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zoom RSS 不安と欣求〈中国浄土〉

<<   作成日時 : 2017/07/22 08:43   >>

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仏教の思想の8番目だ。仏教シリーズもちょうど半分取りそろえたが、第7巻の「無の探求(中国禅)」は昭和53年ころかった単行本があるのであと5冊取りそろえたら本シリーズもひとまず終わりだが、梅原氏が嘆いているようにシリーズで法然を取り上げなかったのは欠点だ。むしろ仏教の正当性ということでは、日蓮宗だけ、人生の目的意識を持つという点で宗教離れしているので、こちらを外してもよかったのではなかろうかとも思う。人間というものは目的もなくただぶらぶらいかされているもので、目的意識を持つことなど邪念に過ぎない。

インド仏教が中国へ伝わる分岐となったのは、『般若経』が成立したからといってよさそうだ。前1世紀には西北インドで行われ、浄土教仏典もこれに伴って編纂がされていたという。思っていたよりも浄土教のルーツは古そうである。もっとも前回素数のところで述べたように、過去は必ずしも固定されたものではない。むしろ反対に人々の想像を収束させずに発散させるものでもある。そこには注意しなければならない。過去の為政者たちにしろ、現在当然と考えられているように、歴史は一個しかないと思っていたのかどうかも定かではない。

興味深いのは、仏教発祥以来しばらくは仏像を作る風習がインドにはなかったという点だ。インド哲学もインド宗教も、アーリア人由来で、それはギリシャ人とも共通する思想概念を持っていてもよさそうなものである。そうすると、ギリシャ植民者の発想で仏像が生まれたと断定できるような気もしない。ただ理由は知らないが、バラモンの時代から神の像などを作るという風習はインドにはなかったようだ。たまに変人がいた程度だと思う。それで、念仏というものも、ギリシャ人たちが仏に光背を乗せて像を作ったことに多く拠っているそうだ。この事によって観仏が容易になり、仏を念じることがより普及したのだという。

中国社会はインド仏教の伝来で輪廻転生の教えが伝わった時、大いに驚いたのだという。輪廻思想といえば、古代ギリシャのピタゴラスを思い浮かべる。彼はエジプトの死生観に影響されて輪廻転生を主張したという。輪廻の考えは西欧由来であって、東洋にはないのだろうか。輪廻の思想が仏教の中核などというわけではなく、釈迦自体だいぶ実践的な人だったらしいので、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。ただし仏陀の言葉に、「われまた再生せず」というのがあるという。「解脱しているから輪廻転生はしない」というほどの意味だろう。言い換えれば、死んだら死にっぱなしで、無の世界に入る、というのが仏教の理想だと考えると、これは一昔前の唯物論的思想と似ているともいえる。現代日本人の65歳以上の高齢者の90%以上は輪廻転生など全く信じていないだろうが、それは教育の刷り込みというものだろう。証拠らしきものを唱える団体もあるというから、肉体が滅びたならば魂は元の場所におさまると考えた方が都合がよいのかもしれない。融合して一つの精神体になったところから個別の意識が出来てくるのだから、人の数が減ろうが増えようがどうでもいいのである。

中国への仏教の伝来は西暦前後であるが、漢訳仏典は、2世紀後半、洛陽に来た安息国(パルチア)の高僧安世高と大月氏の僧シルカセンに始まった。重要なのは大乗仏教を伝えたシルカセンだ。彼の伝えた『般若経』と『般舟三昧経』は西方浄土の阿弥陀仏を念ずることが説かれている。元来浄土思想には、弥勒の兜率天と、阿弥陀の西方浄土の2系が合い並んで行われていたが、随・唐以降は後者が圧倒的に広まった。東方浄土の阿閦仏のことを説いた教説も初期には行われていた。なぜ西方浄土のほうがより普及したのかというのがあるが、東方には海しかなかったからという単純な理由で案外説明できるかもしれない。西の方ならローマ帝国のような中華帝国と同じような帝国がある。インドでは別にどうでもよかったと思うが、それでも人が死ぬのは黄昏が過ぎて陽が沈む西方の方がしっくりくる。東方ではどう見ても誕生祝だ。東方浄土思想を持つのはちょっと現世のしきたりに反抗的だったのかもしれない。南方はどこも海しかない。ローマの宗教だったら南方浄土というのもあったかもしれない。その他、釈尊はいつも北枕で西の方を向いて寝ていたともいう。地球磁場に方向を合せるの(熱帯地方ほど合致するが、北極圏ではあまり意味がないと思う)で、その方が健康にいいのだという。それなら逆向きの南枕で東を向くのはどうかというとよくわからない。

さて、中国における浄土思想の発展は、老荘思想の普及と大いに関係があるようだ。老荘と比べれば、ずいぶん体系的で、今の言葉でいうと妙に聞こえるかもしれないが客観的であったのが仏教『般若経』であった。仏教に惹かれた求道の人々に師と仰がれたのが、中国仏教教団の最初の基礎を固めた道安(314−85)と慧遠(334−416)の師弟であった。『般若経』には浄土は説かれていないなどという学究的な話は仏教には無縁なはずで、眼光紙背に徹すではないが、念仏の力というものはもともとそれほど単純なものではない。般若心経などからでも極楽浄土の様相が鮮やかに目に入るようになるのが仏教の自在心なのかもしれない。考えてみればそうであった方が高僧といえるだろう。

浄土三部経のうち、最初に訳された経典は『無量寿経』であって、およそ2世紀の中頃だという。そうすると時代は後漢のころである。紙の発明がなされてから2世代ほど後のことだ。経典の別訳を『大阿弥陀経』ともいうが、これは晋言で阿弥陀仏のことを無量寿といったかららしい。仏教が伝来したのは後漢の明帝ころ(68年ころ)とさえているが、実際には前漢の末にはもう入っていたようだ。現世否定的な仏教思想は老荘思想と若干似通っていたので、晋代に竹林の七賢などによる老荘思想が流行すると、仏教のほうも急速に華が開いたといえる。

中国浄土宗を蓮宗ともいうが、これは浄土宗の開祖慧遠が68歳の時、廬山東林寺の座禅思惟の道場であった般若台の阿弥陀仏像前で、僧俗123名の念仏結社契約をした(西暦402年7月28日)が、この結社が後世百蓮社と呼ばれるようになったかららしい。ただし後世の白蓮社は阿弥陀ではなく弥勒の浄土だ。社会への反発の意味合いでもあるのだろうか。

慧遠は老荘の哲学を非常に好んだという。老荘の無の哲学と、『般若経』の空の思想が似ていたからだという。この辺りはのちの日本の仏教とは特に異なる。老荘思想、特に荘子のほうは、思ったよりも単純だと思う。それは個人の哲学だからである。しかし、仏教のほうは集団の哲学であるからやや複雑だ。それでも仏教は空智に重点を置いているといえる。このころの中国仏教の修行方法といえば、ただ寝転がってもの思いをするというようなもので、修行といっても老荘の楽道みたいなものだったともいう。どうもインド風の苦行スタイルはどこかへ行ってしまっていたようでもある。

これに対し、日本に伝わる浄土教は、北魏末から唐初(6〜7世紀)の、曇鸞、道綽、善導の始めたものだ。今の社会は穢土であり、穢土に生活する人々に共通な事実は、罪悪過誤にまみれて生きる凡人であることだから、畢竟他力に頼るしかないというものらしい。慧遠の場合は自力の修行だ。浄土教ではこれを「厭離穢土(おんりえど)、自力絶望」といっているらしい。人に与えられた救いは「欣求浄土(ごんぐじょうど)、他力帰投」だ。いつかインターネットで、禅宗のお坊さんだという人が「仏教は基本的に自力」といっていたと思うが、違うのではなかろうかなどと思う。しかし、お寺では「嘘も方便」というのがあるので定かではない。「厭離穢土」が飛躍台となって、破綻絶望の淵を飛び越えることが出来るという本書の説明のほうがわかりやすい。阿弥陀一仏帰命の純浄土経典を「汎神教的一神教」と塚本氏は呼んでいる。元来人の性向として自力で走る方向を選びがちだ。その方が手っ取り早く簡単そうに思えるからである。これはつとに竜樹も指摘していたことで、難行道とは「ただこれ自力にして他力の持なし」とか、易行道とは「ただ信仏の因縁を以て、浄土に生まれんと願えば、仏の願力に乗じてすなわちかの清浄土に往生することを得て、他力に住持せられて即ち大乗正定の聚に入る」と、「十地経」注釈で述べていたことだ。昔は今と反対に、自力が難行道であった。本当はたやすいのに、難行と呼んだ方が見栄えが良いからかもしれない。如何浄土教の祖慧遠もそうであった。そのため、日本浄土はそれは敬遠した。自力救済の夢を抱くだけでは実現不可能ごとであることが最初から分かり切っていたからである。

中華思想の背景には一種のエリート意識が連綿と流れているように感じる。老荘思想のと流行にも、仏教とそれとの融和においても、士大夫の持つエリート意識を抜きにしては語れない。善導と同時代に『浄土輪』を記した迦才は「上古の先匠、慧遠法師、謝霊運らは、みな西方浄土を期すといえども、終にこれ独り一身を善くするものにして、後の学者の習う所なし」といったそうである。

念仏を非常に重要視し、修行の間片時も阿弥陀仏の名を唱えることを欠かさず、念ずること欠かさずを強調したのは、隋の天台宗祖智だという。彼の『魔訶止観』にはそういうことが書かれているそうだ。ついでに智の根本経典としたのは『法華経』であった。「南無阿弥陀仏」をひたすら称える修行道が天台宗に始まったのかと思うと何か興味がわく。別段智が西方浄土を主張したわけではないが、浄土教のことはじめとする説もあるらしい。

日本法然の浄土開宗の師表と仰がれたのは蓮宗第二祖の唐の善導(613−681)だ。ことに蓮宗第4祖長安五会法師法照は善導の後身といわれ、「五会(ごえ)念仏」という緩急曲調をつけた音楽念仏を広め、日本の慈覚大師円仁により持ち帰られ、「朝法華、夕念仏」という比叡山天台宗風の元を築いた。しかし善導の説法により、西方浄土を願って自殺者が相次いだので、浄土教の大成者にしては評判はあまり芳しくなかったようだ。むしろ死後に高僧となったといった方が適切かもしれない。

さて、中国北魏では、皇帝の厳命による廃仏毀釈が徹底的に行われ、一事無仏教国となった。整理整頓された中、孝文帝の即位で急速に仏教が復活し、以前にも増し勢いを得る。このようなときに登場したのが曇鸞(475−542)だ。彼ははじめ竜樹の中観を研究していたが、体調を悪くして神仙に近付く。どうしても長い気がしたかったといい、50歳になったころ、インドの僧に「そちらにはこのような長寿法はないだろう」というと、反対にひどく馬鹿にされた。それで仙道長生術の書物をすべて焼き捨て、浄土信仰に回心したという話になっている。そういうことがなかったなら新仏教は生まれなかっただろうが、せっかく長寿法を求めて長いこと捜し歩いたのに、67歳で身まかっているのは残念だ。今の坊さんは長生きらしいが、昔はそうでもなかったらしい。僧侶が長生きだというのは、長生きしなければ名前を残せない歴史的因縁だろう。ちなみにこのころの北魏の都は阿鼻叫喚であったということが明らかになっている。

