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zoom RSS 終戦工作について

<<   作成日時 : 2011/08/06 16:47   >>

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大日本帝国がアメリカと戦争を始めたなどという報道が巷に広がると、昭和初期の人は軍部がそれなりの周到な準備をしていたことなど思いもよらなかったらしく、緒戦の勝利の報を聞いても『どうせ一週間もすれば敗退するに決まっている』と、それなりの資産家は誰しも株の空売りをしたり米ドルを買いあさったりしていたらしい。米ドルが買える人などめったにいなかったであろうが、株の空売りで一文無しになったという話はかなり多かったようだ。アメリカに負けだしたら株価が下がったかというと、軍需株などは敗戦当日まで上がり続けたというから、これが又いまどきの世間の常識とはちょっと異なるところである。とに角、大勝利疑いなし、というところまで行って、そこから坂を下るように落ちだしたというのが歴史の語るところだ。圧倒的多数を占める大衆が尽く信じ込んだところに、事実はそれと逆向きに動くというのは古今東西を問わずいつも変わらぬ真実である。

1942年頃からようやく民間では終戦工作についての動きが起こり始めたが、そもそも第3次近衛内閣では1941年の春頃から必至の日米交渉によって戦争を回避する動きが起こっていた。1937年6月から39年1月までの第1次近衛内閣において計画された東亜新秩序を、1940年7月からの第2次近衛内閣における日独伊三国同盟の締結(40年9月)や大政翼賛会の発足による軍事力の増強によって実現させようともくろんだものの、ドイツが英本国の攻略に失敗すると、忽ち手のひらを返すように和平派へと走り、今度は米国になびく。手のひらを返すというと悪いようにも取れるが、別の言い回しをすれば機転が利くともいえる。今の時点では、なんだか優柔不断な人物であったが、思想的には平和路線で東条英機とは常に対立していたかのように言われている。ちょうどドイツが自分の悪かった面はすべてヒトラー個人のせいにしようとしているのと同じく、日本も東条内閣にすべてをなすりつけようとする意図が見える。

バルバロッサ作戦が41年6月22から始まるわけであるから、多少贔屓目に見れば、ドイツのソ連進行以前にすでに枢軸側の力の限界というものを見越していたことにもなる。当然ながら、まだドイツのかげりは全く見えていない時期であって、この段階での変更路線はなかなか速いという風にも捉えられる。近衛文麿(1891(M24)−45(S20))が50歳のころの政策転換だ。

近衛文麿は、1919年のパリ講和会議に西園寺公望らの全権随員として出席したが、その直前に「英米本位の平和主義を排す」という小文を表していて、彼独自のアジア主義と『持たざる国』の理論が現れている。この思想は彼の生涯を貫く一本の柱となっていく。1931年に貴族院副議長、2年後には議長を務めたが、1931年以来の満州事変の混乱の中、軍部のほうから彼に接近してきて、後発帝国主義の実現のために彼のほうもこれを必要としてゆく。『大東亜共栄圏』というと、何となく石原莞爾(1889−1948)の思想のように思っている人も多いかと思うが、こうしてみると、オリジナルは近江文麿ではないかと思えてくる。それくらい帝国主義的な思想の持ち主であって、私の中では温厚な人物という印象はなく、気性の激しいヒトラー型の人間であったという感じを受ける。

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彼は2歳ほど年上のヒトラーにあこがれて鼻の下にちょび髭を蓄えていたというが、ヒトラーと同じように始めは要請されても政権の座につかなかったが、ヒトラーが44歳で首相の座に就いたのと同様文麿も46歳で総理大臣の職を務めることになった。昭和12年の6月のことであったが、どうも直前の林銑十郎(1876−1943)内閣というのが相当の無能無策政権であったらしい。林銑十郎というのは元陸軍の軍人で、31年の満州事変勃発の際、朝鮮から満州に派兵した張本人で「越境将軍」といわれていたらしい。このころ、軍部の「中国一撃論」と言ったものがかなり横行していたことは確かで、それが「近衛内閣はただ軍部に操られていた」と後年いわれることになったのだが、それはただ天皇の近辺に戦争責任を押し付けないがための方便だったのではあるまいかとも思える。というのは、近江文麿は先述のような強烈な帝国主義のイデーを懐いていたからである。それはおそらく彼が帝国大学哲学科に在籍していた頃からの野望であった。

