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zoom RSS 『カブラの冬』

<<   作成日時 : 2012/03/30 16:08   >>

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副題に「第一次大戦期ドイツの飢饉と民衆」とある。「カブラ」とあるからなにか地名のことかと思ったら、植物のカブラの一種で、日本でも一時食料用に栽培しようとしたが、まずくて食べられないので、飼料用とされていたものだが、ドイツでは今も一般にニンジンなどと一緒にして食べられているともいう。それはどうだか知らないが、和名はカブハボタンもしくはスウェーデンカブ、英語名はルタバガというアブラナ科の食物だ。
ルタバガ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%AC

ドイツ史研究者の間では伝統的に、このルタバガばかりが食卓にのぼるほど食糧難に陥った1916年から17年にかけての冬を「カブラの冬」と呼んできたそうである。だから別名「ルタバガの冬」ともいう。大戦中の4年間にドイツ全土で餓死(飢えや栄養失調が原因で)した人は76万人にのぼったという。前線での兵士の死者数合計180万人と比べてみても、相当数にのぼる。ただし、現在日本を見ても、餓死者というのは冬場に集中するもので、統計は夏場の餓死者も多いことになっているが、これは餓死というより夏場の赤痢などの伝染病による衰弱死かと思われるので、本当に食糧難が元で死亡したのは20万人か30万人くらいではなかろうかとも思う。配給のほうは一人当たり1000キロカロリー分あったそうで、これだけあれば夏場に餓死するというのはややおかしい。近来先進諸国において必要カロリーが減少傾向にあるのも、一つには住環境が整ったためというのがある。体を温めるのに必要な熱量がいらなくなったためだ。当時のドイツの総人口が1914年7月で6780万人ほどというから、68万人が餓死したとすると、およそ1%になる。何か思ったほどではないという気もする。金持ちには影響はなかったろう。現代日本に当てはめると、4年間で1%が何らかの事故で死んだとすると、毎年25万人に当る。大いには違いないが、「大恐慌のアメリカ」などと比べると、まだましなほうだ。そういうことより、本書で主張しているのは「ドイツの無制限潜水艦作戦だけが非人道的行為で国際法違反だったわけではなく、その背景にイギリスの国際法違反の非人道的措置があったこと」を強調したいのだろう。このような憎悪のスパイラルが、ナチスとその支持者たちに向けるむき出しの憎悪の根源だとしているから、数字の仔細など別段本質ではないのである。

「第一次大戦こそ現代世界の基本的な枠組みを作り出した出来事だったのではないか」という共同仮説の下に、2007年4月から研究されてきたテーマも大分煮詰まってきたので、この辺(2010年10月)で中間報告をまとめてみることにしたとある。けれども、なぜ第一次大戦についての研究が今迄非常に少なかったのかということはおぼろげながら理解できる。第一次大戦の勃発したのは、「民族自決」の問題が熟してきたからで、その火付け役は日本なのだ。日本のやっていることを見て、今まで列強諸国に押さえつけられていた諸国がいっせいに蜂起する動きを見せた。だから、不穏な動きがあれば、真っ先に対処してしかるべきであったのだが、腰を上げたのは戦争が勃発してから、それもとってつけたように地中海に海軍部隊をわずかばかり派遣しただけである。そのため、当初から列強には日本に対する不信感というものがあった。第一次大戦について適当に詳しい歴史を紹介すれば、当然そういった日本国の無責任さにも触れなければならない。だから紹介しなかったということだろう。

高校に入学してすぐの年に、海軍の将校だったという数学の教師も、やはりそんなことを語っていた。太平洋戦争については別段何も言わなかったが、第1次大戦に際しての対応については不満があったらしい。あの時礼節を尽くした対応をとっていれば、後々欧米から恨まれることもなかったのではないかとか、何かそのようなことを語っていたようであった。


