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zoom RSS ナチスと音楽

<<   作成日時 : 2010/08/11 17:15   >>

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先にゲッべルス(ずっとゲッペルスという風に読んでいたが、にごって読むのが正解らしい。そういえば、ライプニッツのことを’ライブニッツ’と書いている数学者がいた)がイ音を440ヘルツに決定し12音階の出発点としたことを述べた。音楽は大衆操作にとって、非常に大事な要素であって、ヒトラーもゲッペルスの音楽的才能は是非利用したかっただろう。また、共鳴の法則の大衆への応用には、絵画のように意識を止めずしては鑑賞できないものよりも、無意識のうちに麻薬のように脳内に幻想と快感をもたらすものは、音楽を除いてはないということを見抜いていた。絵画のほうは、意識的な方法でしか見ることが出来ない。

この辺のことについて調べていたら、『第三帝国と音楽』という書物があるのを見つけた。『感情の腕力』で人々を圧倒し、『魂を揺り動かされる』体験をさせ、出来うる限り思考を刺激することは避ける、のだそうだ。ゲッベルスも、ポピュラー音楽のような思考性のない音楽を重視して、大衆の懐柔に乗り出した。クラシック音楽のように思考的な鑑賞力を要求されるようなものについては、これを普及させるどころか、反対に迫害さえしたという。

何年か前、旧日本海軍の一仕官がたまたまナチスの軍艦の建造現場を見学したことがあったそうだ。彼がびっくりして目を疑ったのが、ナチスの戦艦の中央の一番頑強な部分に彼らが真っ先に固定したものがグランドピアノであったことだったそうだ。ナチスと日本海軍との交流というのは、対戦中あまりないそうで、潜水艦を通じて数回あるくらいだから、こういう情報は貴重だ。ナチスの将校にはピアノをたしなむものが多く、潜水艦でドイツへたどり着いた日本の下士官にも、現地で彼らにピアノのレッスンを受けたというものまでいるらしい。イギリス軍の証言や、戦後のドイツ軍の話などによると、ナチスの戦艦や巡洋艦内では、しばしば戦闘中であってもピアノの演奏を続けていたという。彼らが弾いていたのは、ポピュラーではなく、ショパンのポロネーズなどであったという。軍隊ポロネーズかなんかだと思う。特にショパンを好んだらしい。ショパンのピアノ曲は、なるほどポピュラー音楽に近い感じを受ける。子犬のワルツなんかそうだ。思考性はあまり感じられない。ところで、ショパンはポーランド人だから、ナチスによってショパンの演奏は禁止されていたという話が一般的なようだが、この話とは食い違う。戦時中はどこの国の政府も、国内の情勢を外部に知られないように、でたらめの情報を流していたために、現在ではさかさまのことが歴史的事実として定着してしまったのかもしれない。ベートーベンとかマーラー、シベリウス、ショスタコービッチあたりだったら、思索性が入るので、感情に操られるという危険性はほとんど起こらない。安全性の高い曲だともいえる。

日本海軍には意外であったらしいが、軍艦にピアノを設置すること自体は、当時でも今でも、ヨーロッパやアメリカでは極普通のことらしい。ただナチスの将校はそれにとりつかれていた様なのは、イギリス人やフランス人から見ても異常であったようだ。

先に、プラトンのアカデメイアでは原則として音楽は禁止されていたらしいということを話した。どうもピタゴラスの純正音律は、現在の平均律と比較すると、はるかに人間に対し、共鳴から発する恍惚感・魂からの歓喜といったものを起こさせやすく、その分大変危険なものととらえられていたようだ。もちろん、プラトンにしても、理性によって分析可能な正しい音楽のハーモニーが人間にとって非常に有益であることは言っている。魂を揺さぶる愉楽的な音楽は、知性に先行して起きるだけで、そういういわば邪悪なものは真実の究明の邪魔になるので、退けただけだと思う。

釈尊やイエスは音楽をどのように考えていたのだろうか?ギリシャ音楽のように、強烈なインパクト、共鳴から生じる魂の揺さぶりのようなものはなかったかもしれない。後にキリスト圏が、ギリシャの数学経を迫害したのも、その音楽を危険思想と感じていたからではなかろうか。おそらく、恐怖のために迫害を始めたのであろう。ちょうど、アメリカやイギリスが日本に原爆を投下した(アメリカに原爆投下を強く要求したのはイギリス、アメリカを参戦させたのもイギリスだった)ときも、恐怖が原因であった。それと同じだ。



ゲッベルスは、ナチス政権の閣僚で、唯一軍隊経験のないことをひどく恥じていたため、第二次大戦開始後にフランスのドイツ陸軍で2ヶ月間、名誉将校を勤めたという。もともと、1920年にはハイデルベルグ大学で、哲学博士の称号を得ていたくらいだから、えらく物知りであった。その上演説はヒトラーに継ぐといわれるほど巧みで、私小説や戯曲も書くという多彩振りであった。哲学者としての人生観からか、蓄財にはまったく関心がなく、ひたすらヒトラー個人に忠誠した。金にはまったく執着を見せないため、マルダ婦人との間に5人の子供を儲けながら、習性借金に終われる毎日だったそうだ。

このようにみてみると、現在では「ナチスは盲目であった」などということが当たり前のように言われているが、盲目なのは実はわれわれ一般人のほうなのであって、かえって盲目であるがゆえに社会を平穏にしているのではないかと思えてくる。よほどの大義名分のようなことがなければ、史実があのようになるわけがないことは誰でもわかることだ。(少しいいように騙されている)。

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