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zoom RSS 迷妄な洗脳教育

<<   作成日時 : 2010/10/31 16:45   >>

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このように何度か日記メモをつけていると、そのたびに新しい発見というものがある。どこかで検索して調べているうちに意外な事を見つけたりするのだが、ネットには個人的な思い込みというものも多いので信憑性には少しかけるものがある。全く正反対な主張もあるが、歴史的な背景を調べると、どちらも真実であるのに驚くことも多い。人間の歴史というものは、全くの同一人物で同様の思想を持っている場合であっても、時により正反対の事を行っているのだから面白いというかややこしいというか、いろいろである。同じ放射線を受けても、元気になる人もいれば、死んでしまう人もいるのと同じようなものだ。

この夏は、霊媒とか心霊現象について調べて、それが相当の高い確率を持って存在するということを発見した。どうも長南年子の超能力なども本当にあったとしか思えない。よく考えてみると、原子の存在というのもただの受け売りなのであって、無条件にそんな話を肯定するというのもおかしな話なのであった。特に、物理学とは異なって、化学の世界ではあれを実在だとしているようだが、あくまでも便宜上のものだ。見えもせず、触れることも出来ないものを、実在のものなどと言い切るようなことは、悪く言えばいかさまかペテンに近いものである。反対に、天使などを見たり触れたりすると証言する者は多い。これが観念上のものだという理由は、それがすべての人に見ることが出来ないから、というに過ぎない。

すべての人に同じように見えるわけではないから「非科学的」なものである。ただ「非科学的」とはそういうことに過ぎない。別段否定しているわけではないのだが、なぜか総じて神や天使の世界は科学によって否定されたと思い込むものが圧倒的に多い。こういうのも、教育が生んだ迷妄というのだろうか。よく「社会に洗脳された」という言い方をしているようだ。間違えた言葉の使い方をしているとしか思えないものに「還元的な教育の産んだひずみ社会」なんていうものがある。還元的なもののとらえ方が出来ないから、社会に洗脳されるのだ。最近は大学にまで進学するものが増えてきたから、昔よりもいっそうこうしたことが多く目に付く。しかも学問という表向きの衣装を身につけているから、外向きにももっともらしい。大学院レベルであるとさらにそれが目立つ。昔、精神分析家のフロムが「社会に出て悩まないというのは、自ら考えようとせずに生きているからだ」などという意味のことを言っていた。色眼鏡をつけたまま、それが当然だという生き方をしている人は、神経症にはならない、などという。学問への韜晦ということばもあるが、確かに、学者というものは圧倒的大多数がのんきに生きているように見える。自己というものを見ようとしない生き方が楽であるという証拠だ。記憶によるもやというものもある。同窓会などで、昔の姿を髣髴とさせるような人に会うと、若いように感じるのもそういうところがある。実際はしわだらけで、年寄りふけて見えそうなものなのに、昔のイメージが出てくるというだけで若いと思ってしまう。あとで写真など見たり、道端でよく似た老人にあったりすると、はっと驚くときがある。

洗脳という面から、戦争というものを捉えてみると、日本人が社会主義の人間を嫌うというのも、どうも「洗脳教育」の生んだゆがんだ偏見らしい。ロシア人に対するいわれのない蔑視感というものにはひどいものがあった。おまけに、軍隊というものは、スパイによる諜報活動を欺くために、実際にやっていることとは正反対の文書を、あたかも正式な文書のように作成しておくものらしい。スパイではなく、国民を欺き、軍需物質を軍隊が独占できるように計画したものが、ABCD包囲網という虚構だ。これには米軍もだまされて、日本海軍の石油資源が無尽蔵に近いということに愕然としたということは前にも書いた。だまされたというのは、米連邦政府のほうも一応は日本への経済制裁を表明していたようであったからだが、日本が大騒ぎをしているのを耳にして、どのアメリカ人も、自分たち以外の州では政府の表向きの命令に従っているものと理解したからである。もちろん、米軍のほうも軍隊内に偽情報を隠し持っているわけだから、真偽のほどはわからない。後年これを発掘した人というのは当然史実の歪曲を報道することにもなる。最近はソ連が崩壊したため、八つ当たりに近い無明な感情が中国人に移ってきた感があるが、それでもかつてのロシア人に対するほどのものはないようだ。


