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zoom RSS 「米軍が恐れた『卑怯な日本軍』」を読んで

<<   作成日時 : 2013/11/06 16:44   >>

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ムッソリーニは少し複雑なので、気晴らしに終戦直前の日本軍の様子について調べてみた。筆者は1971年生まれの一ノ瀬俊也という人。「卑怯な日本軍」というのはアメリカが終戦直前に日本軍を研究した論考の表題。それで日本兵を捕虜にする時は細心の注意を払って捕虜にすべきことがくわしく述べられているが、米軍兵士はこんな煩瑣な手続きを嫌ったのか、投稿してくる日本兵はたいていすぐ撃ち殺して、米軍キャンプに戻って叱責された胸が書かれている。ところが規則通り苦労して捕虜にした日本兵の手当てをしようと軍医のもとへ連れて行ったところ、回復したら危険だからという理由ですぐにその日本兵は射殺されたそうで、今度は日本兵を捕虜として連れて行った米兵が怒ったそうだ。別段国際法違反でも何でもない。危険とみなされたものが処分されただけだ。面白いことに、終戦間際の日本兵はよく英語で会話をして米兵を欺いたとあるが、アクセントの可笑しさなどはなかなか見抜けなかったらしい。戦場ではかなり動転しているので無理だったのかもしれない。そういう「なりすまし」の兵隊は、たとえ捕虜にしても、銃殺刑が当たり前であって、これは公然と認められていたようだ。ただし米軍司令部の予想では10回のうち9回はアクセントの可笑しさで気が付くだろうとはしているが、これはあくまでも机上の推論である。

「米軍が恐れた」という表題に、自動的に反応してしまうタイプの人間もいるようだが、実際、米軍には残虐な伝統はなかったらしい。国民一般の気質といてとして、残虐性よりも効率性の方を好むからだろう。全国的に銃の所有が認められている州が大半だというのに、銃を使った残虐な犯罪があまり出てこないというのも、国民の気質を示すものだろう。仮に日本の社会で銃の所有が認められでもしたら、猟奇的犯罪が後を絶たないかもしれない。アメリカ人の場合は、経済的に極端に無駄な甲田とわかっている場合は行動には移らないだろう。けれども日本人だといくら無駄だと分かりきったことでも、仇討のためなら労力を惜しまないというバカな伝統みたいなものが、大岡越前の昔からある。仇討自体は臥薪嘗胆の中国人の発明に違いないが、中国人全般の気質も、アメリカ人ほどではないにしろ、経済最優先である。無駄だと分かっていても行為に及ぶ人間も多いが、日本人のように社会全体に伝染する傾向は見られない。

当時、米国兵一般の常識として、日本兵の10〜20%は英語の読み書きが自由にできるものとみなしていたようである。これは日系2世たちの観察から来たものなのだろうが、それにしても大幅に勘違いしていたようである。当時現役の兵士だった日本人にほとんど英語のアルファベットの読めるものがいないことや、たまに読めるものがいたとしても「D」を「デー」と発音するなど、英語ではなくドイツ語読みだったりするということを考えてみると、1割以上の日本兵が英語を理解できたなどということはまずありえないことだ。ただし、上級将校の場合については、陸海軍ともに英語教育やドイツ語教育にはかなり熱心で、それなりの授業も設けていたらしいから、彼らの多くが読み書きに不自由しなかったというのは本当であろう。しかも今と違って英語ができるかどうかは死活問題だ。死ぬ気になって学んだものの英語力であるから、おそらく今のものよりはかなり実用的であったろうとは思われる。とはいえ、『卑怯な日本軍』とやらで詳述しているのは、あくまで【こういう人間もいた】ということだけであって、どのくらいの日本兵がそうであったかではない。世の中の人間の多くは「誰しも南風を好む」などという言い方をするが、そんなのは大嘘であるということはすぐにわかることだ。北風を好んだり、不安な状況を愛するという人も多い。逆境におかれた方が新たな発見があるからだ。

それで、徴兵なんかに関しても、現在ではこれを義務と感じる人のほうが圧倒的に多く、100人に1人程度のものがこれを権利と感じているにすぎないだろうが、戦時中などには20人に1人程度がこれを権利と考え、嬉々として戦場へ赴いたということが考えられる。彼らにとっては、日常生活における戦闘状態がむしろ自然で好ましいものだ。社会通念上では、いつの時代にあっても、たいてい彼らの概念は異常なものとして処理される。両大戦においても、もちろん彼らは異常なものには違いなかっただろうが、しばしば利用価値のある便利な人物として珍重されることはあったであろう。

