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zoom RSS 常識を信じているものは犬死する

<<   作成日時 : 2014/05/13 16:18   >>

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犬死といっても特攻隊のことではないが、まあおそらく昔の神風特攻隊なんていうのも当時の教育を真正面から信じていたことから生じたようなものだと思う。現在の歴史的な知識から見れば明らかに日本風土の勘違いによる事件なのであったが、いまだに3分の2くらいのできの悪い者は「お互い様だ」などと思っているらしい。

安倍総理にしても、終戦時のソ連の侵攻がなぜ『一方的』と言い切れるのだろうかといえば、その背景には日本人が戦後受け続けてきた画一的な教育というものがあるのだろう。つめこみからゆとりへ変わったといっても、画一教育であることにはさして違いはない。何が何でも自分たちと異なるものは排斥しようという思想だ。「島国根性」などといわれている。しかし、本当は違うのではないか。島国根性などではなくて、教育自体がねじ曲がっていたことこそ根本的な原因ではなかったのか。


昨夜入浴しながら、中学の時「卒業は人生の終着駅である」と文集に書いたことを思い出した。「どういう意味だ?」と担任の教師がむっとしたように問いただしていたものだ。まだ中学生であったのでその当時は自分がなぜこういうことを書かなければならなかったのか、その意味がよくわからなかったことを覚えているが、今にして思えば、教師としての使命感を持たず、ただ労働者として賃金を獲得するだけの目的で働いているデモシカ連中に強烈な反抗心を抱いていたからなのだろう。ベルトコンベアに乗せられた大量生産の機械製品と同じく、教育組織というものはただの工場と同じものに過ぎなかった。小学校を出せばそれでティーチングマシンたちの仕事は終わり。中学校を出せば、それで彼らの仕事は終了して、あとの責任は一切持たない。そういう教育を受けて育った学生たちにも将来はない。自ら考える能力を生得的に有しているもののみが例外だ。工場労働者に過ぎなかった教師連中にとっても、彼らにより送り出された大量の機械部品に過ぎなかった学生たちにとっても、卒業はまさに人生の終着駅であったのだ。

タレントの松本人志氏が、「僕、同窓会行ったこと無いんですわ。 というのもね、僕みたいに常に前を向いて走り続けてる人間にとっては過去を振り返ってる暇はないんです。 まあ人生の負け組は過去に思いを託して傷の舐め合いをしてればいいんじゃないでしょうかね。」と何かの本でいっているらしいが、彼のころの教育というのもめちゃくちゃなものだったのだと思う。同期の連中のあまりの凋落ぶりに憤りが収まらなかったような書きぶりである。そこまで行かなくても発展性も何もない無駄な集会だ。ただ反面教師というのにはなる連中ではありそうだ。なんといっても、大半の人間の思考力を奪ってきた張本人は当時の教育者だろう。神風特攻隊で七面鳥狩りにされた連中は幸いにして天国には行けたかもしれないが、まかり間違って敵空母に体当たりでもしたものは永遠の犯罪者として未だの地獄をさまよっているだろう。それと同じで、ゆがんだ教育を受けたもの達が必ず静かに成仏するとは限らない。思考力を失ったものが犯罪を起こすことがとりわけ問題である。

そうして、そうした状態は、おそらくかつてよりは大幅に改善されては来ているだろうが、なおも日本の教育現場の大半を蓋っているに違いない。かつての画一教育で思い出されるのが「15歳16歳というのは人生で最も吸収力のある頭の良い時期だ」というものだ。今思えば人の頭がもっとも発達するのは40代半ばを過ぎたころだ。それも60代を過ぎても80代を過ぎても、吸収力のあるものは一向に衰えない。80代で痴呆症を患うものはわずか3割程度だというから、頭の衰えは何かほかの原因だ。多分、みんながなっているから自分もそうでならなければならないという思い込みによるものなのだろうと思う。鬱病ができる原因と似たようなものがあるのだろう。完全に心理的な要因であるはずの思い込みが次第に脳内の化学物質へと変容し、もはや回復不可能なほどの病魔を築き上げていく様子は、心の現象に過ぎなかった株価の動きが次第に実質的なものへと移り変わっていく様子に似ている。


従来、そして今日においてもなお、世間での一般的な正義がとんでもないまやかしであることは、ネットをしばし逍遥すればうかがい知ることができる。まあ、しかしどのみち常識に縛られているものには何も見えないのだろうが。「金持ちになりたければ会社で働くな」という言葉が以前にもまして多くなった感があるが、粒をそろえすぎたことが弊害となって会社勤めは貧困への第一歩とまでささやかれる世になってきた。精神的な降伏が財産の一部だと認識できるだけの知力の持ち主は会社勤めという不毛な人生街道からはさっさとのがれ始めている。富を築くにしても、そのために必要な最大のものは知性であって、会社勤めのための奴隷根性を教え込まれることなどではない。戦後50年から60年間は奴隷根性による勤勉だけが好ましいものとされてきた。その後10年から20年たった今日になってようやく『富とはいかなるものであったか』ということを理解しようという人々が台頭し始めた。しかしおぞましいことに、かつての教育者は自らの誤謬を一向に認めようとはしない。例の校長になった男もその一人だ。まあ凡庸な人物の常として予想していたことではあったが、松下幸之助翁のような人物と比べると相当な小物であることを見出してかなりがっかりとはしたものだ。松下翁は、「あんたのおかげで世の中がめちゃくちゃになったので責任を取ってもらいたい」といわれて学習塾を築いたものの、彼の死後25年たった今日、あまりうまく機能していないのは、義務教育などという固定したシステムの所為なのだろう。義務教育はよいが、今のやり方では屑しか育たない。

日本の閉鎖社会が、島国根性などという地勢学的なものなどではなくただ教育制度という人為的な代物に過ぎなかったというロジックは十中八九根拠のあるものである。出る杭は打たれるなどという慣習が古い時代の日本にも存在していたという理由もない思い込みもそこからきているのだろう。実に、恩師といわれるような人物が邪悪の張本人たちなのであるから、冒頭で述べたように、同窓会などへいそいそと出かけていくものは人生の負け組=その他大勢の大量生産品とみる向きにも相当の根拠はある。まさに彼らはベルトコンベアに乗って工場から出荷された商品なのだ。私みたいにずっとそのように感じ続けてきたものにとっては、かつての詰め込み機関の場は、単なるロボットの養成所にしか思えないのである。


30年ほど前の中高生たちの間ではやった言葉らしいが、何ともうまい表現だと思うものに「犬倒れ」というものがある。この言葉を思い出すたびに、当時の国家の犬としての教師連中の顔を思い出す。彼らの行う教育も犬にふさわしく、まさに「ワンパターン」であった。



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