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zoom RSS アーミッシュの生活について

<<   作成日時 : 2011/01/26 16:21   >>

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Armishというのは、ニューヨーク州の西、ペンシルバニア州からカナダにいたる20州に、アメリカ移民時代の人々の生活様式を取り入れて暮らすドイツ系移民の人々のことだ。現在20万人ほどの人口だという。日本ではこのような大規模な運動というのは少しもない。それを思うと実に単調で一律化している社会であるが、江戸時代のことを思うと、日本のほうが勝っていたとしか思えない。彼らの暮らしのことを紹介していたサイトでは、彼らの生活ぶりを「スローライフ」などと呼んでいたが、とてもじゃないがのんびりした生活などとは程遠いものだ。電気やテレビ、ラジオがない割には、モーターや洗濯機は圧縮空気を使って動かすし、照明はプロパンガスによるガス灯を使い普通のものよりよほど明るいらしいから、意外と不便さはないようだが、なんといっても一日中働きぱなしである。労働を邪悪視する私のほうから見れば、まさに地獄に落ちるほどの働き振りであって、朝は日の出前に、夜は日が沈んでからも働いている始末だ。こんなに勤勉を厭わないというのも、彼らがプロテスタントのカルヴィン派の流れを汲む清教徒の思想を持っているからだ。

彼らが注目され始めたのは、2006年の10月にランカスター郡のアーミッシュ小学校で起こった銃乱射事件で、教員や児童が犠牲になったとき、自ら進んで児童の身代わりを申し出た13歳の少女が、このアーミッシュの家族だったからだそうだ。犯人は、キリストの神を憎んでいたため、この少女の妹も射殺されたらしいが、少女の家族は犯人を憎まず、娘たちの葬儀のときも犯人の家族を招待して話題になった。自分たちのほうから犯人の家を訪問したらしい。犯人の家族が被害者の家族を訪れて許しを請うたというなら話もわかるが、わざわざこちらから出かけていくのは、何だかよく分からない考えかただ。「アーミッシュの赦し」などという本も出ているらしい。よくわからないといえば、輸血を拒否する「物見の塔」のような宗派を非難する社会現象だ。「輸血をされたら、千年王国で永遠に生きることは出来ない」と信じているものに輸血を行うような真似が許されるというのは、如何に社会が個人の自由意志を踏みにじっているかということの表れだ。国家の横暴だとか、独裁だといってよいだろう。国家とは世界的に無用の長物である

ルターやカルヴィンの勤勉に関する思想は、根本的に誤っているとは思う。そうした考え方は、後にフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」で、ドイツ人の優越性を訴え、それがゲルマン人以外の排斥運動へと発展していったものである。帝国主義の流れも、勤勉を好ましいものとした考え方から生じたものだ。ソ連や中国の社会主義が失敗したのも、勤勉を導入したからだ。「勤勉であれ」とは、本質的に個人の自由精神を社会共同体のような組織にささげなければならない、という意味合いを持っている。そのために、社会構成員の幸福ということよりも、国家共同体の存続を本質とするようなわけのわからない結果を招くことになってしまっているのだ。人間というものが程よく怠惰であれば、国家は資本の蓄積が出来ず、したがって強大になりえず、ことさらに無用な軍備拡充などで資源の無駄遣いをするようなこともなくなる。それでなくても日本などは、公費の乱用や汚職問題が多く、どの程度真実なのか知らないが民間の給与平均よりも公務員の給与平均が倍近いということが大いに問題視されている。日本などは、公務員の給与を引き下げさえすれば、たちどころに不況など解消する、そもそも不況などというものは日本にはないのだという人もいるくらいらしい。国家などそもそも宗教団体のよほど邪悪に変身したものと同源なのだ。


開拓時代をまねて暮らしているといっても、テレビや電話がないとか、室内が薄暗いといったほかは、暮らし向き自体は大して普通の家と変わらないらしい。しかし、トラクターのタイヤにゴムを使ってはいけないようで、鉄のキャタピラーで耕運するなど、わけのわからないことも、聖書の教えに沿ったものらしい。車や船、飛行機を運転してはいけないが、人が運転しているものに乗るのは自由だそうだ。少なくとも、外見上はどの家も比較的裕福そうに見える。住人が満ち足りた様子だからだろうか。それとも、あれだけ働きづめに働いていれば、いやでも収入が入ってくるというのだろうか。働くといっても、もちろん会社に勤めたりはしない。農作業とか工芸品などで生計を立てているという。原則自給自足だから、家なども自分たちで立てるというが、見た目はそんな風に見えない。大家族制であるから、かなり巨大な家が多い。

ここから推測すると、日本でも「そんなに昔の生活がよいというなら、車もテレビもない江戸時代の生活をしてみろ」なんていう人がよくいるけれども、案外実行してみたら、どうということもないのかもしれない。「案ずるより生むが安し」という諺もある。それにしても、つくづく日本社会の単調性というのにはがっかりさせられる。極内輪のグループだけで、通常と異なる活動をしているというのはあるが、大規模で、それだけで閉じた社会を形成しているというのはない。ベジタリアン食のメニューさえ、一般のレストランには見当たらないという現状には嫌気が指す。それどころか、いまだに、ベジタリアンで人間が暮らしてゆけるなどということは頭から信じておらず、「どこかで肉を食っている筈だ」などというものさえ存在している始末だ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
それでも原発や電気に依存しないエコでオフグリッドなアーミッシュは江戸時代の日本人に類似しており親近感がわくだけでなく福島原発事故移行脱原発原発0都会の流通食糧自給率の低さ雪害等への脆弱性等自給自足の重要性が必要とされている中アーミッシュの生活を見習うところは多いと思う。
名無し
2016/02/10 09:35
どうもコメントありがとうございます。

江戸時代とだいぶ異なっていたような点は、「勤勉」に関してのようですね。これは少し意外なことで、明治以前の日本人は概して怠け者だったようです。経済成長などやめてしまえば、原発など必要ないのですがね。
whitehand(管理人)
2016/02/10 17:36

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