曇鸞はこの穢土からかの浄土に往生するということを、竜樹の空観教義によって、「無生の生」だと断言したという。穢土世界の生は「虚妄の生」だという。しかし、浄土に往生してしまっては、穢土に住む衆生が救えないではないかと思うのだが、その辺はどうなっているのだろうか。五逆の果報よりも、十念のような軽い行がどう往生を可能にするかについては、十念の力のほうが五罪よりも重いからだとした。慧遠の自力的念仏行に対して、「信」と「他力」の重視である。曇鸞の『往生論註』(*)の考え方は、後の道綽や善導の強い称名念仏専修の実践教へと発展していった。
(*)『往生論』というのは世親(ヴァスバンドゥー、320−400)がすでに著している。何か他力本願というと、日本浄土宗の発明のような気がしていたが、こうした昔に案外起源がある。

道綽は562年に、曇鸞と同じ山西省に生まれ、おなじ石壁山玄中寺で浄土信仰に励んだ。645年に85歳で没した。ちょうど日本は大化の改新だ。なんとも文明度の違いがはなはだしい。この先進大帝国が西欧帝国主義を防げなかったということに今更ながら驚く。中国はすでに五胡十六国を終えて隋の統一から唐の時代へと移る。道綽の晩年はまさに盛唐貞観の治に当たる。道綽の弟子の善導が長安の都に浄土教を伝えてその勢いはますます増してゆく。時代の勢いというものもあるのだろう。ちょうど道綽が青年になるころは、武帝による廃仏毀釈運動が盛んでとんだ災難甘苦だったが、廃仏といっても小乗を断つことが目的で、大乗は善しとするようなたくらみがあったということである。そのあたりは歴史解釈だが、道綽が苦労したことは間違いなさそうだ。

仏教史の視点から重要なことは、当時、西暦576年の時点を以て仏滅後1465年だと広く思われていたという点である。そうすると611年前後が仏滅後1500年に当たり、この時点から末法の世になる。釈迦の仏法でも、竜樹の仏教でも到底救われない。道綽が浄土教に帰したのは609年大業5年のことだ。翌年にはちょうどイスラム教が誕生している。仏教の側から見れば、イスラム教も末法の世に適した教えとなるかもしれない。ともかく末法の世の現在では、人は共通に「凡愚」と「罪悪」にして聖賢(しょうけん)ではない。経典を理解する才覚がそもそもないのであるから、風の便りで聞き及んだ知識を真理だと思うしかないわけである。道綽の現存唯一の著述『安楽集』には『浄土三部経』よりも、『涅槃経』の引用が多いという。『涅槃経』は道綽が浄土教に回心するまでに何度も読んでいた経典だ。「一切衆生悉く仏性あり」を強調した経だそうだ。

当時の仏教教理額の常識では、西方浄土に往生すると説かれているのは、無相無生の新仏教へ誘導するための方便に過ぎず、浄土というのも、仏というのも、化現幻想にすぎないというものだった。道綽はこうした考え方は「大失である」と強く戒めた。仏教やキリスト教はあくまでも客観世界にこだわるが、そうした客観世界は主観の創造するところのものだ。

次は3代目の善導(613−81)である。各地を行脚したのち道綽教団にたどり着いた。前2者とは少し生い立ちが異なるようである。善導にしてみれば、師の道綽の生活はあまりに安定しすぎているようにしか思えなかった。そうというものは、本来一人の弟子も、一個の殿舎も持つべきではないのではないか。いや定まった家屋に住むこと自体が堕落につながるのではなかろうかなどと思うタイプであったという。売り物にする善、は悪以上の悪であるという強い思いを抱いていた人物であった。いわゆる偽善者は悪人以上の悪だという想念だ。そう思うのも人の気質による。実際は心で何を想っていようと外側には反映されないというのが社会的世の中だ。偽善でも奉仕者は奉仕者だ。心の世界を強く主張するものにとってはさかさまの社会通念にしか見えないということだろう。長い間善導は柳の木から飛び降りて自殺したと言い伝えられてきた。法然も親鸞もそのことでかえって彼を崇拝したようである。自殺を悪徳だととらえる現代のキリスト教的社会にあってはなんとも理解しがたいことであって、今では逆に善導は自殺幇助者であって自殺者ではないという意見が多い。


どうやら浄土思想とは、現生での理想社会建設が不可能であることがはっきりした末法の世を待ってはじめて築かれた思想であるようだ。釈尊が西を向いて寝る習慣を持っていたのは、たぶんアーリア民族の故郷をしのぶ意味合いがあったのではなかろうか。そうして、インド‐ヨーロッパ民族は理想国家の建国の夢をあくまで捨てないのである。夢をうつつに築こうという民族性と、あの世に築こうという国民性の異なりを見る。

もう一つ重要な点は、西方浄土思想が広まった背景には政治的思惑が大いに存在していたという点である。何分死後の浄土世界なので、為政者にとっては最も都合の良い思想だ。これが未来志向の弥勒浄土であったりしたらうかうかできない。誤っていると解されたら政府などすぐ転覆される。実際中国では多くの国家が天命思想に基づいて有為転変している。だから日本では西方浄土以外は許さなかった。


本書では、インドの大乗仏教を中国へ伝えた亀茲国の名僧クマラジーヴァ〈鳩摩羅什〉(344−413)についてかなり詳しく記している。亀茲国の王女と、インドから亡命してきた貴族の間にできた子供だそうだが、異常に頭が切れたらしい。羅什の大翻訳事業は、彼の53歳で開始された。彼の翻訳によって、竜樹の空の思想と大乗経典は中国に紹介されたが、それらが果たして竜樹本来の中観思想を正確に伝えているかというと案外疑わしいと、梅原氏は語る。竜樹の空の思想は、否定的に論理的に語られる。しかし羅什役の経典では空の思想は、より肯定的に存在論的に語られている。そこに羅什のいかがわしさがある。積極的なこの人生そのものの工程の思想となって現れるのだという。インド仏教が現世悲観主義だとすれば、中国仏教は現世肯定といってもよいくらいらしい。つまり、どうせ中国人には本当のところはわからないのだとして、鳩摩羅什が正確な訳を伝えなかったのだという。偉大な人物故にそれが定着したのかもしれない。並の人物であれば再度訳された経典が横行していただろう。慧遠とは正反対に腰の軽い僧侶だったそうだ。

慧遠といえば真面目一方で、廬山の山中に籠って33年間一歩も山を下りなかったともいう言い伝えが残っているそうだ。

『観無量寿経』には、釈迦の説法として未来の極楽世界を見る16の観相が書かれているそうだ。まず第1に、西に傾き今にも沈もうとしている夕日を見て、それを目を閉じて心に思い浮かべる。そうすると、心はいつも西に在って、目を閉じていてもいつも夕日が見えるようになる。これを第1日想観という。それから心を氷のように清浄にする。これが2番目の水想観である。ついで極楽浄土の様々な性質を想う。これが第7の華座観まである。そこまで背景が出来上がって、8にようやく阿弥陀仏を想う。これが13まであって、はじめの日想観から13の雑想観(ぞうそうかん)までを定善観(じょうぜんかん)という。いろいろと準備がいるようだ。どうやら戒・定・慧の一つ定(瞑想)の仕方を説いたものらしい。残りの3つのものを散善観という。

しかし、ここのところ竜樹の原作では、十方世界、すなわち東西南北上下仏すべて平等に扱っているようだ。竜樹は西方仏のことを「無量明仏」とし、それとは別個に阿弥陀仏を筆頭に挙げているという。何かインドのあいうえお順かもしれない。釈迦が西の方を向いて寝るのを常としたというのが一つの根拠かもしれない。釈迦の個人的な慣習が西方へと目を向けることになったのかもしれない。本来瞑想のためには方角などどうでもいい筈のものである。宗教詩人曇鸞の独自の解釈、独自というよりもほとんど思い込みの牽強付会らしい。




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