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zoom RSS 『国民性』という言葉が与えるもの。

<<   作成日時 : 2008/02/12 22:14   >>

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「戦闘的集団」とか「好戦的民族」などという言葉がしばしば用いられると、その度にある特定の集団構成員の多数派がそうした傾向を有するものだという偏見を、往々にして我々は懐きがちである。しかし、よくよく考えてみれば、そんなおかしな話はおこりえないということにすぐ気がつく。「好戦的民族」などと聞けば、やはり多数派が好戦的でなければおかしいが、そんなはずもない。

似たような話に、平均貯蓄額のことがある。「平均」という言葉はしばしば「みんな」という言葉に置き換えて使用される場合がある。だから、「日本人の平均的貯蓄額は1500万円である」という統計を聞くと、多くの人は「日本人はみんな1500万もっている」という風に反応するのだ。こういうのは直感ではなくて、理性による修正が必要であるので、日常的に感性の度合が強い性格の人にとって、この種の思い込みを取り除くのは非常に困難だと思われる。ちょっと計算してみれば、すぐに平均的日本人の貯蓄額はそれよりはるかに少ないことがわかる。

仮に10人のうち9人は貯金ゼロ、一人だけ一億円5千万円ためたとすると、それで平均貯蓄額1500万円だ。『国民性』などという、経済指標とは無関係な指標にも、こうした計算は当てはまる。しかも、好戦性ゼロという人の多さは、貯金額ゼロなどという人と比べれば、ずっと多いものと予想される。流血を好まないので、武力も持たない、という人は国民10人のうち、8人は超えるであろう。恐らく、戦時中の日本人でさえも、圧倒的多数が平和を望んでいたはずである。それを持って『好戦的』を云々するのははなはだおかしい。極端な感情論がそう主張しているとしか思えない。

昨今では、アメリカは好戦的だ、などとよく耳にする。実際に戦争を行なっているのだから、そう思うのも感情的には当然だと思える。しかし、上述の理由で、好戦的だというのはおかしい。むしろ、アメリカ人の圧倒的多数派は平和主義なのであって、恐らく平和を願う気持ちは日本人以上であるとも推測できる。平和を主張するものの多さからそのように推測するだけだが。


・・・まあ、そういうことよりもだ、さっきもテレビで放送していたが、今年の夏は東京で45℃になるとかやっていた。そういうすぐそばに迫っている危機もある。45℃になるのでは、まだ寒いほうがましというものである。気のめいる話だ。いよいよ地球が滅亡するとしたら、長生きして健康を保ったところで、特に何か意味があるようには思えない。ではインドでは暑くて長生きしても苦しいだけなのに、なぜ人々はヨガをやって250歳まで長命を保とうとするのであろうか?まあ、修行(苦行)の時間を延ばすことで、より天国に行く可能性を増やそうとしているのかもしれないが、そうだとばかり思えないふしもあるのでこれはひとつ疑問が増えた。あるいは、ひとつの解決案として、子供のころ、幽霊というものに対する恐怖が極限に達すると、逃げる代わりにこぶしを振り上げて撃退しようとしたことを思い出す。それに似たようなところがあるのかもわからない。

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