森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS ノモンハン事件(1939年5月11日〜9月15日)

<<   作成日時 : 2011/05/08 16:28   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

従来、機銃装備程度しか持たない日本軍部隊が、ソ連軍戦車部隊に迎撃されて、部隊が全滅したなどといわれていた。ずっとそのような話を聞いていたが、どうもそうでもなかったようだ。局地戦でそういうのはあったが、ソ連軍が橋を爆破しなかったので、逃げ延びた日本兵もかなりいたらしい。しかし、ソ連軍が大被害をこうむった場合もかなりあったようだ。この戦いにおいても、越境したのは日本軍だけであったという。それで関東軍に越境爆撃の動きがあることを知らされた東京の大本営は、急遽飛行機を差し向けたが、関東軍は全く大本営を無視して越境爆撃を行なってしまったので、もはやどうにもならないで、日本軍の一方的な侵略がここに決定してしまったようである。一方的な越境であるから、「ノモンハン戦争」などという言い方は正式なものとしては正しくないらしい。



さて、被害のほうだが、ソ連のほうの主張によると、ソビエト側の死傷者およそ1万8500人、日本側の死傷者は3万8千名から6万1千名としているそうだ。ほかにモンゴル軍も250名ほど戦死者が出たらしい。日本側の記録でも、ソ連側の死者数はほとんどソビエトと同じ数だが、日本側の戦死者数を倍以上少なく見積もっている。スターリン政権下でのソ連兵の記録のほうが、まだ関東軍のものよりも信頼できる。ソ連の指揮官は現場を観察した上で、日本兵の捕虜などからも詳しく様子を聞きただしているのに対し、関東軍の場合はただ部下からの連絡を机上でメモしただけだと思われるからだ。ウィキペディアでは、戦死者は若干日本兵のほうが多いが、戦傷者のほうはソ連軍のほうが多かったということになっている。ソ連側の戦力が5万7千名だが、ここでも日本軍の数がはっきりせず、3〜9万人となっている。日本から仕掛けて、越境爆撃までしたのだから、不意を突かれたソ連軍の被害が多いのは当たり前で、むしろ農民がにわか仕込みで武器を手に取った程度のソ連兵士の実力にしては健闘したというべきだろう(1939年当時の日本兵が弱かったということはありそうもないことだ。最も、ソ連の記録に「日本軍は強敵だった」という報告は見られないようだ。ただし、大本営の作戦とは異なり、関東軍の作戦はおよそ作戦とは呼べないほどの短絡的なものであったらしいので、日本軍に一方的に押し込まれたということも考えられない)。これ以前、「共産主義の平等の精神にふさわしいのは銃を持つ歩兵のみだ」などと、戦車や航空機などの兵器を極端に減らしたスターリンである。極東の守りも歩兵中心だったろう。ソ連の戦闘のやり方の特徴は、前線を破られないためだろうか、敵に何倍するかの予備兵力をあてていることだ。原則的にそういうことは戦力の逐次投入に該当するので、犠牲を増やすだけであり、やってはいけないこととされているようだが、もし仮にドイツとの東部前線波の予備兵を置いていたとすれば、5万7千の4倍近くの兵士が後方に控えていたことが考えられる。そうだとすると、全くの無駄な出費であって、なぜこういうことをしていたのかは分からない。

多分、ノモンハン戦争でのソ連軍の主力戦車はT−26軽戦車であったと思うが、大部分の戦闘用車両はBA−10という装甲車であったらしい。対する日本軍は、89式中戦車を主力としていた。T−26が3人乗りで9.4トンしかなかったのに対し、89式は11.8トンで4人乗りだ。砲塔もT−32の45ミリに対し、89式は57ミリであった。速度はT−26のほうがやや速い程度だが、装甲は逆にT−26のほうが倍も厚かった。しかし、ソ連軍の戦闘車両の大部分はBA−10装甲車であって、日本軍の37ミリ高射砲ですぐ撃破されてしまったらしい。どうやら日本軍の戦車は使えなかったらしく、8月になるとすべて撤退させたという。どちらの戦闘車両も、第一次大戦時のリベットうちらしく、あまり性能がいいように見えないが、即戦力に役立ったのは数に勝るソ連製のほうだったらしい。撤退させたために、日本軍の戦車被害は30台にとどまったのだが、これを勘違いして、「日本軍の戦車部隊はソ連戦車より10倍も強かった」という人がいる。戦闘の激しかったと思われる後半戦は、日本軍の戦車はなかったのだから、被害もなかったに過ぎない。

