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zoom RSS 『無念なり 近衛文麿の闘い』

<<   作成日時 : 2015/05/03 09:06   >>

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第2章の終わりまで読んだところでこれを書いている。確か昨年の夏頃に読んだ『近衛文麿〜教養主義的ポピュリストの悲劇』と似たような内容だと感じたが、より強く通念打破的なものだ。ずっと以前、インターネットを始めたころだから15年ほど前のことになるかと思うが、歴史散策が趣味だという人物が「大嫌いな人物」の筆頭に、近衛文麿を上げているのに出くわしたことがある。彼一人が日本を戦争に導いたような書きぶりにはかなり驚いたものだ。歴史が好きだという割には、一人の思惑で歴史が作られることなどありえないということを知らないのは妙だと思ったものであるが、その後、いわゆる知識人の意見も大方似たり寄ったりであることを知って、少し思慮の足りなさに幻滅していたものだ。大体異口同音に、「国民政府を相手にせず」が戦争への号令だったとしている。しかしはっきりした理由は述べない。誰もがそう言っているからそうだと思い込んでいるだけのようである。

どうも近衛文麿としては、軍部を好きなように泳がせておいても、じきに兵隊不足で自由が利かなくなり、紛争は自然消滅すると踏んでいたようである。まさか、国民のだれもが疑問に思い参戦は当然拒否するはずのところが、予想とは逆の結果を招くとは思いもよらなかったのではなかろうか。それだと、戦争責任はむしろ国民側にあることになる。当時世界中がそうであった。第一次大戦前夜のことであるが、ラッセルは、昨日まで熱烈な反戦論者であった者たちが今日は対戦を訴えていることに対して驚愕の文章を残している。明らかに政府側が国民に参戦を促したといえる例は、第2次大戦時のルーズベルト大統領のみだといえる。例の真珠湾攻撃を受けた後でも、米国民は反戦派が圧倒的に多く、開戦の雰囲気など全くなかったらしい。冷静に考えて煮れば、真珠湾奇襲など卑怯でもなんでもなく、およそ軍隊ならどこでもやりそうなことだ。アメリカを参戦させたのはチャーチルの陰謀であると米海軍は信じていたらしいのだ。原爆にしても、チャーチルが「希望の光」といったのに対し、国際法で禁じられている化学兵器(毒兵器)であって使用禁止に該当すると声高に叫んでいたのも米海軍だったそうだ。トルーマン大統領も海軍寄りであったが、陸軍のスチムソンに越権行為だといわれ引き下がるほかなかったらしい。多分「無念なり近衛文麿」の米国版があったとしたら、それは「トルーマンの悲劇」みたいなものになるのではなかろうか。米海軍は大のイギリス嫌いで、それだから英国仕立てのルーズベルト大統領の考え方も気に入らない部分が多かったに違いない。それだから、ドイツの敗戦時Uボートがこぞってアメリカに投降し、イギリスには見向きもしなかったのを見て、米海軍の水兵はこぞって「イギリスのバカ野郎」と溜飲を下したのである。「戦史に残る傑作」であるべき真珠湾奇襲を貶された日から、米海軍将校とルーズベルト大統領との軋轢は日増しに募っていったに違いない。奇襲こそ米軍の最も好んだ作戦であったからこそ、日本海軍がそれを敢行したということがなぜ大衆には理解できないのだろうかというと、おそらく誰もがそう言っているし、学校でもそう習ったからにすぎない。模倣の大好きな集団行動主義者はいつでもそうしたものだ。世界中の大衆がオウム信者のように洗脳の呪縛から解き放されないでいる。パールハーバーと似たようなことをドイツ軍もソ連に対して行ったが、スターリンの方は全く弁解がましいことは言っていないことをみても、奇襲戦法は当時でも軍部の正当な作戦であったことが頷ける。というか、当時ならなおさら正当であっただろう。何しろ、戦争は商業活動と変わらない時代の延長の雰囲気が残っていたころのことだ。日本国民に至っては、まだ天皇の私物といってよかった。

本書ではまず近衛家が5摂家の筆頭であるばかりでなく、日本建国以前からの由来を持っているということが述べられている。すなわち高天原の女王である天照大神を岩屋から引きずり出した祭祀を取り仕切ったのが近衛家の祖神・天児屋根命(あまのこやねのみこと)であるという。思いもよらぬほどの旧い家柄だ。まあ神武天皇の話自体物語だろうが、雲居の頃からの存在だったとは知らなかった。天児屋根命の21代目の子孫が中臣鎌足(614〜669)だ。中臣とは、天皇と人とを仲介する意味だという。鎌足はやがて藤原姓を賜り、これが平安時代に近衛を名乗った。文麿は、鎌足からは第46代、近衛姓になった藤原基実からは第29代目となるそうだ。

幕末の近衛家当主は忠煕(ただひろ)といった。明治新政府は、財源確保のためにも、一刻も早く摂関家のトップの座にある近衛家を京都から東京に連れ出す必要があった。新政府は、徳川幕府の遺産を食いつぶす以外に、これといった財源がなかったからだ。近衛家獲得による威光の増大を内外に示すことで、旧藩主からの税収の確保を確実なものにしたかったのだろう。しかし忠煕は、新政府のざいぞく期間は短いものと踏んでいたらしく、なかなか腰を上げようとはしなかったようである。維新の革命基盤がそれほどしっかりしていなかったふしがここからもうかがえる。

幕末の徳川家と深い縁となったのは、天璋院篤姫(1836−1883)が近衛家の娘として、徳川第13代将軍家定に嫁いだということがあげられる。1856年に養女となった際の近衛家の当主忠煕の役職は右大臣であった。5摂家の筆頭であるから当然といえば当然だ。徳川家と近衛家の縁結びが成立している以上、新政府の廃藩置県後県知事を務めた各藩主というのは、代々徳川家に忠誠を誓っているのだから、その近衛家を中央に引き寄せれば租税の徴収も円滑に進むであろうという目論見だ。

元来近衛家には正室に男児が生まれないというジンクスがあったらしい。それで、側室が何人子を産んでも、皆正室の養子になるというしきたりになっていた。お家騒動を防ぐための家憲でそうなっていたという。世間的に考えれば、この方がずっともめごとになりそうな感じがするのだが、これがお家騒動の種をつまむというのがどうもよくわからない。まあ、そういうしきたりがずっと続いていたのだとしたら、天璋院が養女だということがわかっていたとしても、比較的問題なく近衛家の人間として認知されたのではないか。ただし天璋院に関しては、血縁上は全く近衛家とはかかわりはなさそうだが。ちなみに後に近衛篤麿が長男文麿を授かった際には、実に250年ぶりに、正室から男児が生まれたのだという。wikiに近衛家の家系図が乗っている。篤麿は29代目で、文麿は30代目となっている。

文麿が生まれた1891(明治24)年10月12日時、父の篤麿は28歳ほどであった。この年の1月に貴族院議長に選任されたばかりだ。しかし正室である衍子(さわこ)は文麿を出産してわずか8日後に他界してしまった。

篤麿が学習院院長に就任した丁度その日に当たる、1895(明治28)年3月19日に、日清戦争の停戦交渉のために清国全権大使李鴻章が門司にやってきた。五日後にさっそく暴漢に襲われて顔面を負傷。その際天皇の如何の意を示す法所をもって見舞ったのが篤麿だったそうだ。1891年の大津事件の際はニコライ皇太子が警官に刀で切りつけられたりと、この当時の日本人社会はいかにも物騒であったことがうかがえる。李鴻章の方は李鴻章で、日本は東洋の魂を捨て異国の野蛮な習俗を取り入れた裏切り者と信じ切っていただろうから、お互い馬が合うはずもない。ただし思想の上では相反する考えも融通無碍に融け合うことも可能である。何とかして東洋人同士連携を組むことが必要だという考えは、次第に日清同盟論へと結実していった。むしろ明治新政府の新欧米化構想よりも、中華独特のアジア主義の方に新鮮さを感じる向きも多かったに違いない。昔の話であれば、勝海舟も西郷隆盛も、そのような考え方であったそうだ。

何度も書いていることだが、戦後の史観などというものは、ただ社会が正常に機能していくためにさも史実らしいことを述べたものに過ぎない。多くの個別のランダムに近い流れから一つまみを選んだだけのものだ。そのように吹聴しなければ世界の収拾がつかなくなる。真実ではないから、いつか是正される。いつでもご都合主義だ。




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