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zoom RSS デモシカ教師が校長になった時代

<<   作成日時 : 2014/05/06 17:52   >>

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今の時代の小中学校は一クラス20人ほどらしいが、私たちのころは50人くらいいた。一クラス50人もいた時代に、一人一人の生徒を熱心に指導しようといういわば熱血教師になればなるほど、そのことだけに神経をすり減らし、とても仲間内に毀誉褒貶を振りまいて出世しようなどという思惑に至る余裕などなかったように思う。私自身の中学時代の恩師もそうであったらしい。当時を振り返ってみても、全員一律に同じことを教えるだけで、子供たちの将来のことなど全く眼中にないような人物であった。加えて、ごく最近教員免許を取得した新任の教師と比べてみても観察力に乏しい男であったので、私は彼のことを愚鈍な人物だと思って嫌っていたものだ。まあ、例によってこういう人物はおべんちゃらが妙にうまいから子供たちをたぶらかすのはお手の物らしく、生徒たちには人気があった。巨人の星の星一徹の教育方針をいたく気に入っていて、授業でもしきりと彼をほめそやしていたが、大半の生徒はそれを聞いて得心していたようであった。ところが、その男が校長になったという話を数十年後に耳にしてひどく驚いたものである。ただし適当に賢かった学生たちは、かの男の歪んだ心の正体を見抜いていたかもしれない。


私が大衆を手なずけるには民主制よりも独裁制が好ましいと信じているのも、彼に対するかつての教え子たちの盲従振りを見ているからかもしれない。内奥に邪悪な本性を隠し持っている人物にこそ大衆は魅力を感じ、彼にひきつけられるのだ。ヒトラーがどういう人物だったかはよくわからないが、巷のうわさ通りの極悪人だったということにしておいて、その極小規模なものが件の校長になった男だとみると、大衆とはいかなる習性をもつものかということが比較的はっきりと把握できる。目の前に生きている善良な一般市民がかような人物の表面だけを見て賛辞を惜しまないのだ。実に異様な風景で、これが現実に起こっていることなのが信じられないくらいである。人々にはそれほどの視力しかないのが普通なのだ。

たまたま私は今生のうちに大衆の愚かしい性をつぶさに目撃することができた。実に良い体験であったと思う。恐らくヒトラー自身も、かの校長になった男と同様、表向きは非常な善人に見えたに違いない。非常に良い体験をしたと思うが、案外人が人生でこのような体験をするのもありふれたことなのかもしれない。

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