攻めたとか攻められたとかいっても、こうしたものはあくまで感情の上での出来事で、双方が互いに衝突した段階においては単なる物理現象が起こっただけで、どちらがぶつかったのかは全くわからない。衝突は常に相対的なものだ。それでどちらから衝突を眺めるかで見方が分かれる。攻め入ったほうから見れば、まるで相手のほうが攻め入ったかのように見えるものである。そうまして歴史的事実というものはすでに過ぎ去ったもので現実にはこの世に存在しない。解釈することだけが残るので、数限りない解釈が生まれる。いうことから実にばかばかしい時間の無駄遣いが起こる。暇つぶしといえばそのようにいえなくもない。しかし当の本人は大まじめだ。アキレスと亀の問題を延々と話してやまない観念学者と似ている。自然現象というものは必ず人間の思考に従わなければならないという古代ギリシャの暇人たちにしか行いえなかった高尚でくだらない遊びだ。この問題にしても、現代人の多くから見れば完全に詭弁であるが、純粋数学と自然哲学の違いという立場から見れば詭弁とは言えず、ギリシャ人の世界観からすれば完全な正論であって間違いを犯しているのは自然の方となる。このような相対感が生じるのは、人間社会生活が均質でないからである。人間社会生活をすべからく均質にするには、直ちに給与、賃金を撤廃することが必要だ。人々は収入ゼロで労働生産を続けることになる。そうすれば、すべてのものは無料となるので、均質であることに人が耐えられるのであれば、万人が穏やかでつつがない暮らしを営むことができる。ところが実際は大衆というものは均質ではない。だから均質な社会というものは現実には作れない。そこでさまざまな無駄なことが生じることになる。無駄が起きるということも案外当たり前で、もともと人間とは経済的合理性など求めて行動などしていない。ただ周りの人間のやっていることを見て自分も同じことをしているだけだ。だから無駄なことでもみんながやっていれば彼も無駄なことをする。商品などにしても、性能の良いものよりも、みんなが買っているというものの方が売れるというのはそうした理由からだ。


意外に思ったのは、日中戦争の始まった1937年の時点においては、中国狙撃兵の技量は日本軍のそれよりもはるかに上回っていたという点だ。しかも白兵戦においても、通常こそ日本軍のほうが数層倍も圧力があるが、いざ退路を断たれた場合には中国軍の強さはしばしば日本軍を凌駕するほどの力があったと、陸軍の記録には残されていたということである。数において上回っている場合でも必勝する自身はなかったということが当時の陸軍戦記にはあるそうである。とすると、日本陸軍の強さは案外どこぞの国と変わるものではなく、ただ海軍の強力であったという事実を陸軍にまで延長してものを見ていたにすぎないということになりそうだ。ただ陸軍の強さはそう秀でたものではなかったかもしれないが、陸軍航空部隊が優れたものであったことは確かだと思う。しかし歩兵レベルはそうではなく、中国兵士は大変強力であったらしいので、しばしば日本兵は中国兵に身をやつしたうえ、号令なども中国語を使用し、相手陣地を奇襲したという。そういうなりすましは国際法違反なのであるが、日本軍はそれを知っていて行ったということが、陸軍資料に残されているそうだ。相手が相当に手ごわくなければ、まずこういうことはしないだろう。戦闘の場合、接近戦においては案外小銃の威力はなく、刀のほうが圧倒的に有利であったというのもやや意外な点だ。第2次大戦末期においても、陸軍の指南書には「銃は重くて邪魔だから、歩兵には槍と手榴弾を持たせて突撃させるべきである」なんていうのも出てくるらしいが、こうなると負け惜しみのようにも聞こえてくる。しかし、テレビや映画などから受ける印象とは異なり、10メートル近くの間合いを置いた場合であっても、攻撃する側にとってもはや銃はほとんど役に立たず、かえって槍剣のほうがはるかに便利であったことは間違いなさそうだ。多少の距離があれば、飛び道具のほうに理があると思うのは、どうやら机上の空論に近い物らしいい。

ちなみに、手りゅう弾の威力について、福岡県警のサイトを見ると、過剰表記ではないかと思えるようなことが書かれている。いくら最近の兵器のほうが威力があるとはいっても、半径15メートル以内にいるものはもれなく死亡などというのはいささかおかしい。戦時中のドイツ軍対人地雷「Sマイン」でさえ、半径23メートル内の敵を全滅させる程度の破壊力である。戦後、建物や車などはだいぶもろくなった。当時の車と今の車が衝突したら、べしゃんこになるのは今の車の方だろうが、人間までもろくなったわけではないだろう。どうも福岡県警の表記は一ケタ違っているのではなかろうかと思うくらいである。そんな破壊力があったのでは、到底手投げ弾という本来の意味がなく、もはや手りゅう弾とは呼べないからである。

