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zoom RSS 『輪廻転生』(講談社現代新書)を読んで。

<<   作成日時 : 2017/08/05 09:57   >>

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宗教人類学の竹倉文人氏が書いている。筆者は1976年生まれで、一時予備校の講師をしていたが、現時点で、東工大大学院社会理工学研究科博士課程だという。

2005年から2013年にかけて米国のハリス社の調査ではアメリカ人の『輪廻転生』への信仰率は上昇しているそうだ。キリスト教徒は輪廻転生を信じないという話が日本では派閥を聞かせているようであるが、アメリカ人の特性は自由であるから、どういう思想を抱いたところでおかしくはない。2008年の国際社会調査ではイスラエル在住のユダヤ人の53.8%が『輪廻転生はあると思う』として、日本人の42.6%を上回っている。アメリカ人の31.2%、アイルランド人の27.1%がそう信じているという。あるかないかわからないのだから、コンピューターの自己学習機能でも半分くらいに答えがわかれるのではなかろうか。まあ、50%くらいがいい線だろう。

まず、文化人類学的な観点から、いわゆる「再生譚」に触れられているが、これは昔の社会通念であって、とりわけどうということのないものだ。「昔はこうだったが、今はこうした時代だ」という程度のものだろう。社会が生んだ妄念という意味では、現代と同じだ。現代は科学的妄念が行き過ぎている。かつてショーペンハウアーが述べたというように、「人間の存在は生まれる時に始まり、しかも無から作り出される」というのは「途方もない妄想」なのだ。それは西洋文明が長い時間をかけて作り上げてきた一つの「設定」であり、壮大なフィクションなのだと筆者の竹倉氏も語る。ただ世間の波に流される多数派の部分が転生は絶対にあるとか絶対にないとか主張しているだけだ。真実は、在るものであったり、ないものであったりしているだけであるはずである。たとえて言えば、鏡の国というものも見ようによってはあるようでもあり、ないようでもあるのと似ている。というのは、現実の世界もただこれを眺めているだけでは、鏡の世界と変わりないからである。一歩一歩踏み込んでいかなければ存在するものか否かというのは区別できない。ただ、私という存在を一回限りで使い捨てしないという点において、生まれ変わりの思想は巧妙なリサイクル社会であり社会経済的な合理性を占めているととらえることもできる。巨大国家においては、使い捨てのほうがむしろ都合がよい。故人の所有物の大半は国家のものとなるからである。

この第一の「再生型」の生まれ変わりを基盤として生まれたものの代表が、インドの『輪廻思想』だ。古代インドの文献の中ではじめて登場する輪廻思想は、『ブリハッド=アーラニヤカ=ウパニシャッド』と『チャーンドギヤ=ウパニシャッド』だという。どちらも、後期ヴェーダ時代(紀元前1000−前500年)に編纂されたものだ。ヴェーダに精通する若きバラモン、シヴェータケートゥの父アールニが、インド北部のクシャトリアのパンチャーラ族の王ジャイヴァリに死後の世界について教えを乞う話だ。クシャトリアのとっておきの奥義が輪廻思想だったというわけだ。バラモンには予想もできない思想であったことがうかがえる。今では「生まれ変わり」というと、すぐ「霊魂不滅」と結びつけて考える向きが多いと思うが、こちらはかなり遅く考えだされた概念だという。古代ギリシャのホメロスの時代とぢうように、インドのヴェーダ時代にあっては、不死というのは神々にのみ許された特権であった。「不滅の霊魂」という観念はあくまで後世に発明されたものだという。これが昔ながらの「再生思想」とは大きく異なる点らしい。

