」10を読んでいる。前回述べた荘子の無為自然と浄土教の自然とは深いつながりがあったらしい。浄土三部経の一つ『大無量寿経』が漢訳された時期が三国から西晋末までの老荘思想全盛期に当たっていることと、中国の学者の書いた注釈が本文に紛れ込んだようなこともあるそうである。

梅原猛氏が最近1996年に序文を書いているが、その中で親鸞の悪人正機説というのはすでに法然が言い出したことで、そんなのは浄土真宗の本質ではない。本質は、生まれ変わりの説を前提とした二種回向にある。他力が真ん中にあって、自力が端っこにある世界だ。他力が真っ先に救われるのだ、などとあった。阿弥陀仏ということを考えずとも、この世には他人のほうが圧倒的に多い。自力では到底勝ち目がない。それだけで何か聞いてきたこととだいぶ違っている。生まれ変わりの説は、近代人が信じているデカルト流自我思想よりは科学的なのだそうである(*)。いや、デカルト=ニュートン像も後世に作られたまやかしもので、実は二人とも大の神秘主義者であったのは確からしいのだが。いやまたそんな歴史的な詮索事は些細な問題で、そんなことを言い出したなら、親鸞の信じていた聖徳太子など存在しなかったというのが今日の定説であるらしい。しかし、親鸞というのは日本仏教の開祖の中で、最も太子と縁の深い人で、太子のお告げで法然の門に入り、太子のお告げで肉食妻帯に踏み切った人である。今は日本史の教科書でも実在の人物として扱われている向きは少ないらしい。浄土宗自体、夢の世界の物語みたいなものだから、ちょうどいいのかもしれない。夢の世界のほうが現実味があるという意味での夢である。そうして阿弥陀崇拝も、聖徳太子の末裔の一族総虐殺の怨念の霊を鎮魂する目的で始められたという。
(*)「生まれ変わり」などというと、すぐ「トンデモ」扱いして今流行の金拾いを企てようとするグループが出現する。それを真に受ける教育熱心な大衆然とした常識人もかなり多い。そうした常識の平均人などというものは、いわば差別人の極みともいえるもので、性同一性の障害を持つものは非人間だとする昔人よりも盲目であるといえるものだ。まして人の見解などそれぞれに自由であって当然なのだ。説明の出来ないことに関しては、どちらの極端であっても「どうでもいい」というのが本当だ。毎度思い出されるのがニュートンの万有引力説で、なぜこのようなオカルト理論がいまだに正当化されているのだろうかということである。遠隔力というのはテレパシーと同じ類の力だ。到底科学物理の扱うところではない。それにもかかわらず、教育はそれを誤った理論だとは認めない。それどころか、電磁力は光子によって伝播されるということが明らかになってから何世代が経過した今になってさえも、クーロンの力は遠隔力だという教えが世を跋扈しているようである。

浄土教の始祖は中国の曇鸞和尚という人である。そのうち口称念仏を重視したのが善導禅師である。念仏の代わりに、ただ「南無阿弥陀仏」と口で唱えるだけのことをむつかしい念仏の代用としてもよいとした。それがいつしか念仏というと「南無阿弥陀仏」のように思われていくようになったらしい。親鸞の念仏のすすめに、『観無量寿経』を一行も引用しないのは、仏の姿を創造する念仏を嫌ったためだそうだが、『大無量寿経』の念仏が口称念仏だけを指しているかというと、これは大いに疑わしいのだそうだ。理屈とか論理という面でとらえると、親鸞の語ることはだいぶおかしい。おかしいから仏教の中で一番人気があるといえる。

親鸞は、1173年から1262年まで生きた。ちょうど鎌倉幕府の成立の年が数えの二十歳になる。従来通り鎌倉幕府成立の年を1192年と見た場合だ。義経が1159年生まれだから、二回り年下ということになる。いささか妙に思ったのは、1206年に法然の子弟12人が死罪や流罪に処せられたことを、親鸞自身っが「忿を成し、怨を結ぶ」などと『教行信証』の末尾に述べているというものである。1181年に得度して以来、25年間もの間僧侶としての修行を欠かさず続けてきたものが、怨み憎しみなどといったものを胸中に抱くものなのだろうか。そうして気持ちが生じるなどということは、釈迦の教えに背く重大な犯行なのではあるまいかという感じがした。

筆者の一人の増谷文雄氏によると、親鸞の生涯には4つの折り目があって、その1は、叡山を下って東山吉水の法然を訪れた時。その2は越後に流され「愚禿親鸞」と名乗った時。その3は関東で念仏勧化の営みを始めたころ。その4は、関東における20年の今日毛の営みを終えて、京都に帰り隠棲するとき。それぞれ、29歳、35歳、42歳、63歳ころとしている。35歳のころにはいまだ形ばかりの事しか知らなかったのかもしれない。それにしても、たとえ形ばかりであったに知り、厳しい修業を25年間も続けてきたものがそうやすやすと心を動かすとも思えない。

それはともかくとして、親鸞の執筆の頂点は83歳から86歳のころに当たるという。せっかく悠々隠居するつもりで京都に舞い戻ってきたのに、少しも休まる日々がなかったようである。今と違って、ビタミンCのサプリメントなどもなかったから、齢を重ねれば徐々に目もかすんでくる。85歳のころには自分でも、「目もみえず候、なにごともみなわすれて候」などといっていたようだ。それでもかなりの年まで白内障もなかったようなのは念力のおかげか。もちろん阿弥陀仏の念力であって、親鸞自身のものではなかっただろう。だから自力よりも他力が勝っている。仮に阿弥陀仏(世自在王仏に仕えて修行していた時の法蔵菩薩)の本願が森羅万象に内蔵されている場合には、自力だけの部分はわずかに点火プラグの役を演じるに過ぎない。魂に内蔵されている場合にも同様である。自力聖道は比較的容易にできるが、その門に思いを断って、他力浄土の門を開かなければならないというのが親鸞の教えであるようである。自力にこだわって4半世紀も精進を続けてきたのは安楽に過ぎたという後悔に似た気持ちだと思う。親鸞の生きた時代は、ちょうど1200年生まれの道元の生涯を挟んでいるが、道元の早熟さと比べると、親鸞の晩成ぶりがやけに際立って浮き彫りにされる。

それから特筆すべきは、親鸞にとって浄土真宗とは、常に法然の教義の事であったということである。ではいつから真宗とはいえば親鸞が開祖であるようになったのであろうか。どうやら歴史的にいえば後世に作られた神話のようなものが混入していたのかもしれない。親鸞自身の思いは真宗の開祖はもちろん法然だという。何か変ではないか。今ははっきり断定して親鸞が開祖だという。これもまた教育上にまつわる偽りの類だったのだろうか。ここでも歴史のランダムな坩堝に呑まれた政権上の権力争いが垣間見られるのか。信長の比叡山焼き討ちもさして残虐非道な行いでもなかったかという気もする。元来宗派が分裂するなどということ自体、邪悪な背景が裏に潜んでいるのかもしれない。明鏡止水なものであれば変わらないのが自然だ。淀みやさざ波が起きるのは世間の濁りを示しているのだろう。

親鸞が庶民に絶大な人気のあるのは、彼の著作物の多くが無知鈍根のために書かれたことからもわかる。「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、・・・」などと書いている。しかも、これを無知鈍根の人に聞かせて人気を博すのだから、現在の無知鈍根の輩のひねくれた態度からは想像しがたいことだ。親鸞が彼らのために和讃を多くものしたのは有名だが、そのほとんどが83歳以降に書かれたものであるのは明らかであるという。大体老眼で手元がよく見えなかったであろうから、弟子が筆記したのかよくわからないが、そういえば晩年の著作はほとんどかなばかりである。漢字の読めない庶民のためとも考えられるが、自分自身でも漢字のような細かいものは書けなかったのかもしれない。

親鸞が79歳時の書簡が残っているそうだが、ここにはまだ細かな漢字も多い。この時代の高僧はおいそれと老眼などにはならなかったのかもしれない。日蓮は61歳までしか生きられなかったが、それでも晩年まで親鸞同様にせっせと手紙をしたためている。現代人は長寿であるだけで、すでに40代半ばを過ぎれば大概老眼が進む。多分70歳を過ぎて眼鏡なしで文字が書ける人などあまりいないのではないか。そう思うと、80を過ぎて書簡の往復が容易に可能であったことにはいささかびっくりする。


増谷氏によれば、親鸞の思想を理解するのには、彼の多用する「煩悩」という言葉が鍵なのだという。『歎異抄』の9段の親鸞と唯円の対話において、「信心歓喜」の問題を扱っている一説だ。念仏を唱えていても、どうも踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)といった気持ちが生じないのはいったいどうしてかと問う唯円の問いに対し、「実は自分もそうだ」と親鸞が言っているところがあるそうである。喜ぶべき心を妨げて喜べないというのは煩悩の所為であるが、そのことが自力に他力が勝るゆえんの証でもある。かつ毒胚を仰いだソクラテスが幸福者の島に旅立つというのに、弟子たちが皆別れを惜しんで泣いていたという話を思い出す。急いで浄土に生きたいという気持ちも起こらないのは、この世に未練があるのだろう。それが煩悩だというのである。

