森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 『マルタの碑』という小説を読んで〜第一次大戦まで

<<   作成日時 : 2012/10/10 16:59   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

山口多門(下の写真)の伝記のようなものである。第1次大戦時、日本海軍の軍艦が地中海に派遣されて少々の活躍をしたという話。民族自立にかかわる戦争の火付け役は、ほかならぬ日本自体にあるのにもかかわらず、この程度の派兵しか行なわなかったというのが欧州先進諸国の心象を大分悪くしたものと思う。もちろんこの小説には日本海軍の得意として栄誉のように描かれている。それで、ぱっと見た限りでは『帝国海軍もこのような努力を遠い異郷の地で果たしていたのか!』などと、まるで地中海のバルカンでの蜂起には日本は無関係であったかのような見方をするものも現れよう。それは欧米諸国の植民地獲得が、かつて日本が行なったような暴力的侵略であったものと短絡するものの思考と同じ様なものだ。

画像


小説風の記述は、出だしの悠長な文章を読むのが億劫で、この単行本にしても、取り寄せたのはもう1年以上も前のことで、2章へ入ったところでそれきりなおざりにしたままであったのであったが、改めてその辺りまでを読み直してみると、日本が明治維新以来新興国ドイツを仇敵としてみていたことがよくわかる。地中海マルタ島にあるこの碑にしても、第2次大戦中にナチス・ドイツの手によって爆撃され損傷を受けた。中国山東半島付け根の膠州湾(チャオチョウ湾)の青島(チンタオ)にあるドイツ軍の要塞めがけて水上偵察機から爆弾を投下するさまが、まるで夢物語のように描かれている。大正3年(1914年)8月下旬のチンタオ爆撃だ。10月までの2ヶ月間、連日のように出撃し、86回の出撃で投下した爆弾は15回、44個。ただし、ほとんど命中しなかったらしい。ちなみにこれは陸軍の航空部隊で、海軍のほうも爆撃を行なっているという。こちらは190個も投下したが、命中したのはたった8発に過ぎなかったそうだ。20〜25発撃ってたった1発だから、日常の感覚だと無駄が多い。しかし、戦闘としてみた場合はこれでも最悪の部類には入らないらしい。

この青島戦争では、日本軍にやや遅れて大英帝国の戦闘隊も参画したが、彼らの最強部隊はインドのシーク教徒を主力とした部隊であって、『あれだけの強さを誇りながら、なぜ植民地に甘んじているものだ』と筆者の秋月達郎氏は弾雨の仲を駆け抜ける日本軍将校を借りて言わしめている。ちなみに、この頃の戦闘というのは、まるでオリンピックか何かの格闘技の試合か何かのように、敵味方同士戦いの前後にはお互い同士軽く敬礼をするというところもあったという。まだ戦闘員といえばお互い貴族出身という時代であって、戦いに対する通念というものも近頃のゲームの中のようであって、人の生き死にというものにも、世界大戦時のような悲壮感は伴っていなかったらしい(*)。こういう場面に接すると、列強の植民地政策とやらも、決して苛烈なものではなく、むしろ最初は単なる交易の一環として穏やかに始まったものであることが想像できる。同時に日本の常識として、被支配化の立場にある民族はそれだけで圧政下にあって虐待を受けているのだ、という先入観が色濃く根付いていたということもうかがい知ることが出来る。自分たちがかつてローマ帝国の支配下に置かれていたことを、欧州の多くの都市の人々が、如何に自慢げに語っているかということを思い出す。屈従が名誉の感情に転化することを日本人は往々にして知らない。それは民衆の勝利を表すものだ。円環的な未開社会において多く共通するものが、自分たちのシャーマンが屈服することと自分たちの社会が滅び去ることとを同一視する。だから、シャーマンを守るために、自らの生命を差し出す。原始的で愚かな思想だ。

