森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 1000分の1秒を人間は知覚できるのか

<<   作成日時 : 2013/05/25 11:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

30代前半のころだから、もう25年ほど前のことになるが、ある本に「人の目は1000分の1秒で標準的な文字を1つか2つ認識できるというようなことが書かれているのを目にして、早速そのあとすぐ、数年前に購入したシャープのポケットコンピューターで簡単なプログラムを作ってみた。私が「すぐ」といっても、行動を起こすのはたいてい何か月か先か、それとも一年後の同じ季節になってからなのかあてにならないが、多分5年もたってからではなかったと思う。

30年前のポケットコンピューターでは、256分の1秒表示というのが速度の限界だったが、その間隔の表示では数字3桁か4桁くらいは読み取ることができた。体感的には128分の1秒表示と変わらない様に思えたので、念のために、表示がすんだあとすぐに空白を同じ場所にかぶせて表示させるようにしてみたが、結果は変わらなかった。しかし、それならば50分の1秒間隔で点滅を繰り返す蛍光灯のちらつきが気になって仕方がないだろうから、そんなに視覚の反応速度が速いはずはないと思って、そのままにしてしまったのであった。なぜポケコンで、50分の1秒ごとに白黒の点滅を繰り返すプログラムを作って、これが連続した灰色表示に見えるかどうか確かめなかったのかよくわからない。大体において我々人間は残像を分析してものを見ているのであって、ものそのものの変化を刻時認識しているわけではない。だから1千分の1秒だとか1万分の1秒間の動きがわかるといっても、その時間の間のことが脳に認識されているかというと、そんなことにはならない。1万分の1秒の変化が認識できる場合でも、脳の認識限界は100分の1秒まで、ということは十分ありうるわけだ。視覚による認識に残像が役立っているということは、運動中に外界の様子が把握できるという能力を見れば把握できる。時速200キロの新幹線の窓からは、線路の1メートル脇の太さ30センチの電信柱は認識できる。しかし、同じ場所をマッハ何某のジェット機で走りぬけた場合には、もう電信柱があることもわからないだろう。スピードが増すにつれて見かけの電柱の厚みは薄くなってゆき、ついには線となって、次の瞬間には司会から完全に消える。ただし眼球を動かさない場合である。これらから我々がみているのは残像であって、事物ではないということがわかる。30センチの距離を通過するために必要な秒数が、残像形成に必要とされる時間の目安だ。時速3600キロのジェット機が1メートルの距離を通り抜けるために必要な秒数がちょうど1ミリ秒だ。30センチだと、時速1080キロくらいになる。1ミリ秒で2文字程度が認識できるという件の話を信じるならば、残像限界はこれよりも多少上になるだろう。今思えば、我々の視覚処理は残像に基づいているために、100分の1秒でも200分の1秒でも、体感速度はほとんど変わらなかったのだ。網膜における処理にしろ、無意識による処理にしろ、こと視覚の処理に関する限りにおいてはそのために要する時間は1000分の1秒以下なのだろう。それが意識に上ると、亀のようにのろくなるのだ。

単なる思い付きの仮説だが、網膜に届いた光子一粒の信号が脳に入力されたとしても、それによって脳は何らの分析計算を行うこともないのではなかろうか。つまり、記憶を形成するためには2つの信号が必要だろうということだ。それによって人は初めて思考作用を起こす。

ふとそういうことを思い出して、ネットでいろいろ調べているうちに、100分の1秒表示という速読法だかの紹介ページを見つけた。やはり100分の1秒くらいだと、5文字くらいはかなり楽に読み取ることができる。そうすると、昔の実験はおそらく正しかったのだ。0.3秒の間に5ケタか6ケタの数字が出てきて、これを読み取るというゲームもあったが、これは比較的狭い画面のどこに数字が出てくるかわからなかったせいもあって、相当注視していても難しかった。多分0.3秒程度の表示期間があれば、表示された数字の羅列を10個くらい読み取れる人はかなり多いはずだが、0.3秒後にその表示が終わったらブランクが表示される代わりに新たな乱数字が表示された場合には、人の認識能力は格段と落ちるのではないだろうか。100分の1秒もあれば、文字数にして4文字から6文字分くらいは認識できるだろうが、連続して同じ場所に文字列が表示された場合、蛍光灯の点滅が認識されないのと同じく、多分人には目の前にうすい灰色の表示を確認することしかできないと思う。

それで表題の答えであるが、この速さでモノが認識できたとしても、それは知覚したとは言えないものだろう。知覚には分析力、分解能といったものも伴う。連続表示の場で一文字一文字が分別できなければ、それは知覚とは呼べない。文字ではなく、単純な図形や絵画の場合は、100分の1秒程度の時間であれば、認識できるのが普通だろう。そうでなければ、テレビの動画が把握できるというのもおかしいからだ。もし100分の1秒程度の時間間隔が視覚認識のために必要であるとするならば、走っている車はずいぶん前後が縮小してみえるに違いないのだが、そうした感じも受けないのは、日常生活の場で我々が普通に1000分の1秒以下の時間認識を行っているということを意味しないか。

1万分の1秒の時間間隔でフラッシュするプログラムというものが簡単にできればいいのだが、なかなかそのようなのもありそうにない。

フリーソフトのプログラムで「動体視力UP」というのがあったので、ダウンロードしてやってみたが、いろいろあって面白い。周辺視野の計算問題で、端っこの数字がはっきりと見えなくなっているが、加齢のせいによるものなのかよくわからない。意外と易しかったのが、左右から同時に出てくる2つの数字を読み取るものだった。ただし「瞬間視」の問題ではやはり周辺視野がよくないと数字が読み取れないようだ。10種類以上も項目があって見た目もきれいにできていてとても良いものである。↓
http://freesoft-100.com/review/doutai-shiryokup-apex.php


「瞬間数字」で検索したら、いろいろなものが出てきた。どうも周辺視野が悪くなったのか、読まないで(目を動かさないで)自然に見える部分が4桁までになってきたようである。短期の記憶力の低下によるものかもしれないが、そうだともはっきり言えない。「一年は老人には短く、一日は長い」ということでがベーコンにある。年を重ねるほど、観察力がすばやくなるため、時間の経過は相対的にゆっくりとなるというほどの意味だ。もっとも、逆に感じる人もいる。「自分は年を取ってからのほうが一日が過ぎるのが速く感じられる」という人もいれば、「ベーコンの言うとおりだ」という人もいる。ネットを三輪田宇都、若干ベーコンとは反対の感覚を持つ人のほうが多そうだが、藤本義一氏などは「一生は短く、一日は長い」という本を出している。理由も人さまざまなのだが、もしかすると瞬間視力のようなものは加齢によりむしろ向上するのかもしれない。人間の脳味噌の総合的な働きが最大限になるのは40歳前後らしいが、瞬間視力のようなものは人の諸能力のうちでもかなり遅れて発達する部類に入っているものらしいからである。


視覚ワールドの知覚 [ ジェイムズ・ジェローム・ギブソン ]
楽天ブックス
ジェイムズ・ジェローム・ギブソン 東山篤規 新曜社発行年月:2011年03月 ページ数:299p サ


楽天市場 by 視覚ワールドの知覚 [ ジェイムズ・ジェローム・ギブソン ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
1000分の1秒を人間は知覚できるのか 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる