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zoom RSS 失業率ということ

<<   作成日時 : 2011/01/14 16:12   >>

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米国の雇用回復計画が思ったほど進捗しない。景気のほうは回復しているのに、雇用改善の方はたいてい市場の予想を大幅に下回っているらしい。たいていというか、ほとんどだめらしい。前からいわれているけれども、本格的な改善までには、どうしても4〜5年はかかるらしい。

             だったら、働かなきゃいいじゃん!
などと思うのだが、何で働こうとするのだろうか。働かなければ食えないとでも思っているのだろうか?まあ、たぶんそう思っているだろう。しかし、実際は働かない奴は普通に食べている。たまに餓死するような人が話題になったりはするけれども、これは本人が「働かなければ食えない」とでも思っていたからだと思う。自殺みたいなもので、ごく一部の人の陥る運命であろう。

前にあげたラッセルの「怠惰への讃歌」という本のカバーの裏書にこう書いてある。もちろん、ラッセル自身の言葉ではない。――労働生産性が向上して、それでも同じように働けば、過剰な生産と失業が生まれるのは当然。・・ではどうすれば?・働かなければいいんです!――とある。


もちろん、ラッセルが「働くな」というのは、一人だけに限ってのことではない。社会の全員が必要最低限以上に働かないということが大事なのだという。彼は、資本主義体制の愚かさ加減について語っているのだ。働かなければ豊かになれるだろう、というと、「その豊かさは精神的な富についてのものであって、物質的な富即ち財産のことではないのだろう」と多くの人は思うだろう。だが、そんな事は嘘かまことか知る由もないのである。ラッセル氏が、ものみの塔のチャールズ・テイル・ラッセル(1852−1916)であったなら、精神的な富に限ってのことだったかもしれないが、バートランド・ラッセル(1872−1970)には論理的な裏づけがある。実際、失業率など改善しなくても、企業の業績は驚異的なスピードで改善している。働きに必要な有能なものばかりを残しているからだろう。問題はその利益が、企業関係者にしか行き届かないということで、失業者の増減と、景気の好不況との間には思ったほどの相関関係はないというのが本当のところだろう。それが統計の見方で、さも関係がありそうに思えるという話だけなのかもしれない。

まあ、働くとか失業といっても、定義によっていろいろとあるわけだ。しかし、いちいち定義などしなくても、漠然とした一般通念で足りると思う。要は、働かなければ収入を得られないから食って行けないという被害妄想的な思い込みが原因だ。その思い込みで餓死するという人までいるのだから驚く。これは、上に述べたように自殺の一種だろう。普通、働かない人は、働きから自由である。托鉢の坊さんは働いてはいないみたいだが、思い込みがないので、餓死するようなことはない。このように、思い込みや先入観のない人は餓死するようなことはない。

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