このように考えてくると、「悪人正機説」に言う、「善人でさえ救われるのだから、まして悪人は当然だ」というのはごく常識的な人間原理に基づいたものだということがわかる。人間性という矛盾に満ちたものを説明することは、例えば禅宗などという従来の宗教では無理だ。なぜならそれらはいずれも自力だからだ。自力によってはほとんどのものは煩悩によってこの世への執着心が生まれ、解脱を妨げる。もっと当たり前の開かれた宗教は違う。善人とは自力を頼むだけで、他力を頼む心が欠けている。だからおいそれとは往生できないのである。当たり前すぎるから「悪人正機説」は親鸞のエッセンスなどではない。そんな話が流行した時代はまさにポピュリズムの蔓延であった。第一次、第二次大戦の時代だ。今もポピュリズムの再来といわれている。国家というものが拡大を続ける限り、すなわち拡大再生産の経済が続く限り、軍事力の脅威は日増しに強まるばかりである。経済活動を縮小することが肝要である。個人にできることは国家に税金を払わないこと、すなわち必要以上に働かないことだ。税金を過剰に納めれば、必然的により強力な軍事力の保持となって現れる。だからラッセルにしろラファルグにしろ、一日4時間も働けば十分だとしたのである。こうしたところから推すと、アナーキストたちが貧乏だというのがわかるような気がする。ところで梅原氏は最初のほうで、俳優の三国連太郎が歎異抄の悪人正機説を親鸞思想の中心としてたたえたなどと書いているが、三国連太郎自身が最もひかれた言葉は『教行信証』の冒頭の言葉「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」だといっているそうである。梅原氏も思い込みの激しいきらいがあるのかもしれない。

例えばイエスが究極には他力道であったことを考えてみてもよい。自力の教義も、他力こそが本願だということを無意識にでも気づいたものが成仏できるのかと思う。親鸞にとって、だから念仏行はさほど気力を必要とするものではなかったらしく、信念に重きを置いている。これは自力である。念仏を唱えるという信念さえあれば、後は自然にできるのだろう。法然のほうは念仏行に重点を置いたらしい。協議が同じでも、教え方は異なる。人の一章でも、依存→独立→相互依存という流れがある。独立心ばかりが強いと、プライドが最大の煩悩となる。世間で勧めているハウツーものは堕落のすすめみたいなものである。

他力本願という旨から見ると、通常の学侶が好む自力の反対が真実だということがにわかに見えてくる。それは広い世界からものを見れば、今まで自分の側から管見していた世界があらかた自我にとらわれた虚仮に過ぎなかったということが明らかとなるからである。それで反対側を強調して見ることによって、内心と打ち消しあって、無の境地に達することが可能となるのかもしれない。それともまた、自力ということを、大自然の力というように解することもできる。自然の力をこそ自力というのであって、自分の力などではないと受け取るのである。


これは梅原氏の語っていることだが、親鸞の漢文というのはところどころおかしなところがあるのだそうだ。独創的なところも、読み方が間違っているのではないかと思うところがあるのではないか、法然のほうは非常に知恵のある文章の書き方をしているが、それと比べるとちょっと鈍重なところがあったのではないかなどとしている。同時代に活躍した宗祖で比較すると、法然は道元と同じくらい頭の切れる人であって、日蓮もかなりの切れ者だが、親鸞の方はお世辞にも切れ者のうちに入らなかったのではなかろうか。法然が望んでいたような愚鈍な人物だったのではなかろうかなどと示唆している。法然自身は、「生まれ変わったら、ぜひ一文不知の愚鈍な身になって念仏をいただきたい」などと漏らしていたそうである。だから親鸞を常々羨望の眼で見ていたに違いない。法然が信念に重きを持ちえなかったのも、頭の回転の速さがそれを拒んでいたからかもしれない。もう少し愚鈍であったなら信念を選んだかもしれない。

親鸞の妻の恵信尼(1182−1268)が見た夢というのが伝わっていて、それによると、法然は勢至菩薩の生まれ変わりであるが、親鸞は観音菩薩の生まれ変わりだという。それぞれ、知恵と情感の代表で、そういう夢を見るということ自体、現実もそれに呼応していただろうと思う。知恵の人法然が念仏を重んじ、情の人親鸞が本願に重きを置いたというのは、ちょっと考えると逆のようにも思える。しかし、このことによって浄土教は中国浄土教以来法然まで変わらぬ死の浄土教から、親鸞に至って初めて生の浄土教へと脱皮したそうである。ここが価値の転倒で、こういうことをやり遂げた仏教僧は親鸞しかいなかったようであるが、さてはて親鸞の重視した『大無量寿経』はたいへんつまらないお経だそうだ。

