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zoom RSS 『西欧の植民地喪失と日本』を読んで。

<<   作成日時 : 2012/09/03 14:40   >>

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この抄訳本は西欧人から見た日本軍の進駐というものを知らせてくれる点で、きわめて印象深いものであった。同時に日本の明治維新以降の振る舞いが如何に世界の趨勢から外れたものであったかも教えてくれる。われわれが良く口にする「戦争はお互い様」という意見は、ずいぶん身勝手な自己弁護に過ぎなかったようである。何しろ「われわれはアジアを開放した」などと自己陶酔していたのは日本だけで、実際はただのはた迷惑なおせっかいであったというのが本当らしい。それを思うと、現在中国が靖国神社の件で云々するのも、内政干渉のうちに入らないほどのかわいいものだ。おせっかいだが大真面目にやっているのは、前線で戦っている各国司令官には一目瞭然であったから、いずれの連合国政府も日本軍のことをくそみそにけなしている割には、実際の戦死者が枢軸軍としてはやけに少なかったのだという気がしないでもない。

「大英帝国の植民地」で述べたことの続きである。大英帝国ではなくて話がオランダ領インドネシアになってしまった。インドネシアについては、日本では「われわれは彼らを解放した救世主である」などという観念が支配的だ(ざっと70%はそう思っているだろう)。独立インドネシアのモハメッド・ナチール首相などはインタビューで、オランダはインドネシアを350年間も支配していてピストル一丁くれなかったが、日本軍は独立様の武器をくれた上に独立のために共に戦ってくれた、などといっている。これがオランダ人一般の見解となると日本の見方とは全く逆のものとなる。「われわれオランダ人は、この上なく善良な民のインドネシア人には満足している。それというのも、彼らはとうの昔にわれわれに対する憎しみを忘れて、独立後の自国にわれわれを迎え入れているからである(*)。だが、こと対日感情となると、戦後40年を経た現在もなお、薄れる気配もなく憎悪に満ち、頑なで容赦がない。自分たち自身については、われわれは“至上の目的”を持って東インドにいた、と記述し、日本人については、略奪欲と侵略熱からのみ東インドに入り込んできた、と非難している」ということになる。つまり、日本人の一部が「東インドは日本に対して好意的であった」と主張しているのは、独立派の上層部だけで、一般庶民の感情は全く無視しているのだ。このことは、昔、中国がモンゴルの支配下にあったとき、多くの庶民はそれをありがたいものであったと見ていて、ただ上層部だけがモンゴル支配を目障りなものであったと見ていたことと通じるものがある。

(*)インドネシア独立に際して、オランダ政府は植民地喪失の賠償金として、独立インドネシアに60億ドル相当の保証金を要求したという。ウィキペディアにはその巧妙さについて多少うらやましげに記述しているような箇所が見受けられる。それほどひどい圧政を植民地時代に行なっていたなら、逆に賠償金を支払うハメになっただろう。日本軍の行なった理不尽な虐待のほうがよほどひどいものであったはずだ。オランダの植民地政策というものは、現地人に対する圧倒的な無視であったというから、現地人に対する体罰というような手間隙のかかる圧制ではなく、単にむやみに牢獄に閉じ込める程度のものであったろう。イギリス人となると多少おせっかいで、素直に従わないものに対しては積極的に体罰を振るうことも多少あったらしい。アメリカ人となると、やや日本人と似てきて、現地人の生活態度一般に介入するようなことまでしていたようであるが、日本人ほど理不尽ではなかったので、現地人には一番好かれたらしい。日本軍の侵略に対して、被植民者として共に戦ったのは、アメリカ植民地だけであったという記録が残っているそうだ。イギリス軍などは、有り余る戦力を残したまま、ほんの少し戦っただけでほぼ全軍が降伏したので、現地人は全くあきれていたそうである。ただし欧米には苦しむものを哀れんですぐさま殺してしまうという伝統があって、これを虐待といえば虐待といえなくもない。単なる暴力や暴行の類となると、これは日本より欧米のほうが多いかもしれない。

