大杉栄(1885-1923.9.16)

アナーキズムについて考えていて思った。これはどう見ても『無政府主義』などという文句をあてがうべきではない。『完全自由主義』のほうがよほどすっきりする。それなのに、なぜ斯く命名されるのかというと、こういう自由主義は即ち政府の敵だからである。がんじがらめの状態に縛り付けておいたほうが、国家としてはよほど安泰だ。ありがたいことに、大多数の人間は愚物であって、自分自身の思想など持っていない。こういう間抜けな連中を制御すれば、嬉々として死地に赴く都合のよい戦士も作れる。何しろ頭というものがないから、入力された情報が適当に偏向したものであれば、それだけを受け入れて、反対のものはすべて排除するという好都合な奴隷が出来上がるというしくみだ。

慣習的に世間ではアナーキストあるいはは無政府主義者と呼ばれている大杉栄にも次のような言葉がある。・・「・・この個人的思索を欲しないものは、いわゆる衆愚である、永遠の奴隷である。歴史を創ることなくして、歴史に引きずられてゆく、有象無象である。僕らとはまったくの他人である。」(「個人的思索」)。かなり優しい口調である。イエスと同じように、欲しさえすれば道は開けるといっている。この文章からは、かなり温かみのある、愛想のよい人物像が浮かび上がってくる。回転の鈍い人物であっても、望みさえすれば、個人的思索において賢者となれる資格があるという。私は、馬鹿では絶対に無理だと思うのだが、現実はどうであろうか?

そういう次第で、なにかアナーキズムについての入門書のようなものはないかと探していたら、『大杉栄-日本でもっとも自由だった男』という本が目に付いた。憲兵に虐殺された悲劇的な人物だというイメージがこびりついていて、早々自由だったという観念は浮かんでこなかったので、意外に思ったのだ。それに政府の教育方針というものもある。国家権力に反対する危険思想として、必要以上にあら捜しをして吹聴することは積極的に行なう反面、反体制派の良い面などまず何も表ざたにはしてこなかったというのが、頑迷固陋な支配階級の常套手段であったはずである。だいたい、いかにも貧乏くさいという写真ばかり公開してきたというのが気に入らない。遺されている著作集にちらと目を通してみても、何か下品だという印象を捨てきれない。最も、上品だとか下品だといっても、どちらの味が好みなのかは人による。料理に例を取れば、上品な味とはだまの少ない滑らかで薄味であり、メリハリのないものをさすのだろう。上品な顔立ちとは、凹凸の少ないのっぺりとした風貌のことをさすのが普通だ。下品な味のほうが、口に入れた一時の間はうまいと感じるものだ。要するに、上品さとは、昨今の風潮では、平穏無事で何事もなく人生を過ごすことであるといえる。かつて適度に波乱を帯びた時代には「何事もないのが高貴なお方だ」と唐代の臨在義玄は語っていたが、彼が反骨の師であったことを考えると、当時の上品さとはおそらく平穏無事で単調な色彩を帯びた日常の様子ではなかったはずだ。

届いた本の内容は、対談形式のいくつかの短い分を編纂したものだったが、その中に「ロング・インタビュー」として加藤登紀子の名があった。始めは大杉栄だったが、自立した女性のモデルとして、20歳の祝いに伊藤野枝(大杉栄の妻)の全集を買ったそうだ。ニーチェやサルトルなども好きだったが、マルクスなどもよく読んで、共産主義というものにも好感を抱いていたらしい。これで人間嫌いになった様子も無いのは、大杉の思想の優しさの反映かとも思う。大杉栄というのは、とに角人間味あふれる人のようだ。「求めよ!さらば与えられん」式のイエスキリストを髣髴とさせる。やはり万人平等に果実を配り渡そうなどという人物は、権力筋から邪魔者扱いされて処刑されるのが落ちだ。わが身の保全のためにも、特権は一部のもののみに分け与えられるべきであろう。それをせずに、たとえば太宰治なども、戦後すぐにアナーキズムに惹かれて、やはり聖書を引用して「空飛ぶ鳥を見よ。撒かず、刈らず、蔵に収めず」などと、中国風の楽道歌的な素朴な無一物の世界にあこがれていたそうだ。しかし何分現実との乖離が大きすぎて、誰も彼も身を滅ぼした。国家に粛清されたといっても過言では無いように思う。現在では、刈谷行人氏などがアナーキストの系譜だという。彼などは、もしも大杉栄が生き残っていれば、天皇主義ファシストになったに違いないと言っているそうである。あるいは竹中労は国家社会主義だなどとしているらしい。孤高の個人主義を貫いている人がなぜ全体を一律に統括するのかよくわからないが、そうだとすると、ヒトラーなども最初はアナーキストだったのが、次第に大衆の愚かさに腹を立てて全体主義への道を歩み始めたのかもしれない。あまり大衆に期待しても碌なことにならない。最初から、彼らの耳は馬の耳だと思うことだ。