梅原氏によれば、現在蓮如以来続いている真宗の流れは「死の浄土教」であって、明治30年以降になってようやく生き返ってきた親鸞の意思を反映した「生の浄土教」ではないという。これはアドラーのところでも述べたことだが、彼のおべっか思想が流行したというのも時代が変わったからだ。現在は無用の教育がはびこって、自意識を持つにふさわしくない普通の人間にまで教育が普及している。それ故彼らには絶望や悩みがあふれるのだ。まさしくかつて老子が「学を絶たば憂い無からん」と説いた通りのことが起こっている。

仏教はもともと生の思想として日本に伝来してきたものだと梅原氏はいう。それ以前の日本古来の常世の思想端の思想だそうだ。それをかわるがわる繰り返して現在に至ったのだという。今の新興宗教はほとんどが日蓮系だが、それは日蓮宗が生の思想だからだそうだ。

浄土教の中で思想家と呼べる人は曇鸞しかいないというのは梅原、増谷両氏の一致した見解であるようだ。曇鸞(476−542)とは、中国北魏の僧で、浄土教の祖だ。シリーズ8巻の「不安と欣求」で扱っているらしい。人は自らが不足しているものを求めるというが、法然のような才覚発地の人は詩才あふれる善導に惹かれ、親鸞のほうは思想家曇鸞に惹かれたようだ。お坊さんでもこの例に漏れないらしい。親鸞の「鸞」の字は曇鸞にあやかったものだという。曇鸞が曇巒と自分を名乗っている場合には、親鸞も親巒と名乗っているそうだ。「親」のほうが天親(世親)にあやかったという根拠はあいまいだという。

親鸞聖人の妻帯肉食は破戒僧の行為だなどといわれるが、観点を変えてみれば、当時の民衆の普通の生活をすることが妻帯肉食だったとも考えられる。とすると、昔の日本人一般の食事は菜食だったなどとする向きもあるが、案外そうでもなかったのかもしれない。少なくとも魚は当時から豊富であっただろうが、肉食といえば四つ足の獣の肉は食べないとするのが一般的だ。だから2本足の鳥は食べていただろう。案外イノシシやシカも豊富だったのかもしれないが、どうだかわからない。しかし、仏教が普及する前の日本では肉食も当たり前だったという。仏教など庶民階級にまで広まったのはいつのころだろうというと、平安初期では朝廷の権力が世を覆っていたとも思えない。案外自由に肉食を行っていたのではなかろうか。

そうして、庶民の生活を模倣することなら、法然などより全く自由束縛なく親鸞には可能であっただろう。身の回りに危害が及ぶ恐れもなかった。あまり出来のいい僧侶とは見られていなかっただろうから、ほとんど無視されていただろう。ちょうど前回、「無用なものほど成長する」という趣旨を荘子から得たところだった。まさに天まで届く無用の木という感じの人だったと思うが、あまり運のよい人ではなかったようである。運がよかったといえるのは、越後に流されたときに、越後に土地を持っていた受領クラスの家柄の娘恵信尼に見初められたことである。親鸞の将来を見越してのことだったらしい。梅原氏の話では晩年彼女は夫が法然よりも偉大な仏であることを確信していたという。

さて、親鸞の主著『教行信証』は9割が引用文だという。それで親鸞自身の文章というのはほとんど出てこないらしい。出てきたとしてもはっきりしたことは言っていないので面白くないそうだ。それは『教行信証』の読者が他人ではなく自分自身であるからだという。親鸞自身が読むために書いたものなのだそうだ。


一応読了して思ったのは、念仏の不思議というのも、かつてずっと昔にいぶかしんだ聖書ヨハネ黙示録の「666」の暗号みたいなものの神秘性に過ぎないのではなかろうかという懸念が色濃くなってきた。それにしろ、科学文明の妄信の程度と似たり寄ったりなのだが。

それから最近読んで知ったことだが、ギリシャ正教の聖シメオンの苦行である。もちろん周りの人が判断して苦行といっているだけで、本人がどう思っているのかはわからない。精神にちょっとした異常があれば、楽行と感じているのだろうが、そういうことはなかったと思う。しかし見た目はいかにも正常で普通の人だが、苦行するときだけ快楽だというタイプの人がいるのかもしれない。苦行した後はかなりそう快感を感じることは確かだと思う。そう考えると、苦行僧も案外来世のことを願っているのではなくして、今生の愉悦を味わうために苦行しているのだとも考えられる。大体苦行などというものは苦行だと思うから苦行なのであって、ヒマラヤ登山なども苦行と思ったら案外僧侶の苦行と変わらなかったりするのではないか。命がけの難行苦行のようにしか見えないものでも、楽しい趣味だと思えば楽しいものだというわけである。



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