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zoom RSS 『高次元科学』を読んだ

<<   作成日時 : 2017/06/17 08:48   >>

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「人間の数だけ大宇宙はある」と仮定すれば大して不思議でもなんでもない説だと思うが、なぜそういうことに触れられていないのかが考えさせられるところだ。「わが宇宙と汝の宇宙は別物」としては、希少価値がなくなるからだろうか。宇宙人がいようといまいと、本来別宇宙なのだからどちらもあって当然なはずである。説教などというものは、イエスのものにしろ仏陀のものにしろ、あるいはソクラテスや孔子のものにしろ、共同幻想の上に成り立っているものだ。共同幻想の元ではたいてい宇宙人など存在しないであろう。

前回ふと関英夫と腕振り運動のことを思い出した。彼についてはいろいろといわれてはいるが、世俗からの脱出速度の大きかった人だ。成長に伴って観念も成長するということだ。誰もが信じ込まされているものの中には真実はない。大体40か50くらいまでは致し方ないが、それを過ぎても社会に迎合しようなどというのは到底賢者の進むべき道ではない。通念は世界を記述することはできない。人々の見る世界観が如何に異なっているか、過去の正確な記述でさえもそれぞれに異なっているということは、世界が複数あるということだ。ショーペンハウエルの『幸福論』にも、適当に齢を重ねたら孤独の道を進み、自己を研鑽すべしとある。

関英夫氏がサイ科学を始めたきっかけは、ハワイ大学の図書館で、エジソンが霊と交信する機械を発明しようとした話を知ってかららしい。脳波計の発明も、テレパシーの交信がきっかけだった。案外そう遠くない時代の科学はまだ未知のものへの素直な探求心にあふれていたのだ。

素朴独我論というものがある。もう一世紀も前にニールスボーアの主張した「光の収縮」ということを、目に映るすべての物質に適応したらそういう見解が生まれてくるかもしれない。もっとも、物は存在し、光波のみが収縮するのであるから、従来通りの見解も同様に可能だ。世界は見方によって劇的に姿を変える。ただ考え方を変えるだけで外界が変化するだろうということは大変興味のあることである。個人個人の世界が他人の世界と接点を持つ部分はごく限られたものだ。時間を今の瞬間としてみれば共通するその接点部分というのはほとんどゼロに等しい。そうしたゼロに収束する幻影を恰も確固とした実在であるかのように扱っているのが社会通念というやつだ。いまだ未熟な概念だ。だから高名な科学者というものは、ニュートンでもファラデーやマクスウェルにアインシュタインにしろ、早々に見えない世界の研究にいそしんだとある。だから将来見えない世界のことが明らかになった際には、彼らはなんと愚かだったろうかということが話題になるとしている。ここで大事なのは、見える世界の科学と、見えない世界の科学とには何ら相いれない要素はないということだろう。

平均の社会学習の場では大人の常識を持つということは単に平均人として人と同じような思想を持てということである。その後社会人として平平凡凡に生きているうちに、自分自身に気付くものは気付く。今まで押し付けられてきたものはすべて他人と和するために必要なものだったのだ。科学の概念でさえもそうしたものであることに気付くのもおおむね時間の問題だ。社会人向けの教育では「目的をもって生きよ」などと教えられるが、そのうちそんなのは大ウソだったということがはっきりしてくる。人生に目的などありはしない、ただ死んでいないものが生き延びているだけのことである。世間では「槁木死灰」の生きざまは如何にも悪徳であるような言い回しを行っているが、無欲恬淡の境地としては平均人をはるかに凌駕する。儒教では同郷との対抗上からか中途半端な悟りのように言われているが、原典の荘子本来の意味は最高の悟りの境地であって非常な美徳といえるものだった。ただ社会通念としては、活力のない静寂は好ましくないという理由だけで排斥される。反対に誤っていることがはっきりしていても文明の拡大に寄与するところが大きければ、ニュートンの万有引力説のように永遠に生き残ることが出来る。

そうして、この本こそ、「人生に目的意識を持って生きてはならない」というたぐいの本なのである。案外こうした書物のほうが滅多にない正直な著作であったりする。しかし、やはりこの手の本は例のスピリッチュアル系に映るのか、PC画面に映るおすすめ本に『宇宙人はもう来ている』などというのが出てきた。中央アート出版社というところから出ているが、秀和システムズのシリーズと比べると薄い割に値がかさむ。1993年に書かれたものだが、内容も現実離れしていておよそ実践的ではなさそうだ。プレアデス星人(*)からのメッセージなどということにも触れられていて、何の話だかまるで分らない。情報によると、人類の滅亡を自然災害で浄化する指標はやめにして、宇宙精神はがんやエイズなどで人類を粛清することでの浄化を選択したそうである。彼らには高次元の意識があるから、高次元の気を送って治療すれば容易に治癒できるなどとしている。がんやエイズは心がけで生じる。中性子には意識があり、歪みによってガンとなる。陽子の方には意思があり、歪みによってエイズとなるのだという。中性子は電子と陽子に分かれるのだから、この理屈だともっとエイズが増えてもよさそうなのだが、現実にはそうなっていない。しかし、「病気とは神がその人に生き方の間違いに気付いてほしくて与えるものだ」というところは私の考えと同じだ。まさに「病気になっておめでとう」といえるものなのであって、それに対する感謝の念を忘れてはならないと思う。特にガンについては、心の邪が一番の原因とする医者も多い。大体、心が清らかであれば肉食というのはしないだろう。肉食は動物の怨念を食べているようなものだと関博士もいう。野菜のほうは、人間という高等な動物の滋養になることを高次元への奉仕であるととらえているので、人間の方でも喜びを食べていることになるのだという。それで関氏は肉は食べないそうである。心の平安にとっては非常に邪魔なものなのだろう。
(*)プレアデスのほかによく耳のするのがアークトゥルスであるが、これ以外の星の名はあまり聞かない。シリウスだとかデネブなんていうのはもっと出てきてもよさそうなのであるが、ないところを見ると、これも死後の世界の個人とおなじで、全の中の個ということかもしれない。土星人だとか火星金星人などというのも、まったく同一の場から引き出されたものだろうと思う。宇宙人については、『YOUは宇宙人に遭っています』とか何とかいう本が学究的でかなり詳しいらしい。まあ宇宙人などどう考えてみても私の宇宙にはいないのであるが、宇宙が人間の数だけあるのであればそこには人類以外の他の知的生命も数多存在しているだろう。世界は一つというばかげた妄想が「宇宙人はいるとかいないとかいうバカげた対立」を生んでいるのだろう。

「超越瞑想をやると誰でも宙に浮かぶ」というのも、先の光の収縮が現実を作ったのだと思えばよい。「月は我々が見ているからそこにある」といった話と同じで、特にうるさい話でもなさそうだ。しかし、念波が光速度を超えるというのはどうもはっきりしない。アメリカやソ連の潜水艦を使った実験では、テレパシーの伝達速度は極めて遅いことがわかって、到底使い物にならないレベルのものであったらしい。

動物学者のライアル・ワトソン(1939−2008)の「100匹目の猿」の話は大変興味深く、ユングのいう集合的無意識の存在をにおわせるが、趨勢からは無視されているだろう。海水で芋を洗って食べる習慣が猿の間に広まり、ある程度の数に達すると、遠く離れた別の島の猿が突然イモを洗い出すという話で、あたかも事実であるかのように伝えたのは日本の船井幸雄氏だというが、事実は全くの創作だったらしい。第一、洗っているというのは人間側から見た話で、塩味をつけているだけかもしれない。しかし、全面的に否定するような問題でもなさそうに思える。どうでもいいような問題だ。むしろ日本で問題視するようになる前は海外ではとりわけ問題にはなっていなかったらしい。血液型と性格の問題と似たようなものだ。とにかく人間は単細胞生物が進化してできたものであり、それは飛行機が偶然に出来上がるといった確率と比べたらはるかに容易なものであった。進化のプロセスを組み入れることによって、理解不能な偶然性もぐっと現実的になるのだ。