大杉は早くからソ連のボルシェビキには反対だったという。アナーキストというのは元来がマルクス共産主義には反対だったわけだが、同じ反対するのも非難の度合いというものが違っていたらしい。一度でも権力を築いてしまえば、そこから権力中枢自ら解散するということなどまず起こりそうもないことは、大概誰でも直感的にわかるだろう。そうすると、共産主義社会とは、最初からアナーキーなものとして出発するしかないのだろうが、アナーキストが集団で協議して理想郷を築こうとすることも、まず現実には起こりえない。彼らの行動はいつでも散発的にしか起こらないので、既存精力が鎮圧することは容易だ。この編集本には、坂本龍馬がNHKの大河ドラマに選ばれたくらいだから、大杉栄についての大河ドラマも制作すべきだなどとあるが、日本国家の基を築いた坂本竜馬の選抜には問題がなくても、日本国家の解体を望む大杉栄が選ばれでもしたら、それは忽ち国家権力により弾圧されるであろう。どうせ国家は、多数決の横暴という手段を使って、表向き平和裏にそれを行なうに違いない。いくら大杉栄の正体が自由人であっても、永久に犯罪者であることには変わりないからである。旧憲法によれば、国家転覆を謀ったものは原則としては死罪であり、だから大逆事件などにしてもいまだに合法らしい。何回もいうようだが、明治維新以来の日本政府自体は中国共産党政権以上に不当なものであって、本来は明日にでも連邦制に変わらなくてはならないものである。日本国の土台自体が腐っているのであるから、いくら小手先の改革を企ててみてもすぐに元通りのものに修正されてしまう。現政権下では永久に大杉栄の思想は極悪人のそれであるにとどまる。


アナーキズムなどの社会改革思想が華やかだった大正デモクラシーの時代と比べて、現在はますます思想的に貧困だ。大学のキャンパスまで産業第一の観念に圧されて、自由な雰囲気は後退している。未来社会を描いたロボット人間たちとほとんど変わらずに、人々は今日も明日も同じように毎朝ガソリンを口にして仕事に出かけ、ただ肉体の整備のみのために自宅に帰宅する。自分の生活が狂ったものであることに気がつくものもいることはいるのだが、あいにく転倒した社会ではそれは病気だとされる。狂気である状態が固定されて人間精神を失ってしまうと、それは全快祝いとして社会から賞賛されるのだ。


ことわざに、「重宝を抱くものは夜行せず」などというが、大杉の周りの人物はかなり夜行性が高いのにもかかわらず、異常なほど長命なのが多かったそうだ。四角関係がもつれて大杉の腹を刺した神近市子(1888-1981)も荒畑寒村(1887-1981)も93歳まで生きた。日本を訪れて大杉とのツーショット写真を取ったバートランド・ラッセル(1872-1970)も98歳だ。今でこそ10人に1人くらいは95歳以上まで生きる時代だそうだが、時代背景を考えれば相当のところだといえる。根幹が社会主義者であっても、個人的自由の追求度の高い人物はそれなりに長生きなのかもしれない。一方のボルシェビキが大概痴呆症のようなものを患って短命に終わるのとは対照的だ。


大杉栄という人物には大変引かれたので、又改めて精査してみたい。今のところ、毎日FF12で遊んでいるのでたいしたことが出来ない。グラッフィックが精密なので本編とは関係ないところを歩き回っているので、3ヶ月間は終わらないだろう。



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