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zoom RSS 勤勉は美徳なのか。

<<   作成日時 : 2010/09/15 15:53   >>

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「西欧の没落」という本がシュペングラー(1880−1936)にあったが、あの本は第1次世界大戦後のドイツでベストセラーになったそうだ。産業革命以来、西欧の機械文明の急速な普及は、全くといってよいほど、人間の幸福には何ひとつ貢献していないように見える。社会が発達し、生活が便利になればなるほど、人々は幸福に包まれた気分になるどころか、かえって反対に、人間疎外の暗い人生を送ることになっていった。しかも寿命の延びた分より不幸になっていく。個人的な繁栄を求めて勤労にいそしめば、自分個人が豊かになる度合いよりもはるかにすばやく社会が巨大化してゆく。相対的には平均して金銭に還元できる富さえも減少するため、精神的な富を代償にして働いてきた分だけ、余計に貧しい人間が増える。

もともと、多くの文明にあっては、労働は卑しいものであった。アリストテレスは、「労働は人間性をいやしめるもの」として強く排撃している。プラトンなども同様であった。経験則に照らせば、勤労が人間性を低下させるものであることは確からしい。勤労そのものが直接人間の性格を堕落させるというよりも、勤労によって得るものがわざわいすると考えたほうが正しいと思う。金銭などの収入は増えるだろうが、思索のための自由時間も減るであろうし、おそらく睡眠時間も減るために身体にも悪影響が出るだろう。外部からのストレスも増加する。徳が増大する要素はあまりない。精神的な富が増加するようには見えないので、金銭がいくら増えても、富が増えたという充足感は本人にはないだろう。実際、キリスト教でもかトリックでは、一般的に労働をわずらわしいもの、軽蔑すべきものとしてとらえたようだ。その風潮が転じて、アジア諸国の植民地主義が始まったなどという説もある。しかし、植民地の奴隷支配が激しくなり、現地人の家畜扱いが始まったのは、勤勉を尊いものとするプロテスタントの時代になってからのことだ。古代ギリシャでも古代ローマでも、奴隷は家畜とは違って人間であって、命令を聞かないからといってむやみな扱いをすることは主人であっても出来なかったようである。勤労にならない程度の労働であれば、大概の主人は奴隷と一緒になって田畑を耕していたらしい。古代ローマにいたっては、奴隷の人権は国法により保障されていて、主人から暴行を受けた奴隷には裁判所へ訴える権利が認められていたらしい。対して新アメリカの黒人奴隷のほうは、主人の思うままに扱うことが出来たようだ。勤勉が心を堕落させたためだとも言える。

今では、富といえば、それは即ち私有財産=金銭的価値のあるもの、を意味する。そうした考え方も、アダム・スミス(1723−90)の登場以来伝統的となったものだ。勤勉[industry]とは、私有財産を獲得し続けることであり、そこから産業[Industry]というものが生じた。その言葉には、人間的な徳の積み重ねこそが、人間の最大の富なのだという思想は微塵も含まれていない。どうも聖書、特に旧約の箇所などを見ていると、勤勉という言葉は労働に対する言葉として使われていたのではないかという感じも受ける。しかし、聖書の解釈というのもいい加減なもので、古いものだと思われているが、実際はイングランドのジェームズ1世の欽定訳[Authorized Version](1607−11)が基本になっているらしく、内容は英語が完成に近づいた以降のことで、イエスの時代のキリスト教がどうであったのかはよくわかっていないようだ。

日本では有名になっている「働かざるもの食うべからず」という言葉は、新約の「テサロニケ人への第2の手紙(紀元50年か51年頃、パウロがギリシャのコリントで書いた手紙らしい)」の終わりの方に出てくるのだが、これも「働こうとしないものは食べてはならない」というのが本当であって、大分ニュアンスが異なる。しかも「もし働かない場合には、食べることは出来ないだろう」というほうがより原意に近いらしい。こうなると、もうこれは自然の摂理なのであって、もし働かなくても知恵を絞って食料を得ることを可能にするのが人間の使命なのだ、などと、少々天邪鬼な解釈をすることも出来る。実際、ユダヤ人の暮らしぶりなどを見聞きすると、どうも彼らは思考の妨げとなるような労働というのを極力避けているように見える。イスラム教の考え方も似たり寄ったりだ。ユダヤ人ほどではないだろうが、「悟りと労働は相容れない」という思想が見える。その上、「働かないもの」もいるだろうが「働くもの」もいるわけである。パウロ自体、日夜労苦して働いたのは、兄弟たちに負担をかけないためで、働くものが同じ兄弟である集団の中に何人かいれば、他のものは額に汗して働かなくても、瞑想という有意義な「神への働きかけ」という本来の働きをなすことも可能になるはずである。何しろ、宗教での最大の働きといえば、最も神に近づこうとすることとか、解脱を得ようとすることで、肉体労働をすることが目的ではないのだから、この言葉にそんな強い意味があると考えるのはおかしい。

レーニンは、しばしば、この「働かざるもの食うべからず」という言葉を引用したといわれる。しかし、社会主義者、共産主義者が聖書を持ち出しても、もともとが唯物史観の持ち主のことであるから、原点の奥にある意味のことなどには全くお構いなしで、ただ自分の都合のよいように理由付けしていたに過ぎないだろう。マルクス主義に変わるような平等思想というのはまだ現れていないが、唯物論という考え方自体に、間違ったものを感じる。現代の機械文明の恐ろしさも唯物論にあるのかもしれない。突然、精神病者のように唐突な行動に走るのがこうした思想の持ち主だ。

「真の労働とは何か」という問いの答えが、「神への奉仕」であるという立場に立つならば、肉体労働も、今風の勤勉さも「悪魔の誘い」のようなものとなる。人間の基準でいう善悪などたいていは同根であるというわかりやすい例として、「ものみの塔」(ウォッチ・タワー)の話がある。日本では「エホバの証人」と呼ばれることが多いそうだが、世間では彼らが輸血を拒否して家族のものを死亡させた場合、よくそれを殺人扱いしていることを見かける。しかし、彼らにしてみれば、輸血を行なった時点で患者は死ぬのであるし、そもそも死の観念が異なるのであるから、われわれの言っている話のほうこそ全く見当違いな話なのである。

ユダヤ教やイスラム教だけではない。仏教のほうは、完全に仏門に入ったものの生産活動を禁じていた。仏教となると、はっきりと「労働は修行の妨げ」という考え方が現れてくる。僧侶は、金銭に触れることも禁じられていたらしい。布施だけで生きているというのが本来の坊さんである。

やや例外的に、イソップ(前620頃―564)「ありとキリギリス」の話がある。ただし、本来はキリギリスはせみであって、寿命の短いせみが秋を越えて冬まで生きていることなどほとんど考えられないことであって、そのように考えると、「一見非常に無駄のように見える万一の場合のたくわえも必要な場合がある」というのが作者のいいたかったことなのかとも思う。しかし、どう考えてみても、せみのたくわえなど無意味に思える。キリギリスにしても、冬までもたないだろう。ひょっとすると、独りっきりで、太く短く生きるものにとっては蓄えは不要だが、家庭を持つものには備蓄は必要だ、という教訓だったのかもしれない。それとも、大昔の人間は歌い続けていても将来の備えなど不要であったのに、現在の人間はありの様に働いて将来の心配をしなければ生きていけなくなったという歴史物語なのか、よくわからない。ヘシオドスより後の人だが、ヘシオドスが「昔の人間は働く必要などなかった。病気や飢えも、邪悪な鉄の時代に生きるものへの業罰として天から下されたもの」だなどとしていることから見て、イソップの考えもこれに近いものがあったのかもしれない。黄金時代のせみは冬を生き延びて、飢えなど経験したことなどなかったであろう。アリたちの心も、働くことによって邪悪となっているから、せみを助けようとはしなかった。そのように解釈してみると、例外ともいえなくなる。

このように、人類の歴史の大部分において、労働とは忌まわしいものであって、病気などと並んで、マイナスのイメージを持つものであったのが、極最近になって好ましいものへと転化していったということの背景には、やはり為政者の押し付けによる教育が関係しているもののように思えるのである。勤勉が美徳であるかのような幻想を労働者に植え付け、ひたすら肥え続ける国家という寄生虫には鼻持ちならないところがある。

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