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zoom RSS 外科医の心情について

<<   作成日時 : 2012/10/03 16:20   >>

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日常時の心持のことではなくて、執刀するときの気持ちについてである。世間ではよく、「助けたい一心で」などという形容をつけているが、助かるのが当たり前だから手術するのであって、はじめから助かる見込みがなければ「手遅れです!」とか何とかいうのではなかろうか。まあ、医者が「9割がたは成功する」といっているときは、残りの1割にはいってしまったケースというのは、大概手術ミスといってもよいものなのかもしれない。だいたい近代にはいってからの手術などというものは、外部から入ってくる雑菌やカビの繁殖がないから手術によって患者が死ぬとしたらたいてい執刀医が殺していると考えても大過ないだろう。

殺人とはいっても、大概1ミリ上を切ったとか下を切ったという程度のもので、大半は出血死によるものだろうから、戦場で兵士が同士討ちで相手を殺してしまった場合と同じく、罪に問われる筋合いのないものであろう。ただし、中には操縦士を入れ忘れてプラ模型を組み立てておいて、直そうとしてあわてて人形を入れようとしたために患者が死んでしまったというバカなものもあるらしい。こういう単純な処方箋にも従うことの出来ない執刀医には直ちに殺人罪を適用すべきだ。

さて執刀についてだが、仮に私が外科医であったと仮定すると、私の場合、手術が思い通りに運ばなかった場合、癇癪を起して患者の体内を卵みたいにかき回したいという衝動に駆られるものと思う。つまりうまく行かないから、そろばん算みたいに御破算にすれば、最初からやり直しが出来るのではないかという妄念が出てくるはずだ。こうした反応は、非常に強い恐怖を感じる対称があるとと、往々にして人はそのものに対して挑みかかっていくという理不尽な反応にも似たものがある。ちょうど子供の頃にこぶしを振り上げて見えない幽霊に立ち向かっていったときの様にである。こうした場合の重要な制御機構として浮かび上がってくるものが、生命に対する畏敬の念とか倫理観だ。生身の人体の内部を攪拌しているという場面が脳裏に浮かばないような人間ならば、医者をやらせてもまず問題ないかとも思う。そうした道徳観が極めて強ければ、現実離れした妄想などたちどころに打ち破ってくれるだろう。私の場合、大衆はむしろ死んだほうが幸福だと思っているたちだから、たぶん少し失敗したらかき回すほうだと思う。

こうした失敗のときのリスクに対して、手術が思惑通り成功したときの達成感というものもまた極めて大きなもので、その場合の幸福感という報酬を得たいがために、いわば中毒患者のように手術の魅力から離れられない医師も存在することであろう。多くの場合、達成感とは他者から与えられる社会的な目標であって、自分自身の内奥から発せられたものではない。「モチベーションを高める」などという言葉遣いに付随して語られる達成感とは、手っ取り早く言えば企業の洗脳策であって、主体性を奪う悪質なものであるが、大衆に適応するとなるとむしろ好ましいものに変化する。貯蓄のような収集癖を伴ったものには、比較的無意識的な達成感情を求めた動きが見られるようである。したがって、これもまた幻想とか錯覚の類なのではあるが、たとえ幻想であっても、幸福感を感じられるものであることは確かなものだ。医学的に言えば、単にドーパミンという脳内物質が分泌されることに付随する反応ということになっている。だからドーパミンの分泌が抑制されたうつ病の人間などには、達成感という幻想は現れないとされる。又、現代社会においては達成感として、具体的な成果が形として現れないもの、神よりの報酬などについてはこれを用いない傾向があるようだが、これもかなりおかしな風潮である。一方で、神への奉仕は「お勤め」として、少なくとも言語慣習上は、労働の一つとして扱っているにもかかわらずにである。

達成感情の閾値は成長と共に拡大してゆくのが通常であって、概して成人よりも子どものほうが幸福であるように見えるのもそのためであるかのように思える。身障者が健常者から見て平均して楽観的に見えるというのもそうした点が手伝っているのかもしれない。日常的に車椅子の世話になっているものにとっては、立ち上がることだけで、通常人が高山を登頂するのと同じくらいの達成感を感ずるであろう。不治の病床にあるものにとっては、一日を生き延びたというだけで大きな達成感に浸ることが出来るので、まるで常に至福の状態にあるかのように見えるだろう。こうしたことはおそらくわれわれも感じ取っているはずであり、風邪で寝込んだ後は少し具合がよくなっただけで、非常な幸福感を感じるものである。こうした日常的な観察からも、達成感が主観的なものであって、幻想といってもなんら差し障りのないものだということが分かる。ただ、外部世界に確たる証拠を遺した倍において、はっきりと現実的なものといえる類のものではある。登攀に成功したものが山頂に標を残して立ち去るのも、記憶に頼るのみでは達成感は思い込みや勘違いと変わりないことになってしまうからだ。




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