今までの研究で分かっているのは、気の周波数は10の14乗、波長は10の−12乗だという。年季が長いせいか単位も書いていないが、移動速度が毎秒100メートルというからメートルである。そして「気というのは意識を持ったエネルギー」というのが大方の科学者の見方らしい。時折気の治療中に患者に憑依した霊が出てきて、「まぶしい」というから気は案外光に似た種類のものだろうとしている。毎秒100メートルの速度というから、気の老化速度はこちらの世界並みかもしれない。意識体である分、速度が遅くなるのだろう。意識があるというのは、気には良い者と悪者があるということになる。悪い気を送られると反対に病気になる。

ユングは、「シンクロニシティという現象は、従来の科学では説明しきれない世界が実在することの証拠でもある」といっているそうだ。シンクロニシティ(*)というのは「はっきりした因果関係はないが、意味の深い偶然の一致」といった意味のユングの作った造語だ。科学ではシンクロニシティといったことはない。データに異常があるとされて抹消されてしまうからだ。そうして人為的に作られた都合の良いデータだけが残る。それが科学であり、それが科学的思考の基であるという長年の刷り込みを我々は受ける。不都合な偶然は完全に抹消される。
(*)「信じられない偶然」などという言い回しでも似たような意味合いだと思う。幸運にせよ不幸にせよ、そのたぐいのものを引き寄せる引力か親和力のようなものを持っているような人もかなり目につく。2,3年といった短期間に集中して高額宝くじを3回も4回も当てた人などというのは、確かにそのような雰囲気だ。偶然でも説明できるだろうが、サイコロの同じ目を続けて100回出したと同じ確率なのではないか。サイコロの場合はそんなことをしても無駄だとわかりきっているから件の引力は働かない。

気や光と比べると格段に速いのが「念波」なのだそうだ。4次元波、5次元、6次元波、7次元波と、周波数が上がるほど速くなる。最低ランクの4次元波でも、光速度の15桁倍だそうだ。10光年の旅行も千万分の1秒なのだという。これもプレアデス情報なのだろうか。念波天文学という手法で、高次元の通信手段を使うから、百抒(じょ)光年かなたの情報も、5次元の念波で300億時間、6次元の念波で10分の1秒、7次元の念波で1京分の1秒で得ることが出来るそうだ。アーサー・クラークの『都市と星』にヴァナモンドという超高速の精神生命体が出てくるが、それに匹敵する通信速度だ。25億光年離れたサモンコール星群からくるUFOは地球までを6分30秒で飛行するそうであるから、ヴァナモンドより速そうである。どうやら、人類の世界は不良人類の世界であるから光速は遅い。しかし優良人類の世界では光速に相当するものは速いというのがその理由らしい。科学の枠を超えた高次元の話だから、数学的論理などないはずなのだが、そこを数学的ロジックで説明しているようなのが気になるといえばいえる。宇宙科学の常識論の範疇での話であれば、先だっての天外伺朗氏の話のほうが納得しやすい。

関英夫氏によれば、見える脳のほかに見えない脳というのがあって、その部分をアンタカラーナという言葉で読んでいる。サンスクリット語からとったらしいが、そこに神智学の言葉を重ね合わせている。エーテル体とかアストラル体といった言葉である。肉体に一番近いところのものがエーテル体だ。次がアストラル体。その次がメンタル体で、最も高次のものがコーザルたいだそうだ。人間が死ぬと、エーテル体は肉体とともに消えてしまう。しかし、アストラル体やメンタル体は霊となって地上をさまよう場合がある。そうすると波長の合った邪悪な肉体を探して憑依することがある。これが病気なのだという。よしんば憑依をまぬかれた場合でも、自分自身が発した呪いの念が自分に帰ってくる場合があるのだという。よって邪気を払えば病気は快癒するという理屈だ。払えないものはよほど心が歪んでいるのだということになる。心のゆがみは人間だけにあるのではなく、動物や植物や鉱物にも見えない脳の4層構造があるゆえ、無邪気な子供は気によって容易に治癒する。鉱物の子供とは生成して間もないものの事だろうか。38億年前の岩石などというのはどうやらだめらしい。

「気」の事にも触れているが、これはもう中国何千年の歴史で実証済みだから、疑う余地はなさそうだ。科学で解明できないというのが逆に高次元の世界の存在をにおわせる。先のユングのコトバと同じだ。脊髄と並行した経絡を「スシューム管」といい、左の鼻の穴を「イダー」、右の鼻の穴を「ピンガラ」といい、この3つが特に重要らしい。右の鼻の穴をふさいで、イダーだけで呼吸をすると体が温まってくるというが、そんな感じもしない。逆にピンガラだけで呼吸すると冷えてくるそうだ。

気の粒子は音速よりはるかに遅いが、気は光速よりも速く伝達する。これは我々が光波は観測できないが、光粒子は観測できるというのと似ている。関氏は光の速度は有限であるとしているが、別段それ以上のものであっても問題は生じないだろう。実体化され認識装置と作用できるようになるまでに、遠いものほど時間がかかるとすればよいだけである。

前に、盛鶴延氏の気功で知ったのだが、習字体には気が宿るそうである。この本にも、気功氏本人の実筆には強い気が宿るということが書かれている。ビデオテープや石ころにも気を宿すことが出来るが、ものによっては気は入りにくいという。いわゆる「ピラミッドパワー」などというのは形などというのではなくて、石に封じ込められた気の作用なのだろう。原子力発電によって作られた電気は非常に悪い気を有しており、人間の発する気のように意志は持たないものの、各家庭にまで気を持ち込んでいるというが、ほとんどの人にはそんな感応力はないはずである。もし感応力があるなら、日本人が長寿世界一になることなどあり得ない話だろう。

また「信じれば気が出せるようになる」などとあるが、それはイエスが「信じれば山が動く」といったのと同じような意味で、世の中の人間の多くは信じることなどできないからそれは不可能なはずである。せいぜい「自分を信じろ」などという詐欺師的教えを真に受けて大いに失敗する。それは出来の悪い平均人に対する教えであって、およそ思考力などというものを持たない社畜のためにあるのである。真の自己は自分自身の外側に多くあるものだ。ただし大きさの比較は出来ないだろう。エドガー・ケイシーのリーディングでは、宇宙の中心に無尽蔵の図書館があって、そこと人間の意識はつながっているというらしいが、一種の比喩なのかもしれない。彼が預言者に匹敵する力の持ち主であったとしても、高次元の世界を低次元の表現であらわすことなどできなかったに違いない。アインシュタインも4次元以上の次元で宇宙を解明する試みは科学者の行う道ではないとして断固拒否した。デカルトもニュートンも、人間は3次元がわかれば十分で、それ以上のことがわからないのは神が存在する明白な証拠だとしていたようである。

関氏は「21世紀は優良人類の時代になる」などとしているが一向にそのような気配はない。どうやら、過去の姿はもちろんのこと、未来の姿も人により異なっているのは、各人の宇宙が存在するという証のようだ。もしも宇宙がそれぞれの人間の数だけ存在していたとするならばそれも当然である。なおかつ宇宙が何らかのデータバンクの中の記憶素子の集まりなのかということもいまだにわからない。もしもデータの一つにでも微細なエラーが発見されるならば、全宇宙は記憶素子の織り成す幻想であって、実体ではないことが明らかになるそうである。この場合は全宇宙は人類共通のものだという気がする。

人々が洗心を行って清浄になれば、自然災害というものもなくなるという。地震や火山の噴火などという自然災害は、病気と同じく、人間の悪想念がもたらすものだからだ。また、雨にしても夜のみに降って昼間は人の望むときのみに降るのだそうである。ここのところは、旧約聖書にある「防御の詩」という個所を想起させる。「左に千人倒れ、右に万人倒れても、あなたが近づくことはない」という護符だ。詩篇91章全編がそう呼ばれる。信仰の力を示すものだが、第2次大戦中の英軍に関する実話らしいものもある。ウィトルゼイ大佐率いる連隊はこの神の力によって一人も傷つくことはなかった(以前検索した時はかなりヒットして教会関係者のブログもあったのだが、今回はほとんどなくなっている。もしかすると作り話だったのかもしれない)。

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