ドイツがイギリスの海上閉鎖によって食料品の輸入が滞った背景には、ヴィルヘルム2世が「戦争は早期に収束する」ともくろんでいたことにもよるという。ドイツ陸軍には、「シュリーフェン作戦」という大原則が存在していた。広大な国土を持つロシアは動員に時間が掛かるので、先ず迅速な動きでフランスを急襲し、きびすを転じてロシアを撃つという計画で、どうも後年ナチスが行なったものとやや似通っている。国際関係上、ニ正面戦争は必至であったものらしい。それでドイツ軍は先ずベルギーを攻略し、パリを背後から挟撃しようとしたが、進軍が速すぎて補給が追いつかず、ベルギー軍の抵抗に悩まされることになり、一方ロシア軍の戦線参加も予想外に早かったため、計画の骨子はすぐに失敗した。ところが、フランス軍は「第17計画」によってドイツ軍を迎えたものの、この計画は当時流行のベルグソンの「生の跳躍」を絵に描いただけの精神主義でしかなかったので、ドイツ軍は忽ちパリに迫り、政府をボルドーに疎開させた。フランス軍の備えが強靭なものであったなら、ドイツ軍は早期に敗北し、戦線の膠着による無用な戦死者の増大もなかったはずである。

戦時中、ドイツは非常に油脂が不足した。そのため、学童にさくらんぼの種を収集させるというキャンペーンを行なった。果実に含まれている油脂で死亡不足を補おうというものであったが、なにかやっていなければ落ち着かないという大衆心理に呼びかけたものに過ぎなかったようだ。こうした経済的には負の効果しかもたらさないというものは、太平洋戦争中の日本でも見られたという。当面の暴動を防ぐには最も役に立つようだ。このような活動にさも意味があるかのような名称を与えてやると、不安な生活下にある大衆は、しばらくすると、政府からの指令によらずして、言葉にすがるようにして当の無意味な行動を肥大させてゆく。


家畜の中でもとりわけ豚は消費カロリーの高いものとして、「カブラの冬」の前年の1915年の「豚殺し」があった。ジャガイモを助けるために豚を屠殺したのだ。今は動物性タンパク質を一切取らなくても、穀物だけで充分人間は生きてゆけるということが分かっている。本書にはそのようなことは書かれておらず、当時の学者の誤謬ということで片付けているようだが、1970年代以降になって「畜産はタンパク質生成過程においての効率が悪い」ということは、フランシス・ムア・ラッペ(1944)を中心に叫ばれてきている。アメリカ栄養士学会においても、ラクト・オボ・ベジタリアンの食生活が健康維持城もっとも好ましいものであるということは、つとに報告されている。2007年に京都大学人文化学研究所において「第1次世界戦争の総合的研究に向けて」という一連の考察がスタートしたというにしては、いうことがやけに古めかしい。しかし筆者の藤原辰史という人は1976年生まれで、それほど年配ではないようである。この年代の人間が、たとえば断食療法を否定的に見ているなどということは理解しにくいことだ。「飢えている人間に断食をせよなどとは、どんな極悪医師でもいえない」などというわけの分からない感情的な言葉も、説明なしに飛び出してくる。誇張して書かれているが、一日1000キロカロリーもあれば、大人一人が生きるには充分の量ではないだろうか。なぜそれだけのカロリーを摂取して餓死者が出たのだろうかという考察は為されていない。

