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<<   作成日時 : 2010/10/13 19:02   >>

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ちょうど1985年頃、日本がアメリカの不動産や絵画の買収を始めて、「アメリカをのっとるつもりだ」と海外で叫ばれていた頃には、盛んに「ゆとり」ということが叫ばれていた。少しぐらい効果があったのかと思いきや、エイベックスの社長室に「遊びが仕事」とか「仕事が遊び」と毛筆で書いてあるくらいで、あまり代わり映えしない。先日有給休暇の消化率の各国比較というのが乗っていたが、日本やアメリカは相変わらずひどい。日本は昔から、勤勉を美徳だと勘違いして働くだけ働いているわけだが、アメリカ人の勘違いも似たようなものらしい。似たもの同士の間柄だが、江戸時代は異なっていた。たいていの日本人は働くということをしなかった。生活のために、数日働くということはあっても、たいていはごろごろ時間をつぶしていた。みんなそうであったからお互い遊ぶことはたくさんあった。心の病などというものとは縁がなかったわけだ。それで結構70,80才まで長生きしていたのだから、別に勤勉でなくても維持できる社会構造というものはあったに違いない。明治維新以降、アメリカから勤勉の思想を取り入れてから、日本人の生活にはゆとりがなくなった。かつて、「丸太小屋に住み、カメラを持っていつでもせわしなく歩くだけの働くだけの蟻」とエリオット(1888−1965)らに揶揄されたアメリカ人であったが、日本人の印象もそれとほとんど同じようなものであった。

それどころか、当時よりもむしろ今の方が日本人は働くようにさえなってきている。ゆとりを求めてきたお陰で不景気になったのだから、日本人はかつての「エコノミックアニマル時代」のように勤勉でなければならないという主張だ。史実とは正反対に、「日本人はアメリカ人とは異なって勤勉なのだから、この美しい特性をもっと生かさねばならない」などと頭から思い込んでしまっている人間さえ出てくる始末である。明治の維新政府以来、「勤勉は日本人に古来からはぐくまれた美しい大和心の最大の宝物である」などという教育にすっかり洗脳されてしまって、もはや真実が見えなくなってしまっている。勤勉とはエコノミックアニマルを生んだ恐怖の思想なのだ。古くは軍隊教育に利用され、散々な目にあったのに、まだ懲りないでいる。われわれの先祖が怠慢であれば、戦争などやらなかったであろう。国勢調査でも、今の日本は20代の夫婦はほとんど共働きだという。共働きでは、働けば働くほど貧しくなってゆき、貯蓄はできなくなる。この辺のことは、昔渡部昇一氏がいっていたことがある。松下幸之助氏を引き合いに出して、彼が「独身のときは独りでも赤字だったのに、結婚して二人になったら、給料は前と変わらないのに、黒字になって貯金もできるようになった」ということを例に、安易な共働きをいさめる話だ。家計費などすぐに3分の1に減らせるが、むやみに使えばすぐに倍以上になるからだ。働かなければよいのだ。それが出来ない。働かなければ、貯蓄が出来る。しばらくすれば、自分が労働をするのではなく、富という兵士に命令して働かせることができるようになるだろう。

「怠慢な軍隊ほど強い」と言ったのは、ドイツの将校ハンス・フォン・ゼークト(1866−1936)とされる。第1次大戦後のヴェルサイユ条約のきびしい軍備制限の中でドイツ陸軍を再建させた恩人だ。後中国軍に要塞作りを手ほどきしたが、ゼークトラインと呼ばれた防衛線は、日本軍によってあっさりと攻略されてしまった。ゼークトは、「馬鹿で勤勉なものは最悪の軍人である」とも言った。似たような理由で、ずっと以前にフランシス・ベーコンは、「勤勉な兵士は、国防を弱体化させる」という理由で、勤勉が善であるという考え方には疑問を呈した。「狼に率いられた羊の軍隊は、羊に率いられた狼の軍隊よりも恐い」というのも同じような理由からであろう。

ゼークトの発言だとも、ハンマーシュタイン=エクヴォルト(1878−1943)のそれだともいうが、「怠け者はバカでも利口でも使えるが、勤勉なものは利口なものしか使えない」といったことが人口に膾炙して今も伝わっている。人間の多数派は、バカで占められているので、勤勉な国の軍隊は弱いということになる。勤勉だが無能なものは、誤っていることであっても頑迷に進めようとして、かえって反対の結果を招く。おろかで怠け者なら、命令どおりに動くだけなので、誤っている行動はとらないものだからである。

ハンマーシュタインというと、アンチナチスで有名な人で、1943年にベルリンでがんのために死去した際、棺がハーケンクロイツで覆われることを嫌って家族または本人の意思により軍人墓地への埋葬を拒否したことでも知られているそうだ。ヒトラーから送られた追悼用の花輪も墓には飾らなかったという。1944年の7月20日事件に関しては彼の息子2人ともヒトラーの暗殺計画に加担したということで投獄されたそうだ。

勤勉性と国防が本当に反比例するものかどうかは、もっと深く調べてみないことには何とも断言できないところがある。だが、先に「ホモ・ファーベル」のティルゲルやベルグソンに対向して、社会哲学者の今村仁司氏は、「本当に労働は人間の本質なのであろうか。・・労働が必要な活動であるからといって、労働が人間になくてはならない本質的な活動であるとはいえない。むしろ反対に、必要と必然の活動から可能な限り解放されることこそ、人間のまっとうなあり方になるのではないか」と述べているそうだ。自立的に生きるためには「労働中心主義文明」を脱却する必要があるのではないかという。ただやむを得ず労働するというのではなく、むしろこちらから積極的に労働を拒否する。それがこの機械文明の毒素を徐々に分解し無害なものに還元してゆく手段でもある。労働に最も高い評価を与え、憲法にまで「働かざるもの食うべからず」と規定したソビエト連邦が崩壊したように、この資本主義社会の毒の霧も徐々に晴らしてゆかなければならない。資本主義も社会主義も共に人間の尊厳を踏みにじっているという点では同じだ。むしろ、人間社会の理想を追い求めた結果が社会主義だったのだということを考えれば、社会主義のほうが資本主義よりもましなものであるとも言える。資本主義の撒き散らす禍の数々が恐ろしいものであったが故に、人間尊重の立場から社会主義が作られた。しかし、資本主義世界の陰険なたくらみによって、社会主義は潰えた。

アメリカの政治哲学者で、ドイツ人のハンナ・アーレント(1906−1975)も労働というものに対していくばくかの疑問を呈している人だ。労働を仕事や製作と同一視することによってそれを理想化するベルグソン学派に対しては大いなる批判のまなざしを向けている。

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