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zoom RSS 『原爆の父オッペンハイマーと水爆の父テラー』を読んで〜前編

<<   作成日時 : 2012/11/25 16:44   >>

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あまり面白おかしく書かれている本ではなかった。やはりこの手の本は多少なりとも物理学を研究した人間の手になるものでないと、文章に現実味が表れてこないのかもしれない。どうも筆者の足立壽美は医学部精神科だという。


副題に『悲劇の物理学者たち』と書かれているが、核分裂というものが発見されたあとも、核分裂とその連鎖反応から生じる原子力エネルギーの利用については、多くの科学者が懐疑的であったという。ラザフォードは、原子力エネルギーの利用について「たわごとだ。人間のたわごとだ。」と言い切っていたし、アインシュタインにしても「実用的ではありません。それは丸で盲人が真っ暗闇の中で鴨がりをして、空中に一発ドンとうつようなものです。」と言っていたという。それほど核分裂の可能性は低いものであった。ボーアでさえ、「我々の核反応についての理解が深まるにつれて、核エネルギーの現実的な利用は遠くなっていくようだ。』と語っていたという。そういったいきさつを知ると、その後わずか数年の間に、原子爆弾の製造が各国政府の間で真剣に検討されたことがまるで嘘のように思えてくる。

もっとも、ドイツのハイゼンベルグが、コペンハーゲンのニールス・ボーアの下を尋ねて、「原子爆弾に関しての研究はドイツでは行なわないから、そちらでも研究はしないでもらいたい」旨を打診したのが1941年のことだそうだから、その話の真偽はさておいて、核分裂の連鎖反応が現実に起こりうることはその頃には知られていたのだろう。ところが、イギリスやアメリカ、そしておそらくはソ連が核爆弾の研究を開始した後になっても、ボーアのほうは核分裂の連鎖反応には否定的であったというから、これは相当怪しい。しかも、イギリスやソ連から再三誘いがあったらしいのに、いよいよナチスに逮捕されそうになるまで、デンマークを後にしていない。どうも相手がハイゼンベルクかどうか分からないが、原爆を完成させるのがいやで逃げていたようにも思える。ボーアはアインシュタインと論争仲間でかなり親しかったらしいから、この相手というのはアインシュタインであったとも捕えられる。二人とも結束してとぼけていたが、どうやらアインシュタインのほうが道化役を演じるのがうまかったのかもしれない。もともとアインシュタインは原子のブラウン運動の研究が認められてノーベル賞を受賞したのであって、こうした人物が原子核分裂に無知であるわけがないのだが、今ではすっかり、アインシュタインといえばマクロの宇宙論ということになってしまっているのも、彼のお惚けの妙を表しているのだろうか。1944年の暮れのこと、アインシュタインはボーアに「将来の核兵器をめぐる競争の可能性について心を痛めているアメリカの学者がいます。果たして政治家はこの行く末に気付いているのでしょうか。その方法として科学者が集まって助言する、つまり合衆国からは貴殿とコンプトン、イギリスはチョーエル、ソ連からはカピツァとジオフェが一緒になって軍事力の国際化について政治家を説得しては、と考えます」という提案をしている。どうもアインシュタインの気質から想像すると、案外核物理に関して非常に詳しく研究していたのではあるまいか。そしてこの提案から察せられることは、ソ連の核開発に対する研究も相当進んでいたらしいということであり、戦後のソ連の核実験は単にアメリカの技術を盗んで行なわれただけのものではないということも感じられる。ボーアのほうは、かつてチャーチルに「戦後の核開発競争が過激化しないよう、原爆製造技術をスターリンにも知らせておくべきだ」と伝えようとしたが、全く聞き入れられなかったらしい。

 上のアインシュタインの提案からは、当時各研究で最前線を図っていたのは、米、英、ソの3国であったことが知られるが、現在ソ連が一等国であったということはまったく極秘扱いされているようだ。ソ連が科学大国であって、原爆製造技術をまったく模倣したというのは大嘘だったらしいということがここからうかがえる。足立氏は隠蔽されていた過去の事物をよく暴いたものといえる。

既存社会は富裕な豪族層を元に形成されたものであるから、どうしても平和とか平等、博愛といった理想社会には嫌悪を催す。それで例によってあることないことを言い広めると、愚鈍な大衆というのは、あたかも彼らの観念が自ら見出したものであるかのような振る舞いをする。社会というのは平均に達しない知能のものでも自由闊達に生きられるかのような幻想を生み出す場である。だから義務教育期間で体験することで分かるように、たとえば単純な論理力がどうしてもできないようなものまでが社会活動を平然と行なっている。そんなものを欺くのは簡単なことなのだ。数学や物理学を学ぶのに必要な最低限の論理力や観察力の欠乏を持ったものが何ゆえ存在するものか、はなはだ不可解に感ずるものも多いとは思うが、奇妙なことに現実社会にはそうした欠乏の不具者がかなり存在しているばかりか、どうやら世の多数派を握っているようである。彼らに他者との双方的会話が可能であり、読書や他人をまねた模倣の思索さえ行なえるということは、近未来社会における人工知能にも思索が可能であるということを示唆している。

哲学者として現在名をはせている人物に対しても、必要な論理能力を兼ね備えた人物の哲学は理論科学のような普遍性を有するものである。たとえばカントのようなもののそれは十分に一般性を持つものであるのに対し、ショーペンハウエルやニーチェのものはそうではない。しかし、カントとか、へーゲルもそうであったろうが、彼らのように巷のサロンに気さくに出歩き、他社との拘留を好んだものの哲学というものは、往々にして俗的で軽薄な気もする。反対にショーペンハウエルなどは、孤独であることを非常に重要視した。



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