私自身は、社会主義とか共産主義のような体制には反対だ。第一、人と同じことをやるというのが嫌でいやでたまらない。人間の命は皆平等などという医者も嫌いなのだが、これは自分で考えてみてもかなりおかしいが、好き嫌いだから仕様がない。共産主義だから、道具なども皆一緒に使うのが当たり前だ。戦争の場合だと、味方の兵隊も敵の捕虜も同じ道具を使う。シベリアでも、日本人捕虜が道具を使って仕事をしないので、仕方なくソ連兵が作業していたという日本人捕虜の証言みたいな本があったが、ちょっとこんなのはごめんである。本来、自由思想は社会主義や共産主義とはなんら関係はなく、むしろ資本圏に比べ自由度の割合は高いはずなのであるが、それでも、人間は等しく平等であらねばならないというのは残る。大体こういうのは資本圏であると、イスラエルなどわずかなところを除けば、捕虜が正規兵の道具などを使えば泥棒である。それでソ連兵のことを日本軍の兵隊が泥棒扱いしていたことの説明がつく。人のものは自分のものであるということにもなる。ソ連のレーニン憲法と、日本国憲法を比べると、一つだけ非常に似た点があることに気がつく。前者は「働かざるもの食うべからず」と規定し、後者は「勤勉であれ」と説く。ドストエフスキーなどは、勤勉の概念を非常に嫌って、自国の労働者をドイツ人になぞらえ、「働いているばかりの人間が人間と呼べるだろうか?」と批判している。ソ連の兵士と日本の兵士の戦い方は互いによく似ていた。ソ連のほうが徹底していたが、双方とも玉砕するまで戦った。日本軍にしても、降伏ということはめったにしなかった。してみると、仮に日本人同様に強制されたものであっても、ロシア人は意外と勤勉であって、時としてそれは日本人以上であったので、日本の嫉妬心を買い、それがロシア人嫌いの原因となったとも考えられる。

自衛隊もソ連を仮想的として常に警戒を怠らなかったが、印象に残ったのは、大韓航空機撃墜の際、ソ連軍のとった行動を弁護したことである。周囲があれほどソ連を非難している中で、当のソ連を弁護すれば自分が批判されるということはわかっているのにもかかわらず、あえて気の利いた言い回しを避けた。しかも「ソ連はもっと早く撃墜してもよかった。核兵器を搭載している恐れがあるのだから、撃墜命令は進入直後には出されていたはずだ。航空隊の隊長はよほど人間味のある人だったのだろう」などと発言して、白い目で見られていた。自衛隊は、過去の大本営が犯した事実の隠蔽工作について十分反省しているために、何事もかくさずにありのままを述べることを心がけているようだ。最近の「あたご事件」などでも、いい加減な妥協というのをしない。そのほうが安全で、軍人の心はガラス張りでなければならないと思う。


追記:インターネットで「ソ連に関する誤解」というので検索をかけたら、満州に侵入したソ連兵の略奪というのは実際は少なく、犯人は中国人だったというのが出てきた。中国人にしても、泥棒というのではなく、取られたものを取り返しているだけの、もともとの所有者であったから略奪者ともいえなかったそうだ。そういわれればその方がもっともらしい。とに角、明治維新以来、日本政府は国民を所有物とみなして、好き勝手やってきたわけだ。だから下手なことが露見してフランス革命のようなことが起こって権力筋が処刑されてはたまらないから、とんでもない嘘八百をばら撒こうとするのは当然である。歴史のつぎはぎ模様で、ところどころ色調の異なっているところもあるから、反対のこともあるにはあるだろう。しかし、全体として日本は売国民主義であったことには違いがない。現行政府にしても、そのような旧秩序の残滓的なところがある。年金の受給問題などにおいても、いまだ国民を欺いてきた時代のものが取れていなかったようだ。大日本帝国も物には限度があるということを知らない駄々っ子ぶりだったが、今に至るまでも日本政府はどこか幼稚なように見える。それに、前回調べていたことで、明治政府の軍隊というのも、果たしてこれは徳川政権下の武士よりもまともであったかといえるのだろうか、と大いに疑問を持ち始めた。というより、前にNHKの大河ドラマの「篤姫」というのがあったが、あの頃から少し疑問に思っていることだ。徳川幕府は、従来固執頑迷の代表のように思われていたが、案外家康は大天才なのかもしれない。

 トロツキーなどは、日本帝国主義の他国に類を見ない侵略性は、日本社会の特殊な構造から生じるものとしているが、日本帝国主義の野望は決して現実化はしないだろうということを、1932年の時点で米国のブルジョワ雑誌に投稿している。そもそも、人の領土まで出かけていって、そこで戦おうなどというのは、その行為だけで侵略だ。正々堂々と戦おうとするからには、戦場は公の広場でやるというのがすじというものである。ただし、日本の侵略を公認しているのはフランスであると、大々的にこちらも非難してはいる。日本の侵略によって、ソビエトが衰えるのは、フランスの望むところなので、ヨーロッパ帝国主義諸国は、ひそかに日本を援助していたのだろう。そういう勢力も、かなり大規模なものがあったことをうかがわせる。これが直接の原因で日本が連合国を離れ、敵対関係にあったドイツに接近して行ったわけでもないだろうが、フランスと敵対したドイツを賞賛したというのはあるかと思う。

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