突撃接近戦の場合、小銃などよりもむしろ竹やりなどのほうがよほど役に立ったという話は、大戦末期の潜水艦が急速潜航して敵を逃れようとした場合は確実に敵の餌食となるという話を思い起こさせるものだ。自艦の100〜200メートルの範囲で爆雷が破裂すれば、まず沈められてしまうそうだから、探知率の大幅にアップした戦争末期では潜水艦の隠れるような場所はほとんどない。とすると確かに浮上して交戦した場合のほうが乗員の生存率はずっと高くなりそうだ。多分負けるだろうが、半数以上、おそらく80%は捕虜になるなりして助かる。一目散に逃げれば、ひょっとして全員助かるということも考えられる。敵の方にしてもそうそう深追いしてくるものでもなかっただろう。潜った場合に爆雷を受ければ、100%即死だから、単にサバイバルという点なら浮上したほうがずっと賢明だ。当時の潜水艦は、潜航した状態で満足に推進できるような代物ではなかったからだ。ただし、潜水艦の乗組員にとって幸いなのは、水中で圧死すれば、軍人としては最も安楽に死ぬことができることがある。しばらくは薄暗がりの中で恐怖の静寂というのが続くかもしれないが、そのうち意識の停電のようなことが起こってぷっつりと死んでおわりである。痛みを感じるころにはもう脳みそがつぶれているので、何も感じることはないだろう。

帝国陸軍がそこそこ強力であったという話は、おそらく戦後のアメリカの宣伝工作によるところが大きいのではないかと思う。何しろ米軍が当初戦っていた日本海軍は米軍の2倍も強かったのだから、彼らにしてみれば陸軍もそうだったと思いたくなるというものだ。太平洋戦争開戦直前の1941年5月に米陸軍省が発行した『日本軍ハンドブック』には、日本軍の特徴としてそのだらしなさがあげられている。行軍、服装、行動のあらゆる面から見ておよそ軍人らしさが欠けていたという。装備に光るものはないし、戦術の理論的長所もないとしている。それでいながら、義務への献身と偏狭な愛国心に基づいて戦うので非常に強力であるという。日本軍は日本軍で「敵(米英蘭軍)は支那より強いか」などという論考をやはり開戦時に物している。とすると、やはり日本陸軍はそこそこお粗末であったとみるのが妥当であろう。日中戦争の観察から「かなりのだらしなさ」という結論を米軍が導いたとすれば、「規律正しかった」などという巷のうわさも果たしてどの程度事実だったか、極めて疑わしいものとなる。

