森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 生命表の歴史・・死亡率と社会

<<   作成日時 : 2011/05/04 15:59   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

この前、太平洋戦争前後の日本の人口推移というのを見ていて、戦争の激しかった頃とその前後で、目立ったような死亡率の上昇がなかったというのを、かなり意外に思った。統計上、優位な差と見られるのは、3割の減少があって、初めて死亡率の上昇が確定されるというのが通例らしいが、戦時中の人口の減少はせいぜい1割と少しであって、これは統計上は比較の対象とはならない量なのだ。それにもかかわらず、戦時中の体験談というのがすさまじいというのは、あれは記憶は造られるものというのもあるだろうが、それ以上に戦闘が局地的であったことを意味するものであろう。日本国内であれば、軍事政権の支配が及ぶ範囲などというものは、政令指定都市の周辺に限定されるようなものであって、田舎のほうに行けば、日本が戦争をしていることさえ終戦間近になるまで知らなかったような人もいるかと思う。

ここで思い起こされるのが、カール・ポッパー(1902−94)の「人々を幸福にしようとする理想は、おそらく、もっとも危険な思想である」という言葉だ。歴史上、しばしば過激な革命が繰り返されたのは、人々が戦争よりも危険な状態に陥っていたからだ。われわれは、「戦闘を繰り返し起こしてきたことで、人類は今迄人口爆発という脅威から逃れてきた」という言葉をつい真に受けたりしてはいないだろうか。実際は、戦争による人口減少など大して目立たないものであったのだ。戦争などよりはるかに危険な種族滅亡の驚異があったからこそ、人類は戦争を続けてきたのだ。今の日本が革命を起こさないのは、革命を起すような驚異などどこにもないからである。自殺が多いのは確かに脅威ではあろうが、年間死亡率にすると、自殺者3万人というのは、全体の3%にも満たない数だ。多分、自殺者の多い故に革命を起す必要があるというのは、年間自殺者が100万人を越える頃になってからのことだろう。100万人を超えて、ようやく死亡率が現在の死亡者数の倍に達するからだ(*平成17(2005)年の年間死亡者総数が1084012人だそうだ。人口千人当り死亡率8.6)。旧ロシアに革命が起きた背景には、それくらいの危険が実際にあったからだろう。

*ちなみにこの年の、死因上位7位までを見ると、@悪性新生物(30.1%)、A心疾患(16.0%)、B脳血管疾患(12.3%)、C肺炎(9.9%)、D不慮の事故(3.7%)、E自殺(2.8%)、F老衰(2.4%)である。もしも平均寿命80になって全員ばったり死ぬのが老衰ということにすると、死亡率は100÷80=1.25%となると思う。実際はやけに少ないようだ。本来死亡率とか出生率は、人口1千人辺りに対していわれる言葉らしいが、10万人辺りを指す場合も多い。そういうのもあるが、1千人当たり8.6人ということは、全体に対する比率は、わずか0.86%である。もしも人口構成の年齢比が同じであれば、当然人口は増える一方となるだろう。

一時金を支払うことで、一定期間あるいは終生にわたって年金を受け取れる契約というものを最初に作り出したのは、古代ローマ帝国であって、当時それは[annnua]と呼ばれていた。西暦200年頃に法学者で政治家のドミティウス・ウルピアヌス(170頃?―223)が年金の相続価値を算出するために作成した生命表によると、当時の65歳の平均余命は5.3年であったという。今でいえば、一時払い養老保険高養老年金のようなものであるから、富裕層に限られたと思われるが、ローマ貴族の風習といえば、横になってひたすら食いまくるというパーティの連続であったから、健康的だとはとても思えない食生活だったはずである。だから、成人病なども当然多かっただろう。それにしては結構長命だ。普通の庶民階級ですら、たとえばポンペイの遺跡などを見ると、暮らしぶりは現代人に比べてもかなり豊かであったらしい。案外ポンペイ市民は富裕層と比べてもより長生きであったのではなかろうか。

生命表または死亡表という形で、現代文明の枠組みではっきりこれを規定したのは、イギリスの政治算術学派のジョン・グラントが1662年の表した『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』が最初だという。どういうころか手元の年表を見てみると、前年の1661年にフランスでルイ14世の親政が始まったと書いてある。イギリスのロンドンでは、1665年にペストが流行し、さらに1666年のロンドン大火で8日間燃え続け450万エーカーが消失したとある。グラントの考えをさらに発展させたのがドイツのジュースミルヒ(1707−67)であって、1741年の『神の秩序』で、社会をいわば生死ある動態のようなものとしてとらえたということだ。

政治学的考察とは違って、数学的にこれを解析して行ったのが、イギリスの天文学者のエドモンド・ハレー(1656−1743)だ。ハレーは、1693年に『ブレスラウ市における年齢別死亡率の概要』を発表したが、これが世界初の客観的分析に基づいた人口統計とされている。

1749年にはスウェーデンで始めて国勢調査が行なわれ、その際にこうした先駆的な分析手法は大いに役立ったそうだ。

しかし、残念なのは、中国ではどうだったかということが分からないことだ。中国では、漢の時代から国勢調査のようなものがあったらしく、しかも、唐にいたって科挙制度が充実して来たころには、完全にそうしたものが確立されていたはずなのであるが、いったいその種の資料はどこに消えうせたのだろうかと思う。孫文が述べている清初期の国民調査というのがあったと思うが、清初期なら1600年代後半で、西洋よりも古いことはほぼ明らかだ。


日本での生命表を最初に用いたのは、1902年の矢野恒太(つねた)(1866−1951)らしい。この人は、日本生命に診察医として就職していたが、後独立して、第一生命保険相互会社を設立して、そこで使ったというが、思うにかなり遅れている。多分、それまでは中国のやり方を踏襲していたように思うのだが、それは分からない。



生命表研究
楽天ブックス
山口喜一古今書院この著者の新着メールを登録する発行年月:1995年03月登録情報サイズ:単行本ページ


楽天市場 by 生命表研究 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



やけに値段が高い。



戦後、戦死者五万人のなぞをとく
楽天ブックス
1945.8.15→ 大庭忠男 本の泉社発行年月:1999年05月16日 予約締切日:1999年05


楽天市場 by 戦後、戦死者五万人のなぞをとく の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
生命表の歴史・・死亡率と社会 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる