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zoom RSS 弱者を繁栄させてはならない

<<   作成日時 : 2012/12/13 16:34   >>

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NHKのテレビで、過剰な回収に追われて倒産する企業というのをやっていた。バカな消費者に対する過剰なサービスのことである。あきれたことに、入浴剤の包装に米ぬか配合などと書いてあったのを、嘘か誠かインスタントみそ汁と勘違いして飲んだという例まで報告されているという。これなど、私が国王だとしたら、そんな愚な消費者は直ちに銃殺処分だ。こうした精神遅滞が増加している背景には、不具者を優遇しすぎる政策がたぶんに影響している。ごく一部の不具者を助けるために、多くの健常者を犠牲にする。かつてスウェーデンで断種政策が実行されていたころは、かの国家はあらゆる先進国にとって理想であった。それが今では無残な福祉国家である。社会の落ちこぼれだけを優遇して、圧倒的多数の健常者を無視した結果だ。

それでもこのような福祉政策は非常な善性に思われるため、大衆層からは多大な支持を受ける。仮に彼らの一部にその意味するところが把握できたとしても、自己犠牲は人間にとって極めて尊いかのように啓蒙されて育ってきた彼らがこの政策に疑問を持つ可能性は極めて低いものだろう。

かつて、圧倒的多数の国民の支持を得たナチス政権は、代表ヒトラーにこう言わしめた。「国家は何か明らかに病気であるもの、遺伝的な欠陥のあるもの、これによってさらに負担が増えるものに対しては、生殖不能と宣言し、そしてこれを実際に実行すべきである」(1924年)。国家的健康状態を持続させ、国家の長寿を保つには大変推奨されるべき政策である。弱者救済のために最もよいことは、弱者が生まれないようにすることであるのだが、現在の国策はこれとは真反対である。弱者を労わり、彼らの子孫繁栄のためにあらゆる努力を捧げるものだから、未来社会に進むにつれ、どんどん弱者の割合が増加する。そうするとどうなるかというと、一部の強いものだけが以前にも増して繁栄する代わりに、国民生活全体はより窮乏するのだ。弱者から搾取することは、一部の強者にとっては簡単だからである。

いまの社会でもそうだと思うのだが、不当なダンピングは経済の停滞を招くという理由で禁止されている。しかし、経済の停滞と国民生活の間に、いったいどのような関連性があるかというと、これが思ったほど関係がないのだ。経済が停滞するというと、条件反射のようにこれを肯定しがちなのだが、このほうも定かではない。仮にすべての生産物が無料で手にはいるものと仮定してみても、労働者のほうが無賃金でも以前と同様に生産を続けるとするならば、案外生活のほうは以前と変わらない。ただ金融業はその役割を失うことになるため、これらの巨大産業は総じて廃棄される。銀行や証券会社といったところがなくなるので、トヨタだとかソニーだとかいった企業の上層部の連中が貯蓄の楽しみを奪われるくらいである。文明の血液などといわれて、神のごとく崇拝を集めている金銭ではあるが、すべての物が無料である社会を人々が当然のことと受け止めてしまえばどうということもない。社会から金銭を排除してしまえば、一部のものが容易に突出して、他の者の生計を奪取するということもなくなる。奪取の手段に金銭以外のものを用いなければならなくなるとすれば、それは誰の眼にも明らかな強奪としか見えなくなるため、そんな事は社会が容認しなくなる。

まあ、ちょっと考える限りでは無賃金で働くものなどいないように思えるだろうが、仮に今すぐあらゆる医者の給料をゼロにするという法律が出来たものとする。その場合、果たして彼ら医療に携わるものたちは、ばかばかしいと思って仕事をやめるであろうか?多くのものたちは自腹を切ってまでも医療活動を続けるであろう。それが医者本来の夢というものである。多くの医者は無賃金でも働くということを、一般労働者にまで拡張してみれば、人は夢さえ抱いていれば金銭は必要ないということが分かる。現在一般の社会体制が是認され、当然のこととして受け取られているのは、単にそういう社会体制を持つ国家群が歴史上生き残ってきたからに過ぎない。そもそも貨幣というものが生まれたいきさつは、物々交換において発生する端数を除くことであるとも言ってよいだろう。それに白、物々交換によって、生活に便利なものを得ようという人々の欲求によるものであった。であるから、現代のように、生活のための必要物資が自在に調達できる時代にあっては、貨幣の重大な役割はほぼ消え去って、切手収集と同様、貨幣を埋蔵する趣味やら娯楽というものに、その役割はシフトしてきたのだといえる。そうするとどうもいまや国家が富むというメリットよりも国民全体が疲弊するというデメリットのほうが大きそうである。そうなると、やはり通貨廃止策が理想的なものに見えてくる。



本来人間生活に金銭など必要ではないのではなかろうかと思ったのも、最近100円ショップを徘徊し始めたのがきっかけだ。100円ショップの市用品というのは、2倍も3倍も材料を使っているものも、反対に同一の材料を半分以下しか使用していないものも、価格は同じ100円である。そういうことを見ているうちに、街中を走る車も、住宅類までも、価値は同じ100円なのではなかろうかと思ったわけだ。100円という価格は人間の迷妄度を表しているもので、畢竟無料と同じことだといえる。無料のものに金銭という価値尺度をつけて、あたかも金銭に価値があるかのごとく蓄財に走り、一部の強者が世の中の富を独占するから、巷には貧乏人があふれる。経済発展というものを続ければ続けるほど、ますます国民全体は貧しくなっていく。



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