例えば、1944年に発行された資料には、米戦艦の38センチ主砲は鉄筋コンクリート3メートルをぶち抜くとか、戦艦一隻の殺傷能力は五個師団に匹敵するとかいったことが書かれている。通常2,3個師団を束ねた軍団が最大規模の集団なのだが、日本陸軍には軍団という単位そのものがなかったそうだ。それで日本陸軍の場合は師団が最大規模の集団となる。これは通常1万人〜2万人で構成されている。したがって、戦艦一隻の殺傷能力は少なくとも5万人以上の師団に匹敵するものと評価されていたことになる。3メートルの厚みのコンクリートならば、1トン爆弾の直撃を受けてもびくともしないというから、艦砲射撃(砲弾の重量は大体1トン)の威力は重爆撃機の破壊力をはるかに上回るものだ。実際厚さ10メートル以上の壁に囲われた壕に隠れていても、まるで巨大な地震動を受けているかのようなすさまじい振動が感じられたという。戦艦からの砲弾の初速は、口径に関わらず秒速800メートル程度もある。高度1万メートルから落とした爆弾が空気抵抗を全く受けなかったと仮定しても、この速度にまで達することはない。落下地点の高度をh、重力加速度をgとすると、真空状態での最終落下速度は、v=√(2gh)であるから、所与の数値を代入して、√20万メートル毎秒で≒450メートル毎秒くらいにしかならない。急降下爆撃の場合はどうだったかというと、これは速そうなのはどうやらイメージ上の話であるだけのようだ。音速に近い速度で降下すれば機体が壊れるから、実際は時速400キロも出して降下するのがせいぜいだっただろう。秒速110メートル強だ。これに落下までの重力加速を加えたとしても、せいぜい200メートル毎秒にしかならない。しかも垂直に降下して爆弾を投下するわけではない。水平爆撃のほうが破壊力そのものは上だっただろう。その水平爆撃の場合でも、実際には空気抵抗を受けて、上記の数値よりも少し遅くなるから、艦砲射撃のほうが優るのは当たり前だ。戦艦大和の1.5トンの弾を至近距離で受けたら、5メートルの鉄筋コンクリートでも安全とはいえなかっただろう。ちなみに爆弾の重量比較をすると、広島原爆リトルボーイが4トン、長崎原爆ファットマンが5.5トン、ダム破壊や戦艦ティルピッツの撃破に使われたトールボーイ爆弾が5〜6トンだ。最大の列車砲では、80センチ砲グスタフの徹甲弾の重量が7トンであったという。砲弾の初速は、直径20センチを超すものはいずれも700〜800メートル毎秒に設定されており、この速度が実用に最も適していたらしいことがうかがえる。1943年にナチスドイツが実用化を目指した高圧ポンプ砲は、15センチ砲弾を秒速1.5キロまで加速し、長さ150メートルの砲の先から打ち出すというものだったが、実験段階で砲身が破壊されてしまったという。よくわからないのが、爆撃機を迎撃するために開発された高射砲の弾丸の初速が意外と遅く、戦艦からの物のほうが速いということだ。何か特別な理由がない限り、あの長砲身であれくらいの初速しか出せないということは考えにくい。弾丸が打ち上げ花火みたいなものだったからだろうか?連射速度を上げる目的なのだろうか?普通の戦車の砲弾の初速は戦艦からのものよりも速いようである。戦艦大和の主砲でも、45度の俯角で発射した場合、上空1万メートルに達するそうである。案外空気の影響など少ないらしく、初速800メートル毎秒もあれば、垂直上空15キロか20キロくらいにまでは到達するらしい。

しかし、思うに、日中戦争以降の中国軍は自国内で日本軍と戦っていたのであって、双方とも自国の領域内で戦闘を繰り広げていた米国軍と日本軍との比較はそうやすやすとおこないうるものではないだろう。まあ、米軍のほうは現地住人から、侵入者掃討の依頼を受けていたかもしれないが、自国とは離れていたところで互いに争っていたという点では似たようなところがある。ただし、国民の生活水準と戦闘時の境遇の違いとを考えた場合、日本軍人よりもアメリカ軍人の気力のほうが一段上回っていたということは言えそうだ。仮に日本が開戦前に連合国の立場にあったとした場合、日本人の精神力であったら、果たして参戦する気になったかどうかもひどく疑問である。しかし、反戦的な政府を転覆させ、好戦的な政府を選んだのもまた大衆であり、日本の場合においてもこれは例外ではなかった。大衆には絶対的な意思というものがなく、常に根無し草のようにその場その場で都合のよいものを選択しているからである。それは今日の国民と明日の国民とが個人レベルでは異なっているが、国家レベルでは同一であることに起因するのであろう。有事にあたっては、国家は人民の敵だ。

ちなみに本書には、日中戦争時に中国軍が民間服を着て戦った(便衣兵)のを日本軍がまねたなどと書かれているが、中国軍が自国内でどのような服装で戦おうと、別段国際法違反に相当するとは思えない。他国内で戦うことと、自国内で戦うこととの間には明白な差異が存在する。日中戦争時代の中国軍は、まさしく自衛隊に相当するものだったといえる。果たしてそれが軍隊と呼べるものであったのかどうかさえ根拠に乏しいものだろう。仮に中国が「あれは警察隊または保安部隊だった」といえばそれまでとなるものだ。いわゆる戦記本などには大概中国の兵士は日本軍と同様の軍人であったというようなことが書かれているが、まず第一にここがおかしい。

それからまた驚いたのは、陸軍の対ソ攻略作戦である。42年の7月の関特演だけではないようで、43年秋の「チャムス演習」などは陸軍始まって以来の大規模な対戦車演習だということだ。こういう事実の積み重ねがあるのに、よくずうずうしく「日ソ中立条約を一方的に破棄して…」などといえたものだ。こんなことをいえるのも、スターリンの主義主張によれば『日本は中立条約を破ったわけではない』となるからだ。だからプーチン元大統領なども、「日本はたまたま攻め込んでこなかったので、中立条約には抵触しなかっただけだ」というしかないのだが、当時から欧米の論理では日本が先に中立条約を破っていたわけである。肝心のソ連側が自分に有利になる証言を退けているのだから不思議というしかない。




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