こうして輪廻の思想が誕生すると、地上の生を忌まわしいもの、物質世界を忌避する感情が起こるのはまず当然だ。この事はつとにインド史上初の哲学者ヤージュナヴァルキアも述べていることだそうだ。「さて、「実に人間は欲望からなるものである」といわれております。人は欲望に従って意志し、意志に従って行動し、そしてその行動に応じた人物となるのです。・・・欲望を持つ人間は数着から逃れられず、業を積むために再びこの世に戻ってくる」。だから釈尊などでも「われは再生せず」と断言した。現代社会とは真逆の感情だと思う。いや、キリスト教などでも、不老不死の呪いを受けたユダヤ人の話があるくらいだから、汎世界的に不老不死は忌むべきものだったのかもしれない。中国や日本が唯一の例外なのかもしれない。

輪廻の主体には生涯をまたいで継続する「自己同一性」が必要だ。ウパニシャッドにあっては、これは「霊魂」(アートマン)であって、実在するものであった。仏陀の場合にはそれは「仮我」であって、「今ここに存在はするが実体ではない私」という意味であった。仏陀は霊魂も自己も否定したわけではないが、実体のないものとしたので、多くのものには大変矛盾した教義に映ったらしい。

仏教において前世を想起する能力を「宿命通」という。ギリシャのピタゴラスも宿命痛に通じていたという。


筆者の上げる第3の類型が「リインカーネーション」だ。近代版生まれ変わり思想としている。再びという意味の[re]と、受肉という意味の[incarnation]が合わさった言葉だ。19世紀後半になって今時の意味合い同様につかわれだしたなどとある。年代もはっきり1857年にフランスで発行された『霊の書』(教育学者アラン・カルデック著)だそうだ。この言葉は教会への挑戦として、ただの異教扱いでは済まされなかったようである。産業革命もかなり進んでからだ。もうすっかり「神は死んだ」という頃になってからだから、社会文化的背景があるのだろう。物理学者のクルックスやキュリー夫妻も霊の解明に乗り出したが、結局正体はつかめなかった。ちょうどこのころ盛んになった理想国家運動は、共通言語や共産主義運動として展開してゆき、アメリカのルーズベルト大統領なども共産主義にのめりこんでいった。超国家運動にとって霊の研究は邪魔だったのだろう。

また、カトリックでも、何度か転生を否定してきた。聖書には、はっきりと、「人間にはただ一度死ぬことが定まっている」と、ヘブライ人への手紙9.27に書かれているからだが、この程度では解釈次第でどのようにも解せるものだ。例えば、邪悪な人間は生まれ変わるが、正しく清き人には転生はない、と解すれば、おおむね仏教の教えに準ずるともいえる。それ以上に、このように語った人物は聖者ではなく、どちらかというと凡庸な一般市民に近い人物であって、イエスの教えをすべて理解し実践したとは到底思えないこともある。それでプロテスタントの一部では、むしろ人間の自由精神を珍重するという立場の解釈もちらほらするようでもある。

カルデックは、霊魂がなにゆえに逆境を選ぶのかという理由についても、幼い霊媒師から教えを受け、実に驚愕したようである。到底高邁な哲学などもちえないであろう愚鈍な霊媒師からの教えを聞いて、当初否定的であった転生譚を受け入れるようになった。彼の業績は現在でも、カトリックの国ブラジルでは記念切手になるなどして広く普及しているという。カトリック教会のほうで弾圧するのと人口に膾炙するというのは別問題で、同じだと考えるのは没個性で権力に盲従する日本人社会位のものかもしれない。

リインカーネーション思想の特徴は、いかにも西欧個人主義を反映してか、霊魂の進歩を説く。その独特な論理の代表が「災因論」というやつである。なぜ私は苦難を選ぶのか。それは魂の成長のためであり、最後の転生を終えて、完全なる至福の状態へはいるためである。自分で受ける試練を自分で受けるという発想は極めてユニークである。「粘り強く耐える気概」を養うためにわざわざ「貧困の人生」を選んだり、その逆に「誘惑に打ち勝つ精神力」を向上させるために「財産や権力のある人生」を選んだりするという。「病気は天からの贈り物」というわけではないがわざわざ欠点のある肉体に生まれることもある。将来の至福のためだ。200年にょり以上前の世の中というのには『人類の進歩』の観念というのはなく、「世界は退歩している」というのが一般通念だった。非常に現代的な考え方であったのだ。

生まれ変わり思想と初期社会主義とのつながりについての、今思うと何か意外なエピソードもある。社会主義というと、ついソ連や中国の連想から、何か唯物思想国家というものを思い浮かべてしまうが、もともと社会主義とはそういうものとして生まれたものではないということだ。代表者としてあげられているのは、シャルル・フーリエ(1772−1837)とピエール・ルルー(1797−1871)である。フーリエなどは共産主義思想のそもそもの祖などといわれているが、あまりあしざまに語られることがないのは、やはりその反唯物論的思想からだろうか。日本でも福沢諭吉がそのアナーキー賛美にもかかわらず、日本資本主義の基を築いた人物であるかのように慕われているのと似たようなものかもしれない。

繰り返し思うが、リインカーネーションの思想が人類の進歩の精神を反映した前向きの発想であるという点に着目したのは新たな観点ではなかろうかと思う。直観的には、生まれ変わりの概念は科学的合理の精神の逆を行くようで、そのために未来志向どころか過去ばかりに固執する後ろ向きの暗い観念ととられがちな気がする。ドイツ毛曳網思想家のレッシングは語る。「おそらく、いくつかの人間の肉体を魂が転生していくという考えは、ある新しい思考法によって生み出されたものだろう。この新しい思考法は、おそらくあらゆるものの中で最も古いものなのであるが」(1778年)。


3つの類型の話が住んだところで、現代に入ってからの前生譚の学究的調査について述べられている。ヴァージニア大学医学部のDOPS[The Division of Perceptual Studies]についてだ。1967年に、イアン・スティーブンソン(1918−2007)によって設立された研究機関だ。この研究に大いに興味をもって多額の寄付を惜しまなかったのが、ゼロックスの発明者チェスター・カールトン(1906−1968)だった。彼の遺産によって研究は進展した。前世の記憶を幼児期(2〜4歳まで)に保有することによって、子供の言語獲得能力の説明も可能となる。遅くても8歳までには記憶は失われるというから、成人した後で得々として語る事例は大体眉唾だろう。もっとも、生まれ変わり以外にも、記憶の倉庫にたどり着いてそこから個人の記憶を引き出していると考えることもできる。多分生まれ変わりというよりも、後者の方が現実にはありそうである。しかし、確かに転生を信じることによる医療効果は大きなものがありそうだし、苦難を耐え忍ぶ精神力も来世の幸福を願うことで増強されるだろうということも予想される。自分以外のものの幸福を願うということで、いわゆる自己に固執する邪念というのがなくなる。


最後の章で、日本人一般は仏道の浄土思想の浸透による霊魂のこの世からの永久消滅を忌避する目的で、子供が死ぬと仏教の影響を避けるためにわざわざ仏道で禁忌されている生臭いものを魔除けとして死体とともに葬ったなどとあったのが気を引いた。どうも輪廻思想はあまり日本には広まらなかったようだ。人間は人間に生まれ変わるものというのが日本古来の通念らしい。中でも、現在の八王子東中野の勝五郎再生譚は、遠く穢土にまで広まり、因幡国若桜藩主の池田冠山の著した「勝五郎再生前生話」はラフカディオ・ハーンの英訳によって、イアン・スティーブンソンの目に留まった。勝五郎は8歳を過ぎても前世のことをよく覚えていて、それに加えて一流の学者が速やかに記録文書を残していたために、世界でも珍しい生まれ変わりの印となった。勝五郎自身はどうだったかというと、55歳で平凡な生涯を閉じたそうである。このことはいささか拍子抜けするところでもある。


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いろいろと本があるようだが、輪廻転生の思想が前向きの捉え方だったということはちょっとした盲点だった。とかく社会と同調すること、政府の言いなりになることが前向きであることだと取られがちなように思う。

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