日本軍の現地住民に対する残虐は、極東裁判で唯一日本の無罪を主張したインドのパール判事も、「日本軍が敵側の市民や捕虜を著しく虐待した事実は、“圧倒的な”資料に裏付けられている」と語っているそうである(*)。したがって、日本の戦争犯罪を軽く見ていたわけではない。ただパール判事の言いたかったことは、それらの戦犯が“上”からの命令によるものであったという証拠は何処にもないから、「疑わしきは罰せず」の原理により無罪にするべきだと主張したまでのことだ。ただこれだけの意見では、何といってもやはり、「戦犯を犯した責任は取ってもらわねばならない」という連合国全般の主張のほうが的を得ている。無罪放免では遺族が浮かばれるはずもないからである。それに、パール判事の主張を額面どおりに受け取ると、日本人は命令されずとも独自の判断で虐待を好んで行なったということになり、日本人全般の保有する本質的な残虐性・侵略性を強制するためという名目が強く浮かび上がってくる。そこからも、日本民族には原爆による制裁が必要だったという意見が出てくるであろう。パール判事の主張も、あちこちで細かな不備、矛盾点があるのだ。仮に日本人の遺伝子自体にきざまれた他民族には存在しない残虐性というのがあるものと仮定すると、現在韓国人や中国人の行っていることはきわめて危険なことであって、いつ何時日本国が分裂して再び彼らに襲い掛かるか分かったものではない。歴史的に見ても、倭寇の例がある。これはほとんどが倭人に便乗した朝鮮人であったが、現在、技術力に秀でた一群がかの地に核攻撃を仕掛けたりしたら大変なことである。日本人の深層に残虐性があるということは、日本人の自殺率の高さというものと関連しているとも考えられる。自殺は蓋し他殺など他者に対する障害衝動の転化だろうからである。

(*)公的な資料には、残虐行為そのものがあったことが抹消されていることが多いようだが、日本軍の残虐行為は従軍日本兵が驚くほどであったことが、彼らの戦地での日記に記載されているそうだ。特に女性の兵士や捕虜に対するものは、むごいとか残忍だとかいう言葉で表せるようなものではなかったことが日中戦争での日誌には書き綴られているそうだ。このことを目にして、私は通州事件とか尼港事件などで報じられる残虐性は報復のためであったという思いを深めた。

要するに、パール判事の主張は、現代風に言えば、多重人格者の連続殺人に対して無罪放免を主張するようなもので、あまり人間的にほめられたものではないといえる。普通であれば当然大衆の批判の矢面にたたされるべき意見であった筈であるが、常に悲観的な判決に魅力を感じる実行犯の妄念が誤った感傷を導いている。一般大衆の愚かさ加減については、いくら語っても到底語りつくされるものではない。パール判事が「日本は無罪」だということは、すなわち日本人大衆は愚かであるから、いくら戦死させたところで罪はないというに等しいのだが、愚物は彼が日本人一般を支持していると思っているようである。

東京裁判においてオランダ代表として判事を勤めたのは法学者のベルナルト・レーリンク(1906−1985)であったが、彼は非常に強くパール判事の植民地の現状凍結論に賛意を示した。もし日本がアジア侵略戦争の訴因で有罪ならば、西欧の植民地宗主国もまた有罪であり、西欧植民地宗主国が人道的同期を縦にするならば、日本にもそうする権利を与えるべきだというパール判事の意見は、連合諸国から派遣された他の判事の心にも多少の影響を与えたに違いない。それだから、日本は国体の維持を認められたのだろうが、今にして思えばこれが返ってやぶへびであったようにも思える。パール判事のような理性的な判断は、現代においても被害者の心情をひどく落胆させるものであって、圧倒的多数の大衆の支持するものは単なる感情論で加害者を極刑に処すべしというものだからである。

1980年8月に、レーリンクは次のように述べているそうだ。「大方のアジア民族は、日本人がヨーロッパ人をアジアから追い出す戦争を始めたことで、日本人を非難しなかったことは明白である。〈アジアをアジア民族に〉のスローガンは、アジア民族には非常に納得の行くものであった。」といい、ヨーロッパにおいて他民族の支配が何世紀にもわたって行なわれ、英国だけが征服者の駆逐に乗り出したとした場合、大方のヨーロッパ人は、英国のこの行為を犯罪とはみなさないだろうという例を挙げ、アジアにおいても「日本の大東亜戦争を平和に対する罪として論証するには、これは実のところきわめて不適切な事例であった」。

だから、おそらく終戦当時においても、判事たちにはそのことが分かっていた可能性が大きい。しかし、だからといって、仮に無罪としてしまっていたら周辺諸国および世界中はどうなるかということも自明であった。しかし、レーリンクも、他の判事も同様だろうが、戦争を起した罪は、そのことは平和に対する罪とは独立して残るのだとしている。この点においては、パール判事は「思考の一貫性」に常に卓越していたわけではなかった。