おりしも7月の七夕の日に盧溝橋事件が勃発すると、近衛文麿総理は「まさか、又陸軍の計画的行動ではなかろうな」とつぶやいたそうだが、これを幸いとして露骨な中国植民地化への道を推し進める。盧溝橋事件そのものが近衛のたくらみとも思えてくる。これは中国軍が演習をしていて、そのとき日本兵が行方不明になっていたので、きっと中国軍が発砲したものだろうというので、それを口実に帝国主義政策に火がついたものらしいが、軍部単独では操作が困難であろうと思われる皇室を現地に派遣しているからである。もしも天皇が中国侵略に反対であったというのが本当であったならば、皇族を現地の大将に任命できるような大権を持ったものは、現職総理以外に存在しなかったようにも思える。事変の起きた数日後の11日には、早速「今次事件は全く支那側の計画的武力抗日なること、もはや疑いの余地なし」などという近衛声明を発表している。どうも東条英機などよりはるかに老獪な狸だったのではあるまいか。12月中に南京を攻略すると、軍部はこれで和議講和を結んで戦争は手仕舞いにしようとしていたらしいが、そこへ強硬派の近衛文麿が言ったのが「国民政府を相手にせず」であって、これで軍部が着々と進めようとしていた停戦工作もご破算となった。この辺はまさにヒトラー的な男に思える。まあ、海軍などは「あの男は頭が弱かった」としているが、それでは逆に弁明のようになってしまう。

近衛文麿の性格について、ウィキペディアには次のように載っている。
@井上成美海軍大将は、近衛文麿について以下のように言っている。
「あんな、軍人にしたら、大佐どまりほどの頭も無い男で、よく総理大臣が勤まるものだと思った。言うことがあっちにいったりこっちにいったり、味のよくわからない五目飯のような政治家だった」
「近衛という人は、ちょっとやってみて、いけなくなれば、すぐ自分はすねて引っ込んでしまう。相手と相手を噛み合せておいて、自分の責任を回避する。三国同盟の問題でも、対米開戦の問題でも、海軍にNOと言わせさえすれば、自分は楽で、責めはすべて海軍に押し付けられると考えていた。開戦の責任問題で、人が常に挙げるのは東条の名であり、むろんそれには違いはないが、順を追うてこれを見て行けば、其処に到る種をいたのは、みな近衛公であった」
A木戸幸一(近衛内閣で文部大臣や内務大臣などを務める)は近衛のことを「激動期をなんでも相談した仲」とした上で、「柔軟で包容力があるというか、まことに『聞き上手』だったね。また開放的性格のためか、国民の間になんとも言えない人気があった。しかも陛下のおぼえもよかったから、あれに一本筋金が入っていたら、まったくかんぺきと言っていいのだが……。ところがいざというときのふんばりがたりない。そこでいつも困ったんだ」と晩年に回想している。
両人で正反対の批評だが、軍部には受けが悪かったことははっきりしているから、前者の反対がむしろ真実に近いように思う。非常に回転が速く、聖徳太子のように聞き上手で、解放的で進取の気質に富んでいたので、多くの人に人気があった。「凡庸で無能だから無罪」のようにいわれているが、どうもこれはおかしい。


今では左翼とか社会主義などというと、ヒトラーとは無縁のように聞こえるらしいが、日中戦争の頃はヒトラーの政権も社会主義には違いないというので、戦争支持者はおおむね左翼思想の持ち主だったそうだ。それだけ物事をよく理解しないで、単に言葉尻を捕らえて解釈するというのが大衆の傾向で、こういう点は今も昔も変わらないらしい。今は、「ヒトラーとスターリンは違う思想の持ち主である」と教え込まれているのでたいていの人は、全体主義と社会主義は違うのだろう、と思っている程度で、昔は「きわめて似通った社会制度」として捉えられていたのだろう。むしろ、資本主義と比較すれば似たもの同士で、昔の考え方のほうが事実に近いともいえる。資本主義の欠点を隠すための大衆操作のために、対立する社会制度の欠点をことさらに拡大して報道しているのが現在の状況だ。

そこから日本の長い戦争が始まるわけだが、ドイツの英本土攻略が失敗すると、突然今までとは逆方向にアメリカと和平交渉を始める。しかもヒトラーが独ソ不可侵条約を破ってソ連進行を図る直前のことだ。ドイツがソビエト国内に向って破竹の進撃を始めた後でも、アメリカと和平を結ぼうとしている。この突然の方向転換についてはなんだか分からないが、帝国主義路線をとることが夢幻だったことを悟ったのだろうか。太平洋戦争の間中、終戦工作を練っていた節が見られる。1945年2月の「近衛上奏文」(国体護持の立場より憂うべきは敗戦よりもこれに伴う共産革命)は特に知られている。

敗戦の後に戦犯責任を問われて、出頭の当日未明に青酸カリで自殺した。50代で自殺したところもヒトラーと似ている。



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大東亜戦争のたった一つの真実 中川八洋 PHP研究所発行年月:2010年08月 ページ数:205p


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