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zoom RSS 労働と軍隊的精神

<<   作成日時 : 2010/12/26 15:34   >>

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前に、怠け者の軍隊は強いという話をした。逆に、勤勉な兵卒からなる軍隊は弱い。確かに、ソ連や中国では日本以上に勤勉を重視する。そのため、あちらの軍隊はあまり強くない。日本軍にしても、伝えられるほど強くはなかったようだ。私たちの時代は、日本軍は物資と兵力の不足を力で補ったということを聞いてきた。連合国の行なったことは大体において非人道的で、根本的に誤っているのだと教えられた。それで小学生のとき、東京オリンピックで「アメリカが勝てばよいと思った」という風なことを主張したら「こんなのがいるから戦争に負けるんだ!」と担任の教師が家まで押し寄せてきたことがある。戦後日本の教育は、「自虐的史観」に陥ったとよく言われるが、高校辺りまで、軍隊式の教師が多かった。それどころか、ネットを始めるまで、「自虐的史観」などという言葉がこれほど通っているとは思わなかった。国民の祝日に国旗を掲揚しない家が増えてきたのが40年位前のことだと思うが、まだそのころは相変わらず特攻精神は日本軍の誇るべきもののようにいわれていた。中学の頃までは、プラモデルといえば日本海軍の軍艦だとか、陸海軍の戦闘機が多かったから、「自虐的」などというものとは程遠い。ただし戦車だけは日本軍のものはあまり見かけなかったように思うが、「自虐的」というのは、多分大学を出た頃から一般的になりだした概念だと思う。その後、日の丸の国旗を踏みつけたり、高校の卒業式に起立をしない生徒などが出てきたが、日の丸と軍旗とは関係ないと思うが、そのころから妙になりだしたものと思う。

日本軍の行なってきたことは、大体において恥ずべきものであろうが、それを日本の歴史全体にまで拡張するのを「自虐的史観」というのだろう。この辺を勘違いしているのか、日本軍の行いは立派であったとことさらに主張して、それが正しい歴史認識だと思っているようなグループもある。たとえば、東京裁判は、日本の正式な意見を取り入れた裁判ではないなどというが、仮に日本の正式な裁判を行なったなら、多分判決はもっときびしいものになったであろう。連合国が行なったから、かえって冷静な裁判が行なえたといえる。国民の合議で行われていたなら、天皇にまで責任が及んだかもしれない。靖国神社等は、国民の虐殺者を祭ってあるだけであるから、当然天皇は参拝しない。だから軍国主義者なども、当時の国会の議長席から見れば「右翼」といえるかもしれないが、国民の側から見れば「左翼」団体なのであって、名前だけ右翼を名乗ったところで、本来はアンチ日本人だといえるわけだ。

さて、「勤勉な軍隊は弱い」ということを最初に主張したのはフランシス・ベーコンらしい。ベーコンの哲学は科学技術礼賛であるから、本来ならば、労働をたたえ機械的技術を高く評価してもよいはずであるが、これらは人間の注意を軍隊的精神から逸脱させるとして、むしろ軽視した。後に、ハーバート・スペンサーも、労働と軍隊的精神の間に相容れないものがあることを指摘した。軍隊は国家の存続に必要不可欠であることから、労働よりも軍隊を重視したわけだが、非常に興味のあるロジックである。ドイツ軍のゼークトの言は有名だが、ドイツ労働者社会も一般に勤勉であると思われている。しかし、ドイツ軍は決して弱くはなかった。ドイツ軍がこの問題をどう解消したのかという問題もおもしろい。大2次大戦中、ドイツ軍を尋ねた日本潜水艦の乗組員が、ドイツ軍人が思ったほど働かないことに驚いたという記述があったことをふと思い出した。ドイツ人は勤勉であると聞いていたが、少なくともドイツ海軍の水平たちはそれほど勤勉には見えない、という。このときの観察者は、日本軍の勤勉さがずば抜けているものと解したらしく、読んでいる自分自身もそう解釈したのだが、もしかするとドイツ軍の意図的なものであったのかもしれない。怠け者を兵卒に抜擢し、勤勉な者を産業にむければ、それだけで、非常な効率化が図れる。こういうと、怠け者だから、ニートでもよいのかという人が出てくるだろうが、もちろん、ニートではだめだ。しかし、ニートを兵隊に起用すれば、戦闘は起こりそうにもないというメリットはあるかもしれない。怠け者なら容易に発砲はしないだろうが、勤勉な大衆はすぐに発砲するだろう。おまけに、自分の頭で考えて、臨機応変に行動する。結果として、命令道理に動こうとはしないので、各個別に攻撃されるのと同じで、たちまち全体が壊滅する。

もう一ヶ月以上もこのロジックの真偽性を知ろうと思っているのだが、なかなか思い当たる理由が浮かばない。ベーコンが勤勉に対して否定的だったというのも、ティルゲルの「ホモ・ファーベル」で知っただけだ。ただいえるのは、どうやら、勤勉な人間ほど眼前のものしか見ようとはしない。まったく視野が狭く、自身に利害の及ばないことには無関心であることだ。仮に道を歩いていて、水溜りでもあれば、どんなに浅いものでもよけて通ろうとする。怠け者は、おそらくこういうことはしない。多分、面倒くさいので、最短の経路を通ろうとする。浅い水たまりであれば、よけたりはしないだろう。何人もこうしたものがいれば、いつしか水溜りは行進に吸い取られて消えてなくなる。水溜りではなくて、少しぐらいの障害物なら避けて通るということもしないで進む。岩や石ころのようなものでも、踏み固められ、角が取れて、普通に歩けるようになってくるということはある。

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