空中戦に関しても、ソ連のポリカルポフが日本軍戦闘機に圧倒されたようなことを時々聞くが、案外そうでもなく、攻撃力にしろ小回り(特に低高度の)にしろ、ソ連の航空機の性能のほうが若干上回っていたことは確かなようだ。7月以降になってポリカルポフI−16戦闘機が出てきたころは飛行性能はソ連機のほうが性能は上であったと思う。ただパイロットの技量がどうだったかというと、同時期のフィンランド戦などを見る限りでは、ソ連のパイロットの技術はあまり高いとはいえないのではないか。ノモンハンの場合、航空機の損失自体はソ連側のほうが3倍か4倍はあったらしい。撃墜されたのはほとんど2枚翼のポリカルポフであったかもしれない。複葉機の場合、低速での操縦性は断然優れているらしいが、何しろ視界が狭いので空中戦には全く不向きだろう。しかしソ連はこの操縦性にとらわれすぎて、長いこと複葉機を使用していたので、空中戦での被害が大きかったという。1939年冬以降のソ・フィン戦では、結果だけ見る限りでは、フィンランドの130機の戦闘機に、1000機以上のソ連軍軍用機が打ち落とされたようにも見える。それを考えれば、ソ連軍は善戦したともいえるのではなかろうか。

ノモンハンの戦いは、第一期(5.11〜5.31)と第2期に分けられる。第一期が紛争に収支、双方に越境はなかったのに対し、第2期は日本の完全越境爆撃があったという時点で、完全な戦争の形をとっている。それにもかかわらず、ソ連側に越境の動きはなかったため「事件」と呼ばれる。そもそも、最初からソ連は日本の満州の権益を認めていて、全く争う気配はなかったそうである。ただ互いに国境を侵犯する軍隊を時折威嚇する程度であった。満州国側の国境はハルハ河まで、ソ連・モンゴル側の国境はそれより20キロほど内部にあった。お互いが国境と主張している境界の内部では、時折紛争は起こる。先日韓国のヨンヒャム島が北朝鮮から砲撃を受けたが、ここは韓国領でありかつ北朝鮮領土でもあったからで、したがってそこが攻撃されても、まだ戦争とはいえない。日本でいえば尖閣諸島などがある。よく尖閣諸島と北方四島を対比させている人がいる。しかしながら、尖閣諸島だけが一応は日本領土なのであって、北方四島は現在完全にロシア領土である。なぜか日本の領土を勝手にロシアが占領しているというものがいる。地図帳などでも、そう書いているところがある。すでにロシア人が多数住んでおり、国際的にもロシアの正式な領土であるところを、日本の領土だと言い張るのは、北朝鮮と同じで、きわめて理性の不足した民族であるとしか思えない。それで返還しろといっているのだから、世界の物笑いというものだ。返還しろということは、北方四島はロシア領だと認めていることになる。そういう子どものおねだりのようなことをいっている連中に、どこのお人よしが返還するだろうか。

「ノモンハン」という名称は、モンゴル語の[nom-un xan]から来ていて、「法の王」の意味だそうだ。チベット仏教の位階の第2番目のものだそうだが、なぜ第2位なのかはよく分からない。ちなみに1位は「ホトクト」、2位は「ノムンハン」、3位は「ダルハン」、4位は「バンティタ」、5位は「カンブ」、6位は「チョルジ」というそうだ。モンゴルも、スターリンの粛清の犠牲になったものが何千人もいるし、自治を阻害されたが、それでも中国よりはソ連の方がましだったらしい。満州のモンゴル人の生活にあこがれて亡命してきたが、結局失望してもとのソ連邦に帰ったという話もある。それぞれの国民で、最も大事とするものが違うのだろう。


ノモンハンの空
楽天ブックス
昭和陸軍遊撃飛行隊物語 鈴木五郎 光人社発行年月:1998年09月30日 予約締切日:1998年09


楽天市場 by ノモンハンの空 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル





ノモンハン戦争
楽天ブックス
モンゴルと満洲国 岩波新書 田中克彦 岩波書店発行年月:2009年06月 ページ数:241, サイズ


楽天市場 by ノモンハン戦争 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ノモンハン事件(1939年5月11日〜9月15日) 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる