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zoom RSS ロディ橋の戦い

<<   作成日時 : 2013/02/28 11:19   >>

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「ナポレオンの戦役」(ローラン・ジョフラン、2011)という本の第1章に書かれていた戦いである。ナポレオン・ボナパルト(1769−1821)の最初の戦役だ。この戦いの勝利によって、ボナパルトの名声は大いに高まり、伝説の域に達したが、それは彼の戦術の妙によるものというよりむしろ宣伝の妙によるものであった。ちなみにこの本は大変な直訳形式で翻訳されているらしく、フランス人にとっては理解しやすい表現なのかもしれないが、日本人にはそう滑らかに意味が汲み取れない個所も多そうな印象である。最も読み手の忍耐力如何では、このような直訳スタイルのほうが海外人の思考形式や通念というものもある程度つかめて、便利だと思う点も多い。

遠征の3日前に、総裁パラスの愛人の一人であったが、美貌以外に取り立ててとりえもないという理由で疾うに愛想をつかされていたジョゼフィーヌ・ボーアルネという西インド諸島生まれの女性と強引な結婚式を済ませたという点でも、この戦役は記憶に残るところがあるといえる。

ロディ橋というのは北西イタリアジェノヴァ港の100キロほど北東のアルプスを望む橋だ。戦った相手はオーストリア軍だから、神聖ローマ帝国とみても大した間違いでもないだろう。つまりドイツ軍ということにもなる。ドイツ人全般のフランスに対する根深い憎しみの感情のもとは、多くナポレオンの活躍が醸成したものであるといえる。

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この橋の突破において、ボナパルトは騎兵による電撃作戦というものを用いたのだが、それはフランス中世以来の馬鹿げた伝統に基づく野蛮なものであったようだ。オーストリア軍の大砲の雨の中、橋をかけぬけてゆくというものだ。いわば武田の騎兵武者が織田の鉄砲隊に向かって突進していったようなものである。1575年(天正3)の長篠の戦の武田騎馬軍の大敗北については、散弾の雨の中を武田の騎兵隊が突入していったというようなことがよくいわれているが、何か特別の儀式でもない限り、合理的な思考の持ち主であった戦国武将がそのような間抜けなまねをするとも思えない。事実は織田連合軍が、武田軍の2倍の戦力で立ち向かったから勝てたというものであったのだろう。武田騎馬軍も実際は織田軍の馬防柵を突破し、かなりの数の鉄砲隊に打撃を与えたらしい。両者の数が等しければ、おそらく武田が勝利していただろう。ボナパルトの戦術も武田騎馬軍と大同小異であったものなのだが、単に数が優っていたので勝利したものと思われる。

司令部は砲火をくぐって無事に橋を渡り切れる軍勢は、突撃兵のうちの3人に1人程度のものとみていたようであったが、先遣隊のこうむる被害はそれ以上のものであった。オーストリア軍の砲火はフランス軍の上に焼け爛れた金属破片を降り注ぎ、兵士の血液をほとばしらせ、切断された手足を周囲にばらまいた。脳髄が生き残った兵士の軍服にまきちらされた。先遣隊の突撃は失敗し、死体の山が累々と積み重なっていった。しかし、武田の騎兵隊と同じように、突撃隊はついには橋の向こう側に到達し、敵軍の砲兵を串刺しにする。武田軍とは異なり、犠牲になった兵士の数は全軍の中ではわずかな人数だ。ナポレオンの当初からの計算通りだったであろう。

すでに産業革命の波が欧州全域に広まっていたとはいっても、世間一般の通念というものは現代と比べればまだまだ中世に近いといってもよい時代だったということもあろう。ヒトとサカナはそれぞれ別個に神が創造したものだと誰しも信じていたころだ。ヒトは魚が進化して生まれたとするアリストテレスのポリス社会の人々よりも単純無邪気であった。

多分、正面から橋に突撃を試みる舞台はおとりであって、実際に敵の砲兵を叩く部隊のほうは離れた場所から川を渡って敵の側面を叩いたものだったと思う。何か所から分散して攻撃すれば、砲門の数が不足するに違いないという計画だったはずである。現代人の目から見れば、生身の人間をおとりとして消費するなどとはけしからんということになるのだろうが、つい先の第二次大戦においても、おとり作戦というのは普通に行われていた。今後も戦時においてはごく普通に採用される計画であるはずだ。世間が物騒になれば、人権がどうのこうのなどということも言っていられなくなる。ナポレオンが登場したのも、世間が物騒な時代だったからだ。彼自身は戦いを避けたかったのだが、連合国側はいつでも開戦の気構えが十分にあったのだともいう。


有能な将軍の常として、ボナパルトも最前線に出ることはなく、後方の安全な城に隠れて指令を送っていたのだが、並の将軍と異なるのは、彼が先陣を切って勇猛果敢な突進を行ったとフランス人全般に信じ込ませたことだ。それで、後世のスタンダール(1783−1842)は、ナポレオンをアレクサンドロス大王に比しているけれども、こうした狡猾なところはユリウス・カエサルとよく似通ったところがあったのではないかと思う。ただし、古代ローマ軍と違って、フランス軍は回線が苦手で、イギリスのネルソン提督(1758−1805、トラファルガーの海戦で戦死)率いる艦隊にはいつでも大敗北だったらしい。



圧倒的多数の人間は、現在の常識に基づいて過去を判断する。そうしておきながら、『自分は過去の歴史的事実にかんがみて客観的な観察を行った』などとしている。当人の視野に入っていないものについては、本質的なものがいくらザルから零れ落ちようとも、全くその事には気が付かないのだから、彼らは常に自分は客観的であるものと信じ切っているのだ。

例えば、放射能は線量が増加するにつれて死亡率が上がるから、「放射能は健康促進に良い」とする説は誤っているなどとする単細胞な輩は、見たくないものは常に見えないという典型である。互いに関連性のほとんどないものでも、わずかに共通するものがある。それをとらえた牽強付会なら大抵のものは自分に都合のよい言い回しが可能なわけだ。



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