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zoom RSS 東電に責任はあるのか

<<   作成日時 : 2013/11/21 10:25   >>

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東京電力の失態について考えていた。たいていの人は、東京電力の社員はまじめに勤務を追行していたのだが、彼らの不測の事態で事故を起こしたと考えている。本当は違うのではなかろうか。「ばかばかしくてやってられない!」というのが彼らの本音ではないのか。福島に原発を立てる際にも、東京電力の意思ではなく、政府の命令で建てたはずである。日本政府が、この条件で建設すればよい。想定外の大事故の生じた場合については、すべて免責とするといったので建設し、運営を始めたわけである。

それが大事故の起こった途端に、保証人と信じ込んでいた政府が手のひらを返すように態度を変えた。「金は出すからお前のやったことにしておいてくれ」とでも言ったのではあるまいか。昔からそういったやくざなことばかり繰り返してきたのが日本政府だ。「国のおかげで我々が生きていられるのだ」といった人がいるが、我々を育ててくれたのは地方自治体であって、日本政府ではないといえる。国家には恩義などみじんも感じる必要はない。反対に人民の仇敵であるといったほうが正しいくらいである。


国家の正体といったものが見えたのもこの震災直後の原発事故の時だった。あの時の菅直人首相の分別のなさそうな狼狽ぶりに、日本国家の腐敗ぶりをまざまざと感じた向きも多かったことと思う。政府の出納にいまだに大福帳を用いているのは、東アジアでは北朝鮮と日本だけであるというのも、何かをごまかすためのたくらみなのだろう。ここまで低迷した国家というものは、ぜひ解体して、新生日本を新たに築く必要があるのにもかかわらず、名誉革命のような大事業を手掛けようという人物は出てこない。もっとも、現状でも大革命の機運を国民の間に広めることのできる人物が一人は存在するのであって、それは天皇である。天皇には政治参加はできない旨が憲法には書かれているとされるが、内閣総理大臣は天皇の承認を得なければ就任することができない。したがって、天皇が指名を拒否し続ける限り、国家は運営機能を停止せざるを得ない。そうなると国民全体に何事かという雰囲気が浸透する。

幕末の大政奉還以降の天皇の立場も、意外と現在とそう大差ない物であったのかもしれない。立憲君主制時の樹立に当たって、幕府打倒のために天皇を利用したのが新政府だったのだから、天皇の権限など最低限にしか盛り込まなかったはずだ。それが明治天皇一代の間に、あれだけ天皇が実権を握ることができた。明治天皇は1852年、嘉永5年の生まれだ。父親とされる孝明天皇の急逝後の1868年に即位したときはまだ14歳、数えでも15歳だ。当然実権などあるわけがない。自分で実力をつけていくしかない。今生天皇にも、それなりの力はあってしかるべきだ。

ここで、天皇の系図について一言言っておくと、世間では一様に、「万世一系の天皇家」などという言い方をして、天皇は代々2000年間も途切れることがなかったなどと思っているが、よく考えてみるとこれはきわめて怪しい。世間並みの親子であれば、赤子というのは母親が自宅でサンバの見守っている中で生まれ、その後もずっと両親の監視の下で育つわけだから、まず子供がすり替えられるという懸念はない。しかし、天皇皇室はどうかというと、てんで違う。赤子は生後間もなく母親のもとから引き取られて乳母に育てられる。この間にすり替えられる恐れは十分にある。というか、普通に多様な子供を見つけて取り替えるのが世間的一般の法則というものだろう。天皇の子供を引っさらって、かぐや姫かなんぞのように愛でながら、一日を過ごすというのも風流だったろう。多分、断絶の程度は相当に激しく、適当にその辺の貴族の血も入っているものと思う。


さて、それで東京電力側にどの程度の責任があるかというと、実際に放射能漏れの事故を起こした張本人であるから無実とは言えないであろう。しかしその程度は、先の大戦で異国の住民たちに弾丸を向けた兵士たちと同レベルかそれ以下のものであろう。どちらも、国家の承諾のもとでの不祥事である。しかも兵士たちの意図的な殺戮とは異なり、東電が計画的に放射能汚染を招いたわけでもない。そのうえ東電側は「想定外の事故が起こった場合の責任は問わない」といわれたものと思い込んでいる。それにもかかわらず、現実に事故が起きたら「お前のせいにしておいてくれ」といわれる。これは国家の策略で「時効消滅」を主張したいのだろう。だから、東電にしたら騙されたという気分だろうが、国側は全くだましたつもりはないわけである。公定歩合の変動で、日銀が嘘をついてもいいというのと同じである。「来月公定歩合を上げることは絶対にありません」といって、来月に公定歩合を上げても嘘つきではない。

一つ付け加えると、東京電力がスケープゴート的な存在となっているのは、東電が特殊な存在で、それなりに彼の有能性を期待されているからだ。しかるに大殺戮を行ったかの兵士たちが無実とされているのは、彼らが無能な一般大衆だからであるにすぎない。


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