断食療法を行なううえで、最も重要とされる条件のひとつとして挙げられるのが心の平穏だということはどの指導者でも一致していることだ。当時のドイツにおいて不足していたものはこの「心の平穏」ということであって、おそらくこうした状況を楽園だと思う心の働きがあったならば、餓死者など決して出なかったであろう。ただし、精神が如何に大事な役割を果たしているかといっても、こうした精神主義が万人に当てはまるかというと、なんともいえないところがある。生まれつき全く瞑想の能力を欠いているものにどれほどの断食が可能だろうか。1889年生まれのヒトラーは、カブラの冬の1916年にはちょうど17歳であった。ドイツ国内に食料の不足していた頃を偲ぶ心が彼をして菜食主義者へと向わせたのだろう。だから、イギリスの大蔵省の正式代表であったジョン・メイナード・ケインズ(1883−1946)は、「敗戦国ドイツへの過剰な懲罰が、ドイツ経済にとってもあるいは世界経済にとっても負の効果しかもたらさないことを繰り返し主張した」のであったが、結局彼の意見は採用されずに、ナチスが「ヴェルサイユ条約打倒」を掲げることになった。しかし、ドイツ国民の恨みは、ヒトラーやナチス幹部を待たずして、ヴェルサイユ条約調印時においてデンマーク大使ランツァウがすでに「ただ一人われわれに味方しているものは、正義だ」と語っていたところであった。

日本も太平洋戦争中、敵国の言葉を使うことを禁じていたが、ドイツでもフランス語を使うことをできるだけ避けるという運動があったというのは興味深い。ただし、同じ敵国でも、民族系統が似ている英語を使うことは自由だったようだ。こうした運動は対戦直後の1914年11月から始まったというが、戦後フランスへの敵愾心はさらに増大していったという。その背景には、戦時中、散々敗北を味わった連合軍総司令官であるフランスのフォッシュ(1851−1929)のドイツ兵に対する深い憎しみがあった。そうして彼の憎しみはドイツ兵だけではなく、ドイツそのものへと向けられていた。ドイツ人からすれば、なんとフランスは醜い国だろうということになる。しかし、フランスをはじめとする連合国はドイツに敗北し続け、フランスはドイツに工業地帯を奪われたため、生産力は半分ほどになってしまうという大打撃を受ける。それにもかかわらず、配給制をしかなかったので、食糧難には陥らなかった。イギリスでも配給制のため、ひどい食糧難が訪れたというのにである。ドイツはおおむね戦いには勝利していたのだが、結局敗北してしまう。この一連の憎しみの連鎖が、後の第2次大戦下の「オラドゥールの惨劇」(1944.6.10)となって現れるのだろう。敗戦後、はけ口を失ったドイツ人の憎しみは、国内のユダヤ人と社会主義者たちに向けられることとなった。猫に八つ当たり気味であるが、戦闘では勝っていたのに、国際的なネットワークを有するユダヤ人と社会主義者が共謀して革命を起したために敗北したという「匕首伝説」の誕生で、ヒトラーなどもこれを信じていたらしい。大戦下参謀次長を務めたエーリッヒ・ルーデンドルフ(1865−1937)などは、「ドイツの敗戦は、ユダヤ、ローマカトリック教会、フリーメイソン、国際金融資本の陰謀のせいだ。彼らがこっそり軍隊で、そして国民の間で扇動していたからだ。」(『総力戦』(1936))と決め付けている。

後年、ナチスの食糧農業大臣を勤めたリヒャルト・ヴァルター・ダレー(1895−1953)は、「罪のない母親や子どもたち、あるいは障害のある老人を含む75万人のドイツ人の同胞を餓死させたのはユダヤ人」であるとして、その理由を「豚肉食をタブーとしている」ユダヤ教徒に押し付けた。1942年のナチスの計画には、1000万人規模のユダヤ人を追い出し、その土地にドイツ農民を植民させることで、強力な国家を築く構想が述べられているという。

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ここは酷いカブラの冬ですね
カブラの冬―第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆 (レクチャー第一次世界大戦を考える)人文書院 藤原 辰史 Amazonアソシエイト by ドイツにおいて戦時中から戦後においての悲惨な飢餓状態 そこから巻き起こされた政治的な流れを述べている 短期決戦のみを前提としたドイツ、いや双方において 徴兵による労働力の不足や交通網の遮断によって 飢餓状態に社会が追い込まれていくのである 食料生産や流通でもなかなか決定的な策は打てなかった イギリスやフランスはアメリカから支援が得られたが... ...続きを見る
障害報告@webry
2012/04/04 23:36

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