(*)どうも兵士に占める平民の割合が多くなるにつれて、戦闘というものは残虐の度を深めていったようである。第三者である民間人を殺傷するようなことは、兵士全員が貴族階級出身者で占められている場合は、散発の事故のような場合を除けば、意図的なものはまず起こらなかったらしい。戦場に民間人が存在していた場合、その民間人がいかなる所在のものであっても、争いはいったん中断され、彼らの救出が確認された後に戦闘が再開されるというのが原則であったようだ。まあ、例外もあると思うが。それとも、貴族の礼儀作法がしっかりしていたからというよりも、兵士の数自体が問題であったとも考えられる。それでも、無教養で無理解な平民の割合が増えるほど、暴発事故の連鎖が進み、戦闘の残虐度が増すだろうということは充分想像できる。この当時の英国の大衆について言い表した面白い言い回しとして、バートランド・ラッセルの「たいていの人は頭を働かせるくらいなら、死んだほうがましだと思っている。そればかりか、彼らは実際そうする」というのが思い浮かぶ。面倒くさくなると、決闘のほうが易しそうだからそうするというのが大衆の愚鈍たるゆえんだ。真相はむしろ、頭を働かせて物事を考えることなど過半数の人間には不可能なはずだ。思考可能なものでさえ、たいていの人間は世間にすでにある借り物の思想を知識として詰め込んでそれに安住する。そのほうが賢明に見えるからである。知能程度が中層にあるものは、自分が借り物の思考で動くことしか出来はしない。彼らが仮に自分自身の判断で動いたとしたなら、まったくののろまにしか見えないだろう。おまけに、言語能力という日常的な基準では知力のあるなしはほとんど判定できないので、中間層は自分が愚物であることにすら気がつかない。

この戦いについて、米国の『タイムズ紙』などは『日本軍の海上封鎖によりわれわれの通商船はドイツ艦隊の攻撃をまぬかれた』などといい加減な賛辞を送っていたらしいが、実際はほとんどのドイツ軍艦は膠州湾を離れて、太平洋に逃れていたという。実際の歴史資料で誇大視されているのは、すでにこの当時日本の増長に手を焼いていた欧米諸国は日本を仮想敵国としてみなしていた、というものだが、それは朝鮮や中国に対する表向きのいいわけであって、実際はどうだったか分からない。少しでも時間が過ぎ去って、現在が過去になってしまえば、もうそれは存在しないものとなる。だからどんな再現の仕方をしても、それを想起する人の記憶内容と抵触しない限り、その内容は実際とはかけ離れた夢物語となっていても一向に構わないわけだ。むしろ、現実には起こりえなかったことのほうが往々にして真実のように映るだろう。それが記憶の忠実な再生とみなされる限り、過去の物語は必ず複数個に分かれるといってもよい。まして戦争の場合、往々にして、戦略上の偽情報というものがあちこちにばら撒かれているものであって、後世の人間がその偽情報を真実であるものと誤解して、自分自身の好むように過去の歴史を組み立てるということはかなりの確率で起こり得るであろう。

ドイツ戦艦シャルンホルストやグナイゼナウはもちろん、主だった巡洋艦、中でもとりわけ恐れられた商船キラーであった巡洋艦エムデンを撃破しなければ、シナ海域の平穏は保てないことは、20代の多聞にもよくわかっていた。そうしてそれは大英帝国の貧弱なシナ方面艦隊群では不可能で、撃沈可能なのは日本海軍を除いて存在しない。あわよくば自分の艦がその栄光に浸りたいなどと夢想していたらしい。


青島砲撃でドイツ軍艦隊を蜂の巣にしてしまうと、続いて日本海軍はドイツ軍の保有していた太平洋方面の植民地を次々と占拠して行ったので、「これはおかしい」とアメリカの大手新聞社が仕切りに非難を始めたが、米軍は日本軍の行動に問題はなしとしたので、これは丸く収まった。しかし、どう見ても侵攻作戦としか思えないものであったらしい。おそらく維新政府というものは、その成立の由来からして、常に捏造と破壊、略奪のくり返しであったろう。孫文などはすっかり日本がアジアを西洋の植民地化から救ってくれるものと信じきって、一時中国も日本を見習うべきだなどと説いていたようだが、第1次大戦が終わるころにはすっかり疑心暗鬼に取り付かれていたという。

それで、マルタ島にあるナチスに爆撃された碑というのは修復されて現在も残っている。それが下の写真だが、詳しい話はいずれ書くことにする。

画像




マルタの碑 [ 秋月達郎 ]
楽天ブックス
日本海軍地中海を制す 祥伝社文庫 秋月達郎 祥伝社発行年月:2006年06月20日 予約締切日:20


楽天市場 by マルタの碑 [ 秋月達郎 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル





山口多門疾風録 (ジョイ・ノベルス) (新書) / 田中光二
CD&DVD NEOWING
★書籍商品の購入に関するご注意コチラ↓より、初回盤・特典の詳細、在庫情報・出荷状況をご確認ください。


楽天市場 by 山口多門疾風録 (ジョイ・ノベルス) (新書) / 田中光二 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『マルタの碑』という小説を読んで〜第一次大戦まで 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる