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zoom RSS 『素数が奏でる物語』をよんで

<<   作成日時 : 2017/07/15 09:08   >>

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ブルーバックスで、筆者は西来路文朗(さいらいじふみお)氏と清水健一氏。本の帯に「「探偵!ナイトスクープ」に筆者出演」とある。ナイトスクープというのは朝日放送のバラエティ番組らしい。数学の謎ときというのはゲームの世界などとよく似ていて、いわゆる外側の現実世界とはまた反対とされる。ゲームオタクというより数学者気取りで呼ばれた方が貫禄がありそうだが、実を言えば数学オタクで、仮想世界に遊んでいる。現実世界を凌駕する無限世界でもある。現実世界でも、ばか丸出しの奴は気が付かないだろうが、重いもののほうが速く落ちる。これを理科では嘘ばかり教えて、真空などというこの世にはないものを持ち出して、どちらも同じ速度で落ちるなどという。そんなことを軽軽に信じる奴は詐欺にかかりやすい。だから振り込み詐欺など後を絶たないだろう。

素数とは「数の星座」の中の一等星だという数学とはいかにも芸術的である響きだ。両者とも専攻は整数論。西来路氏はデザイン学科教授だそうだ。素数に一等星の輝きを見て、内側の天文学が数学であることに気が付いたような人が多数存在するということを知った。それほど魅力的であったとは思いもしなかった。内側の世界ということから、偉大な数学者が多く教会の牧師であったということが説明できる。そういえば「象牙の塔」などというものも、もともとは白くて高貴な女性のことを指していたものが、次第に人間から離れて外側にあるタワーのことを指すようになった。

前々から言っていることだが、内なる宇宙のほうが外側の宇宙よりもはるかに広い。だから数の星の数は無限であり、一等星の数も無限である。この事はエジプトに住んでいたユークリッドが証明したそうである。ユークリッドが個人名なのかグループの愛称なのかはいまだわからないそうだが、大概は個人名として扱っている。そんなことはどうでもいいのだろう。紀元前3世紀ころ、エジプトのプトレマイオス1世の時代に活躍したということしかわかっていない。同じころ、シラクサで活躍したアルキメデスの生涯がある程度記録されているのを見ると、エジプトの伝統や文化に個人は無縁だったことがうかがい知れる。

隣り合った奇数がともに素数である組を双子素数といい、無限個存在する。内なる2重連星が無限にあるようなものだ。三つ子素数といったものも無限に存在しているらしい。これは3つとも隣り合っているものは「3,5,7」の組一つしかなく、残りはどちらかの間隔が一つ余計に離れている。

10以下の素数の個数は、2,3,5,7の4個で、これを「π(10)」と表記する。100以下の素数は25個あり、「π(100)」とあらわす。多分ドイツ語で素数のことを[Primazahl]というからだという。pの代わりにギリシャ語の頭文字πを当てたのだ。この記号を使うと任意のN,Mにたいし
 π(N+M)=<π(N)+π(M)
が成り立ちそうだという。これを「ハーディ・リトルウッドの予想」と呼んでいるそうだ。彼らは20世紀前半に活躍したイギリスの数学者だ。数学者たちには素数の風変わりな色合いや輝きといったものが夢のように目に見えるのかもしれない。内側の恒星であるから夢としか言いようがない。他にもオパーマンの予想だとかブローカルの予想などといったものがある。頭の中の天体観測が如何に魅惑的であるかということを表している。そういえばクラークのSF『都市と星』で主人公の教師役が謎解きに夢中になっていたのが素数の仕組みであった。10億年たっても謎解きが出来ないものらしい。

昔ガウス(1777−1855)は、自然数Nが素数である確率は自然対数logNの逆数に近いということに気が付いた。生没年からして数に縁がありそうな人であったが、その後200年たっても解明されない。そうしてガウスの予想が正しいことは、1896年にアダマールとプッサンによって、それぞれ独立に証明されたそうだ。これを素数定理という。

ピタゴラスは完全数というものを考えた。これはユークリッドによって、
 2^(N−1)×(2^N−1)(ただし後項が素数の場合のみ)
と数式化されたそうだ。2^N−1の形の素数をメルセンヌ素数という。神秘的な名のこの人はフランスの神学者で、フェルマーやデカルトと親交があったそうだ。偶数の完全数については18世紀にオイラーによって上式の形をとることが証明されたが、奇数の完全数についてはそれが存在しるのか否かもわかっていない。いまだ一個もないのだから多分ないのだと思う。数学者や神学者たちが、これほど夢中になるのは、外部世界と同様に内部世界があることに確信を持っているからに違いない。

ユークリッドは、素数が無数にあることと、すべての自然数は素数の積であらわせるを証明した。背理法を使用したものだが、この手法こそ数学が仮想世界のゲームであるからではないかと思った。多分、無限というものがない現実世界には背理法は適用できないのだろう。だから自然哲学に数学を適用するにはほどほどの分限というものがあると思う。

素数については、4N+3型と4N+1型とにわけているが、どうもここでも無限のトリックとでもいうべきものが出てきて妙に引っかかる。やはり神聖には映るが数学はあくまでゲームのカテゴリーと同じだ。まるきり実用性がないという点で、数学にはノーベル賞がない。文学よりも実用性に劣るとみなされている。それほど役に立たない代物なのであろうかというと、やや疑問も感じるが、学校で教わった三角関数や微積分というものはもともとは自然哲学の探求より生まれたものだ。それらは数学というよりはむしろ物理学だった。純粋数学というのは純粋に内界にあるもので、外物とは一切関係がない。荘子の哲学よりも実際とはかかわりがない。

フェルマー(1607−1665)の話も出てくる。トリチェリ(1608−1647)と同じころ生まれて、パスカル(1623−1662)が没して間もなく死んだ。短命なように見えて、案外そうでもなかったみたいだ。古代ギリシャ人やローマ人、または現代人と比較すれば短命に見えるだけのようだ。ピタゴラス並みに数に宇宙の秘密が隠されているという信念が社会通念であった時代に生きた人であって、そうした信念はデカルトの神の存在証明(コギト)とともに生まれたのだった。

大体において、2,3年前に読んだ「世界は2乗で出来ている」と似たようなストーリーだが、この前の本のほうが世界とのつながりを説いている分だけ実感が伴っていて読みごたえがあった。ピタゴラスの直角三角形を成立させる3辺が、4N+1の並びに限るというのが面白かった程度だ。何せ素数を見ても、それだけ一等星のように輝いて見えもしなければ、何か特別な色がついて見えるタイプでもないので、数に対する情熱といったものが特に感じられるわけでもない。見えないのが当たり前だと思われているに違いないが、内界というものが外界の存在に不可欠であれば、何らかの感覚器官に対応しているのが当たり前であるようにも思う。社会的刷り込みが長い間続いたので、多くの人間はそうした能力を失ったのだろう。おそらくピタゴラスには素数は輝いて見えたことだろう。

電子軌道がとびとびの位置をとるように、素数もとびとびの位置を占める。しかも内界にある素数は無限に存在する。外界は狭すぎて内界の全存在を投射できないのだ。

フェルマーはディオファントス(3世紀のアレクサンドリアの数学者)の『数論』の研究から、「どんな自然数も高々4個の平方数の和であらわされる」という予想について知っていた。本書には、この平方和定理はオイラーによって証明されたとあるが、『世界は2乗で出来ている』の方には「オイラーの証明は完全なものではなかった」とある。完全な証明は、フランスの3Lの一角ルジャンドル(1752−1833)により行われた。残りの2Lは、ラプラス(1749−1827)とラグランジュ(1736−1813)だそうだ。よくよく読み返してみると、本書ではオイラーの後、ルジャンドルやガウスらによっても証明されたとあるが、以前のものには「オイラーのアプローチを完成に導いたのは、少し後の数学者ラグランジュで、1772年のことであった」とある。数学の世界では分派により歴史的叙述も変わる。それぞれの思考の中の無数の世界の記述なのであるから、過去の歴史もまた無数に存在する。この狭苦しい辞書的共同世界と比べれば、はるかに自由度の高い世界だ。過去は覆らないだとか、世界は一つだなどといった甘美な言葉に迷わされてはならない。過去は未来と同様想像の産物に過ぎない。これもひどい誤解に基づいている。現在の行動というのはすべて予想に基づいたものだ。それはお互いの距離が離れるにつれて大きくなる。過去の想起についても同様である。想起の仕方の際によって、まったく想起自体は異なったものになる。

さて、整数論もオイラー(1707−1783)に至ると、解析整数論といって、微積分を用いる独自の様式が誕生した。オイラーの父親も牧師であったが、彼もまた数学が好きであって、息子の数学好きは遺伝だと思っていたようだ。そのうち神学のほうに目覚めるだろうと思っていたらしいが、願いもむなしく、とうとう数学者になってしまった。スイスバーゼルでヨハン・ベルヌーイ(1667−1748)に数学を学び、1735年28歳の時、平方数の逆数の無限和が円周率の平方を6で割ったものに等しいことを証明して一躍脚光を浴びた。オイラーの記憶力は非常に優れていたので、寝ながらでも筆記用具なしに計算ができたことが大発見の理由の一つである。素数の無限性を語るのにも、従来の背理法を用いるのではなく、和と積の双方ともが発散することを用いたそうである。背理法が誤りである可能性を排除したことで、こちらの方が直接的証明に思える。しかし、はじめは片目を、後にはもう片方の目を失明してしまった。

それからまたオイラーは調和関数も扱った。調和関数とは、1,2,3、・・・Nそれぞれの逆数の無限総和のことであって、前に述べたように、1350年ころフランスの司教ニコル・オレームが簡単な計算によって無限大に発散することを導いたものだ。調和関数の挿話は、1に2分の2を無限回加算したものよりも大きくなるというのがその理由だが、実際に計算してみると案外発散は遅く、Nが1000になっても総和は7.5に満たない(*)。オイラーは調和関数が素数と関連する見事な公式を導いたそうだ。それからオイラーは素数の逆数の総和もまた発散することを導いた。これは収束するのではないかと思うほどゆっくりと増加し、1.8×10^18までの素数の逆数の総和でもやっと4を超える程度だという。だから素数の総和が無限大に発散するなどという主張をインドの手品師が言い出したりしたら、超ペテン師といわれることは必定である。
(*)計算しなくても、例えば2分の1の10倍重ねるには、大体2の10乗倍の桁がいることになり、なかなか無限大などにはならないだろうということは察しが付く。のちにオイラーはこの値をLOG(N)+0.577・・・となることに気が付いたが、今になっても無理数か有理数かもわかっていないそうだ。
さらには、オイラーは、無限大に発散する調和級数の一部分を取り出した素数の逆数の和も、無限大に発散することを見出した。もちろん現実にはこういうことはない。如何に外界の宇宙が狭苦しいかということでもある。

読み進めていくと、「ライプニッツの公式」というものが書かれている。1から奇数の逆数を順繰りにひいたり足したりしていく(*奇数の逆数の交代和)と、その合計値が4分のπという有限の値に収束するという式だ。ライプニッツはこの事に惹かれて数学の道を進んだという話もあるらしい。wikiには、15世紀にインドの数学者マータヴァが既に導いていたとある。のちのオイラーの2乗の逆数の総和が立方体の表面積に相当するならば、こちらは平面の四辺の長さに相当するのかもしれない。何方にしても自然界の法則には円周率が出てくる。先日述べた関英夫の高次元科学の話も案外真実だろうと思う。
(*)(4N+1)−(4N+3)のこと。

最終章の5章はガウスのことに触れている。オイラーの計算方法が一般的であったことと比較して、ガウスの計算方法は何かサヴァン症候群の人が良くやるような奇抜なものであったかもしれない。それにもかかわらず知能は極めて優秀で、1795年18歳の時には、ゲッチンゲン大学に入学した。入学当初は数学者になるか言語学者になるかを決めかねていたが、翌年正17角形の作図を完成したのを機に数学者になる決心をしたそうだ。論文で発表した以上に深い研究をした人であったということが知られ、非常に謙虚な人柄であったことがうかがえる。同じ問題の背後に複数の理論を導き出すのがガウスの特徴であったという。地球進化の歴史と同じように多様性を愛したのであろうという点でこの姿勢は大正解であったものと思う。

5章には、連分数で無理数を表すことなどが述べられている。古代エジプトやバビロニアの人間が、分子が1の分数にこだわったであろうことを思い起こした。古代の神官たちは一様に、内界と同様に外界の大宇宙も無限であることを信じていたのだろう。しかし現実には外側の大宇宙にはどこにも真の意味の無限などはなかった(*)。後半、やけにルジャンドルについて触れられているが、もしかするとこの人にも内なる星々の輝きが映像として見えたのだろうかなどと思った。内界を判然と見る能力の残滓が夢というものなのだろうかという気がした。
(*)もっとも、ただ一人の人間が終始観測すれば大宇宙は内界に精密に対応してやはり無限であるのかもしれないが、大宇宙の観測は過去も未来も混然一体となった全人類共通の共有辞書的な形でしか把握できない。



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