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zoom RSS メデュース号事件

<<   作成日時 : 2017/08/02 14:07   >>

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メデュース号というのは、ナポレオン時代のフランス海軍のフリゲート艦の名前だ。イギリスから返還されたセネガルへ向かう途中、モロッコ付近で船が座礁し、救命ボートに乗り切れなかった150名をいかだに載せて曳航したが、間もなくロープを切り離したというものだ。150名のうち生き残ったものはわずか15名だったそうだが、15名も生き残ったから歴史に残っているのか、全員死んでしまって歴史の闇に埋もれてしまっている例のほうが多いのかはわからない。この事件の場合、生存者のうちの2名が冊子を刊行したことで全容が明らかになったというが、事件に巻き込まれた側も直ちに周囲に真相を漏らすということはしたがらないものなのかもしれない。そういうことが為政者の耳に入ったら処刑されるのが常識だったとも考えられる。1817年に事件の全容が明らかになったが、この事件を題材にしたテオドール・ジェリコー(1791−1824)の絵画「メデュース号の筏」によって今もって人々の耳目に新しいものとなっている。まあ、私のほうはあらかた忘れてしまっていたが。

1814年にナポレオン1世が退位して、ルイ16世の弟のルイ18世がブルボン朝を復活させたのだが、この王政復古政権が相も変らぬいい加減な政権だった。しかし時代はもはや絶対主義のころには戻らない。それが市民階級の台頭であって、その市民の台頭を上流階級から貧しい下層にまで広げたのがナポレオンの軍隊であった。社会の人間をすべからく平等に扱ったのが、後のナチス政権と同様、ナポレオンの貢献とされるところだ。

貧乏人にまで平等主義が普及するのにはかなり時間がかかるもので、このころの画かといえば決まって裕福であるのが普通だった。ジェリコーと親しかった同時代のウジェーヌ・ドラクロア(1798−1863)もそうであった。彼は政治家タレーランの落とし子ではないかといわれている。彼の描いた「キオス島の虐殺」は当時のギリシャ独立戦争が如何に凄惨であったかを伝えている。現在何かとキリギリス扱いもされているギリシャではあるが、その背景には暗い過去もあることをいまさらながらにして痛感させられる。それが1822年のことだ。このくらい近代になっても、トルコ文化をはじめとする非ヨーロッパ圏はチンギスハンのころの文化とあまり違わなかったのではないかと思わせる。虐殺の数の多さということでは、古代のダム決壊を利用した小国家ぐるみの大消去作戦と似ている。

平民の台頭というのがどうにか形を整えるようになったのは、なんといっても1914年から45年までの大戦争時代だろう。ポピュリズムが完全に各国首脳を牛耳った。大衆の反逆を代表するものがドイツに端を発した共産主義の流れだ。

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