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zoom RSS 蕉門十哲

<<   作成日時 : 2008/02/11 10:29   >>

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<蕉門十哲>について調べてみた。それぞれの俳句を記してみたが、詳しいことは知らないので、なんだかよくわからない。ほかの人を住人説に取り上げている場合もあるらしい。多分、(1)から(5)の5人がもっとも著名なんだと思う。

 (1)宝井其角(きかく)    「山里は人をあられの花見かな」
 (2)服部嵐雪(らんせつ)   「梅一輪一輪程の暖かさ」
 (3)森川許六(きょろく)   「寒菊の隣もありや生け(いけ)大根」
 (4)向井去来(きょらい)   「岩鼻やここにもひとり月の客」
 (5)各務支考(しこう)    「立ちかかる清水や岩に百合の花」
 (6)内藤丈草(じょ)うそう)  「降ものの名を闇夜なり鴨の声」
 (7)杉山杉風(さんぷう)   「橘や定家机のありどころ」
 (8)立花北枝(ほくし)     「青空や はるばる蝶のわたりづれ
 (9)志太野坡(やば)     「寒きほど案じぬ夏の別れ哉」
(10)越知越人(えつじん)   「行としや親に白髪をかくしけり」


(1)の宝井其角は赤穂浪士の討ち入りの前夜、四十七士の一人大高源五とあったという話で有名だ。赤穂というのは、兵庫県の西の端にある瀬戸内海に面した人口5万人ほどの市であるらしい。


(5)の各務支考が加賀の千代所の師匠であって、「ほととぎすほととぎすとてあけにけれ」で入門を許されたという話はわりと聞いた覚えがある。

(7)の杉山杉風の子孫が女優の山口智子らしい。杉風(1647−1732)というのは魚問屋「鯉屋」のせがれで芭蕉の経済的支援をしていた人らしいが、山口智子(1964−)の時代は「ホテル鯉保」といわれていたが、2005年に閉店したらしい。

(8)の立花北枝というのは刀研ぎ商であったという。この辺が「芭蕉忍者説」とつながるのかとおもったりしている。



芭蕉の時代というのは、まあ日本はおおむね平和ではあったと思う。しかし、せっかく戦国時代が過ぎて、徳川泰平の世になったというのに、すぐにまた彼らの末裔も無益な戦いを繰り広げてきたのが人間の歴史というものだ。こうしてみると、ほとほと何をやっているのかと思う。ばかばかしいというかなんというか、おろかだと思う。

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