太平洋戦争勃発の一年以上前に本国オランダはナチス・ドイツに占領されてしまっていて、ロンドンへ亡命した女王と政府の力では東インドにまで手を伸ばす余裕はなかったので、東インドはほとんど本国から孤立してしまっていた。東インド総督テャルダ・ファン・スタルケンボルフは直ちに全土に戒厳令を敷く。一方、日本のほうはかねてから東インドの石油資源の獲得を要求していたが、1941年6月に東インド政府は正式にこれを拒絶し、翌7月には在留日本人の資産凍結に走った。英米への協力姿勢を強調するためだろう。1941年12月に太平洋戦争が始まると、東インド政府は在留邦人をオーストラリアに移住させている。日本であったなら、捕虜として軟禁させておきそうなところだ。人質を確保しておいたほうが、いざというとき何かと便利かと思うのだが、考え方の相違だろうか。翌1942年3月1日に日本軍はジャワ島に上陸する。東インド軍は配送して、オーストラリアに逃れ、ブリスベーンに臨時政府を樹立したが、一週間後の3月9日に降伏。およそ20万人の東インドのオランダ人は日本軍の捕虜となった。スカルノは日本軍への強力を受け入れたため釈放された。

当時のオランダ人の手記が残っていて、レオ・ヤンセン(*)の1942年12月12日の東インド占領下の日本軍の振る舞いを描いている。「・・・ここで注目を引くことは、日本人のかなり原始的な信念ではなくて、その汎アジア政策なる政治宣伝が日本人にむけて作られ説かれているという事実である。それゆえに総てが欺瞞であるというわけではない。日本はその占領地域全体に自らの反西洋信条を持ち込んで、その信条で以ってアジアの他民族を教育しようと意欲を燃やす。そのために満州、北支那、インドシナ、インドネシア、そしてマレーに軍団を編成する。占領地域の青少年への軍国主義鼓吹を、われわれは危険なことと考えるが、日本人は自分たちへの支援のためと考えている。それはインドネシア人に人間としての誇りを取り戻させもする(たとえ彼らを怒鳴りつけたりしてでも)。インドネシア人を全く無視し、彼らに劣等感を持たせただけのわれわれとは違っている」・・こうした日本軍のやり方は、戦時下のような破滅した状況下においてはかなりの効果を示したようである。「真実はわれわれにとって厳しいものだが、オランダ領東インドは、日本軍を喜んで迎え入れたアジアにおけるたった一つの地域かもしれない(**)。解放軍並みの歓迎振りだった。」ヤンセンは、日本人がインドネシア人に重要な職務および責務を与えるのに躊躇しなかった点について触れ、オランダ人支配下では考えられもしなかったことだと驚いている。ヨーロッパ人一般の所見としては、日本の哲学はせいぜいヘーゲルを登用したに過ぎず、およそ読了するに値しないものだが、日本人は彼らの哲学で韓国人や中国人に幸福を与えられるものと信じていたのが当時の状況だという(1944年4月の日記に‘韓国人’という記載が見られる。訳文ではあるが‘朝鮮人’とはしていない。つまり現在における‘韓国’という国名を南朝鮮が使用していることはあまり好ましいこととは思えず、歴史的に融和しがたい経緯があったのかもしれないが、少なくとも‘南韓国’と名乗るのが北に対する礼儀というものであろう)。

(*)占領後は日本軍のラジオ放送局に勤務していて、連合軍放送を聴くだけでなく、日本軍の戦争政治宣伝の放送番組の作成にも多少なりとも参画していたが、1944年3月にインドネシア人と秘密連絡を取ったとの容疑で逮捕され、憲兵隊に過酷な拷問を受け、それが元で翌年8月に死亡したという。ここからも、一部の独立派グループからはかなりの私怨を日本軍は受けていたが、一般からの信任は薄かったのではないかという疑問がわく。なお、オランダは東京裁判で、この日本軍の宣伝工作(オランダ領東インドのの日本化)を、戦犯容疑として正式に連合国に提出している。すぐさま却下されたらしいが、オランダ政府は、今日もまだこの見解を持っているそうである。特定の思想を他人に押し付けることは確固とした罪悪であるという強い主張を保持している稀有な国家だといえる。

(**)他の地域、文明の水準においてはずっと先行していた中国はもちろんのこと、オランダ人と比べればはるかにうまく現地の住民と溶け込んだアメリカのフィリッピン統治下などでは、日本化運動などというものはうまく行かなかった。実際ヤンセンにしても「あなた方がわれわれをもう少し人間的に扱ってくれていたら、われわれはあなた方と共に(侵略者を撃退するために)戦ったかもしれません」という言葉をインドネシアの一青年から聞いていたことがあるらしい。英国統治下のマレーでは、実際抗日ゲリラ群のほうが大分数において優っていたという。暴力的な押し付けなど真に好むものは誰もいないのだ。うまく行かないことのほうがずっと多いのに、無駄だと分かりきっている政策をあえて行なおうとする日本人の精神年齢の低さ、幼児性は何処から生じるのということに、ヤンセンは非常な興味を示している。他民族を受け入れない偏狭さも侵略熱も失うことなく持ち続ける国民の軍事力は、その艦隊や兵器工場を絶滅するだけでは根こそぎに出来るものではなく、日本民族の精神構造自体を何らかの手段で代えていかなければならない。似たようなことを他の欧米諸国も考えていたらしく、終戦の1年半ほど前に、彼は連合国の無線が「この動物どもは四面から攻撃されるだろう。‘ああ、こんなめにあうくらいなら、赤子のときに死んでいたほうがましだった’とおもわせるほどにしてやる」と言うのを聞き及んで、こんなやり方では彼らの精神構造を是非変化させなければ必ずや報復されるであろうと憂えている。戦前から日本人は「黄色い猿」などといわれていたという。筆者も、日本人の羽田は全く黄色ではないのに、なぜだろうかなどと訝しんでいるが、私はこれは栄養失調による黄疸ではないかと思っている。現在でも、アメリカ人などは日本人が黄色いものだと思い込んでいるらしく、西洋人の団体旅行者が日本人をさして’white skin!’などとひそひそ言っているのを時折耳にする。私は’red man!’などといわれた。

戦時下の荒廃の中では一時的に日本になびいたものの、平和が訪れると、日本人のような暴力的なやり方はすぐ見放される。昔から「ペンは剣よりも強し」という。オランダはそれを実践した。戦後インドネシア人の子弟は本国に留学させ、日本人が武器を与え軍国主義を吹き込んだのとは対照的に、ただ教育のみを与えた。日本人の中にもそのような奇特なものは存在していたが、オランダと比べたら物の数ではなかった。それで、旅人のマントを脱がせるには北風よりも太陽による暑さが効果的であるのと同じく、最終的には日本よりもオランダが勝つことになった。インドネシア庶民はオランダのほうをより評価した。


日本人の奇異な慣習について驚くべきはトイレにまつわるもので、排便を他人に見られて極端に恥ずかしいと思うのは日本人ばかりであるといった感じだ。これは私も意外だったが、外国人というものは概してその点は平気であるらしい。中国の共同便所を目にして奇怪な印象を受けるのは日本人のみで、アフリカ人に言わせると「日本人は頭がおかしい」となるようだ。このことは前に「下水道の歴史」で述べた。その辺のおかしさが拡大して、戦闘といった事になると、際立って日本人の身勝手さが前面に出るのだと思う。『そんなことを考えたら頭がおかしいと思われてしまう』という日本人の思い込みが世界の常識から日本を孤立させることになる。そういうことは口に出すのはもちろんのこと、心で思うことさえ憚られることなのであるが、何処にでもいる一般の平均的な愚物にはそれが理解できない。私は、そういうことを平然と口にすることができる無神経な一般人たちを見るたびに、『彼らがこのように生きている意義はいったいどこにあるのであろうか?』などと、プラトンがかつて思っていたであろう様なことを思うのである。

なお、私が思うに、日本が枢軸国にくみして、連合諸国を敵にしていることを知っていた日本人というのは、都市部の人間を除いてはあまり周知の事実ではなかったのではなかろうか。従来日本の仇敵といえば、常にドイツであったのであって、まさか手のひらを返すようにここへ来てドイツに組しようなどとは思いもよらなかったというのが真相ではあるまいか。当時の日本に現在よりも多いくらいの100万人を超えるほどの共産党員がいたようなことを考えると、地方では空襲が始まる頃になって始めて日本がアメリカと戦っているということに気がついたものさえちらほらと目立っていたという話も、まんざら根拠のないものだとは思えないのである。


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