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zoom RSS 不老不死を求めて

<<   作成日時 : 2011/01/12 16:12   >>

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秦の徐福が、始皇帝に取り入って、東海の三神山(蓬莱山、方丈山、瀛洲(えいしゅう)山)に、仙人や不死の霊薬を求める探検に出かけた話は有名だが、別段、始皇帝に不老不死の妙薬を求めることを強要されたわけでもないらしい。現代の人間というのは不老不死にあこがれるし、かなり昔の人間にとってもそうであって、それだから「万古不易の憂い」などと死や老化現象のことを嘆くのであるが、時と場合によっては、不老不死は忌むべきものとされていたようだ。戦国時代などで、生きていても苦しむだけであれば、生よりも死を求めるのが道理であって、死こそがまさに永遠の生というしだいである。八百比丘尼譚なども、異常な長寿はむしろ気味悪がられて扱われていた。日常臨んでいるものでも、いざ実際にそれがかなえられると、途端におぞましいものに見えるものなのだろうか。金銭などについてもそれはいえる。平均的収入を逸脱して、あまりに金銭を得てしまうと、伸びたゴムひもが元に戻ろうとするのと同じで、心の状態も、元の状態に戻ろうとする。そうした欲求の出ない人は、サラリーマンでは象牙の塔の人くらいだろう。最初から世間知らずの人であると、この種の抵抗感はほとんどない。学生時代から、ゲーム感覚で、50万円の元手を200億以上にした人が、貧しくなろうという欲求を感じていないようなのは、彼が世間並みの人付き合いを知らないためでもあろう。世界の中で現代日本人の思考形態が特に奇異なのかもしれないが、「不老長寿は人間の望みである」などと決め付けるというのは、はなはだ能天気なのであろうか。一方で自殺者が多いというのは住みにくいということの現われともいえるが、自殺したいという人間が多ければたいてい反対も多いというのが世の常だ。自殺者が少ない国だからよい国かと思えばそうではないということもある。そういう国ではたいてい国民の感情の起伏の差が少なく、希望をもって生きている人もまた少ないものである。

荘子の逍遥遊篇に在る〈はこやの仙人〉の話なども、不老不死への憧れを物語るものと言える。憧れとは、手に入れたいものなのだろうか、それともそれは自分では身に着けたくはない能力であって、畏怖の念のほうが上回るものなのか。それに、これらの人にはどうやら義務のようなものがあって、それは天からの命令のようなものであったかもしれないのだが、地上に災いのあるときは出動して人々を救済しないといけないらしいのである。それならば、天国で寝て暮らしたほうが、ずっと楽だろう。多分、そのような理由で、現世での不老不死には余り人気が集まらなかったのではなかろうか。一般の庶民にとっては不老不死などというものなどどうでも良く、ごく一部の反骨人だけが「不老不死の思想」を広めるだけであったものなのだろうと思う。反骨人といっても、肯定的な意味ではなくて、むしろ「天邪鬼」的なものだったのかもしれない。

霞をくって生きているような人の存在は時々報告されているし、それなりに調査も行なわれていて、そういう人が存在していることは確からしい。食うというより、呼吸と共に肺でとらえるのだろう。大体一回の呼吸で2000ccの喚起を行なうとして、かなりの深呼吸で一分に10回呼吸をするとする。そうすると一日3600分だから、3600×2万cc=7200万ccの中に、微生物のタンパク質がどのくらいあるかという話になるのであるが、これは見当がつかない。1立方メートルのが100万ccであるから、4立方メートルでこれが64個分、大体このくらいの見当か。〇℃、1立方メートルの飽和水蒸気量が約5グラムだそうだから、5グラム程度の水がいつも大気には含まれているとすると、これが70倍で350グラム。常人は一日2リットルの水分を必要とするそうだが、大体一日これくらいの水を取れば足りるという人ならいそうである。バクテリアが水のようなもので構成されているとして、水が18グラムで6×10^23個あるから、バクテリアの体もこれに準じるとする。今仮にバクテリアの大きさを一片が、0.5ミクロン(10万分の5センチ)のさいころ型だとすると、バクテリアの比重を1とした場合、バクテリア1個の重さは1.25×10^−13くらいか。あまりちゃんと計算していないが、どうもこれでは栄養が取れそうにもないので、面倒くさくなった。大体、空気中にバクテリアが何匹いるのか、詳しく調べたような資料もないらしい。土ばかりくって生きている人がいたが、これでは仙人とはいえないし、泥中にはビタミン、ミネラルも細菌の数も比較的豊富であって、腹を壊さなければ、必要な栄養素は十分取れるだろう。特にミネラルは十分にある。

どうも仙人というのは、太陽熱エネルギーで動くのか、それとも原子力エネルギーで動くのかということを考えたほうがよさそうだ。どちらのエネルギーの利用も、通常一般人には不可能だが、ただし、太陽光線の利用でビタミンDが合成されるということを考えると、少なくとも太陽熱の利用に関してはどこか痕跡器官のようなものが残っているのかもしれない。

そういう次第で、のまず食わずで生きている人間は実際に存在するのであるが、不老不死の人はいまだかつて誰一人として有史以来その名を残したものはいない。もしも、大言壮語が原因だとするならば、不老不死を名乗るものが出てきてもおかしくはないところだが、話題になるのは不食の人ばかりなのだ。


仙人になるためだかどうだか知らないが、「五石散」(ごこくさん、ごせきさん)という一種の毒薬を服用する風習が、古い中国の時代にあったらしい。魏の時代に、後漢末の代償軍可進の孫の可晏(190―240)が大いに広めたそうだ。老荘思想によって儒教を解釈する、いわゆる玄学というものを起こした。五石散を飲む同志には王弼と夏侯玄がいて、「正始の名士」といわれ、清談や論理を好んだが、3人とも司馬懿に殺されてしまった。生まれつき蒲柳の質であったので、五石散を服用していたが、服用後に汗をかかないでいると死ぬという副作用があったので、服用後は常に歩き回らなければならなかった。五石散の効き目が出た後(散発)に歩かねばならない(行散)というのが、散歩の語源だという。「五石散を飲むと、病が治るだけでなく、精神が明朗になる」と可晏は語ったが、実は病を治癒する力は全くなく、麻薬よりもたちが悪いものだったらしい。時代が下って、元籍(210−63)や嵆康(223−262)といった竹林の七賢の時代になると、、彼らは賢者などといわれて入るものの、礼儀作法などと言ったものはまったくなかったらしい。普段から無礼を通しておけば、いざとなったときも知らぬ存ぜぬでと押せるという妙な論法であって、その辺が賢者といわれるゆえんなのかもしれない。天地も神仙もすべて無意味であって、一切は不要である。一切が虚無だから、酒におぼれるのが一番まし、というほどのものであったそうだ。老荘思想を良くしたことから、仙人と関連付けられるのかもしれない。

一方、西洋のほうでは、不老不死はあまりはやらなかったようだ。すくなくとも近世までは、むしろ、死を永遠の生の象徴としてみていたような節がある。神罰を受けたり、魂を悪魔に売ったりするものは、地上にあって永遠の生を受けることとされていた。「さまよえるユダヤ人」の話などもある。靴屋のアハスエルスは十字架を背負ったイエスが休息を求めたのを拒んだために、不死を与えられた。100年ごとに若者の姿をとって生き返るという罰を与えられたものも、イエスを鞭打った刑場の男であった。フェニックスのようなものにしろ、不老不死にしろ、それはどこか悪魔性を持つものであったのは、東洋以上であったようだ。「さまよえるオランダ船」などの話もそうだ。この幽霊船は、どんな激しい嵐のときも沈まないというのろいをかけられた。永遠にさまようなどと冠せられるものは、すべて呪われたものであった。コーカサスのプロメテウスなどもその一例だろう。こういうと、「不死は呪だが、不老は違う」などと言い出す人が出てくるものであるが、不老にしたところで、千年も2千年も生きるというのはどんなものであろうか。ギリシャの神々のように、程よく鈍間で愚かであれば、長く生きたところで苦痛はないだろうが。

結局、不老不死など、ありがたいものではなかった。現代になってそれが逆の意味に用いられるようになったようだ。殺伐とした地上の世界を離れたら、もはや永遠に生を受けることはないという唯物論的な観念がそうしたものを生んだ。こうした意識が返って人間を不幸にしているともいえると思う。現代、多くの人は、他人は永遠に若くありたいと願っているものと思い込み、おそらく自分自身でもそうありたいものと思いこんでいるようである。皮膚のように新陳代謝をくり返してゆく細胞では、絶えず新しい組織が生まれ変わっているのだが、脳などはどうなのだろうかと考えるとき、やはり不死であれば恐ろしいことが起こるに違いないなどと思う。どう考えてみても、それは永遠ののろいのようなものである。

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