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zoom RSS カラスに餌付けをする人々

<<   作成日時 : 2013/08/19 17:10   >>

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単なる遊び心で餌付けをしているものはもちろん除外するとして、おそらく確実に言えることは、これらの人たちは例えば戦時中にあっても「殺人は悪である」といって徴兵に応じなかったタイプの人間だ。そう考えると、非常に強い信念と実行力を持った人々だといえる。一般大衆が唯だらだらと他人の模倣をしているにすぎないという中にあっては、自分自身の意思で動くということは大変価値のあることだ。

多くの者たちは、集団行動に疑惑を抱くこのような人々を無条件に非難するものだ。見様によっては、これは大変思いやりを欠く行為である。思いやりがないから、例えば戦争中爆撃機で軍事施設の代わりに民間の施設を空爆した兵士を非難する。冷酷な指揮官でないと、配下の編隊に軍事施設を攻撃するような命令は出せない。対空砲火が十分に備わっている軍事施設を攻撃すれば、うまくいっても自軍部隊に2割から3割の損失が出る。防備の手薄な民間施設を狙えば、損害はせいぜい1割程度だ。編隊の指揮官に必要なのは、この民間の施設が軍事基地であるという言い訳だけだ。そこで指揮官の思うのは、『あの施設は民間の中学校である可能性が大きいが、軍事施設である可能性もわずかながらある。そのわずかな可能性にかけよう』ということになる。結婚式場の教会を空爆した米国の指揮官の心中も、おそらく配下の兵員の生命を預かる責任感からだろう。人情味のあふれる上司のとるべき当然の道徳観だ。国際的な取り決めというものは、非情な人間にしか守れないものだ。戦争における爆撃地の選択は、配下の身近な部下の生命を守ろうとする編隊指揮官の良心より生ずるものであって、きわめて人間道徳的なものである。この道徳心の欠陥を防ぐためのものが国際法だ。仇討の生ずるのは人間的道徳心からであって、それを禁止するものが法律であるのと同じである。


このような簡単な道理を何一つ解そうとはしない大衆には毎度ながら実にあきれ果てたものがある。世の中のシステムというものはただ30人のうちの29人までもが占める絶対多数派の大衆が迎合するような都合のいい仕組みでできているものであって、それは正しさとは何ら関係のない物だ。それで多くの人間というものは、自分が29人の中に属するということに安住して、不正を犯して生きているにもかかわらず、一向に良心の呵責というものを感じないのである。


何か、大衆全般をくそみそにけなした著作集というものはないであろうか。さぞスカッとする向きも多いであろう。

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