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zoom RSS 「撃墜王列伝」を読む

<<   作成日時 : 2015/07/12 10:42   >>

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こういう人たちの伝記を読むと、世の中には戦闘を好む気質のものもかなり存在しているものだとつくづく実感する。それは今も昔も変わりないものである筈なのだが、あたかも人々は世相が変化したものであるように受け取る。人々が現実にあったと思い込んでいる過去は今や解釈による想像の産物なのであるが、こうした想像の世界がかつては眼前の今の世界と同じようにあったものとみることに問題がある。過去における自分自身の歩みを回想する場合でも同じだ。

日本国内ではとりわけ適応されそうな箴言に「自分が嫌だと思うことは他人にも行うな」というのがある。他者をすぐに殴るような人の半分くらいは、自分が殴られることに快感を覚えるからであって、他者もきっとそうだろうと思うことにある。昔勝海舟は疲れてくると、小刀でこめかみの部分を少し切って出血させたそうだ。そうするとすっきりするというのである。これは私も子供のころ、どうも気が重苦しい気分になってくると、時々自分のコブシの部分を何かかたくてとがっているところにぶつけて出血させるということをよくやったので実感として理解できるものだ。痛さよりもすっきりとするものが上回る。今は新陳代謝の速度が遅くなったせいか、そんなことは何のメリットももたらさない。だから中学の半ばころまで、人も殴られるとすっきりするのではないかと思って、ときどき殴り合いをしたものだ。ただ世に「献血健康法」なるものがあって、血液を抜かれることで、造血細胞の活性化を図り、これが若返り効果をもたらすという作戦のあることを考えると、私と同様に血を出すことですっきりとしたという体験を持つものも多いのではないかと思ったりはする。西洋に、ドラキュラに血を吸われるとたいへんうっとりするという話もあるらしい。

人間社会の歴史を通じて、戦士であることはごく日常的な職業の一種であった。それはよく考えてみれば今でも同じことだ。たいていの場合、仕事をするためには多少の生命リスクを冒さなければならない。遊びが目的であってもそれは同じだ。しばしば遊びの場合のほうが生命を失う危険を伴う場合が多い。それにもかかわらず、現代社会では軍人を一般の会社員としてみるようなことはしないのが普通である。「勤労の義務」などといううたい文句は、「服役の義務」とか「祖国防衛の義務」といった胡散臭い標語の逆向きの表現に過ぎない。国家というものを存続させるためには国民の奴隷化が必要であるだけだ。人間の自由などというものとはよほどかけ離れたものなのだ。


さて空中戦の場合だが、ゲームなどでは照準器の中央に敵機を合わせるようにできている。最近のはコンピューターで自動ロックを居ているので、そういうやり方でいいのかもしれないが、そういうやり方だとまず絶対当たらない。敵機と弾の弾道がちょうどぶつかったところを予想して弾を発射しなければいけないのだから、たいていは空間のあらぬところに弾を打ち出さないとだめだ。ところが、ゲームだとどれもこれも照準の十字の点と敵機が合わさったところで弾を撃っている。そんなはずもないと思うのだが、そういう嘘をついていいものなのだろうかと思う。大体距離200メートル以内に近づいた時が発射時期だそうだが、その距離だとかなりずれああるはずである。


撃墜王と呼ばれるのは、一次大戦と二次大戦についてそれぞれの最多撃墜をカウントするのが通例らしいが、なぜか前者のリヒトホーヘン大尉(T892−1918)が最も名高く、レッドバロンと称せられている。単に撃墜数だけを見るとドイツのリヒトホーヘンの80機と、フランスのフォンクの75機には大差がないばかりか、未公認のものを含めると、フォンクの方が上回る公算が大きい。それにもかかわらず、53機を撃墜したところで戦死したフランス2位のギンヌメルと比較してもフォンクにはまるで人気がない。常に敵の死角に入って戦うことを心がけたため、大戦を生き抜いたということがあるのかもしれない。多分銃弾だけ発射してすぐさま回避行動をとるという作戦だったのかと思う。だから撃墜したかどうかも確認が取れないものが相当あっただろう。多分一次大戦中のトップはフォンクだと思う。

第二次大戦のエースは、352機撃墜のエーリヒ・ハルトマン(1922−93だ。初めて出撃したのは1942年の10月14日だったが、そのときは隊長のロスマン曹長機を敵と見誤って逃げ回っていた。操縦のうまさで何とか初撃墜に成功したのは3週間後の11月5日だったが、その後翌年の3月24日までに5機しか撃墜していない。ヒトラー総統には2回面談し、300機撃墜を達成したダイヤモンド剣付鉄十字授賞の時には、防空体制の不備を指摘した。ヒトラーの方は、戦争には負けているが、まだ政治的には期待できるものがある。米英ソが相争うようになるまで我々は持ちこたえなければならない、といったそうである。ヒトラーは人の話を割と冷静に聞くタイプだったらしく、傲慢で不快感を与えるタイプではなかったらしい。対照的なのがナチスの上層部で、ゲーリングなどはほとほと嫌な男だったという。空軍総監のガーラントなどはゲーリングの命令が気に入らなくて、彼の目の前で勲章を引きちぎってナチス連中への怒りをあらわにしたという。ただし当時のドイツも上下の統一がとれていなかったといっても、後日ゲーリングは頭だけは下げに行ったらしい。この辺が大日本帝国とは大いに違うところだ。

ハルトマンが戦ったのは2年半の期間で、1405回出撃中852回空戦を行って、単発機261機、双発機91機を撃墜した。ほぼ2回の空戦ごとに一機落としていることになる。終戦後はソビエトに収容されていたが、10年間拘束されただけで祖国に帰還することができた。ハルトマン気に銃弾を命中させ不時着させるようなものはソ連にもあまりいそうもないので、彼を不時着させたのはソ連のポルクイシュキン(1913−85)ではないかなどと目されているそうだが、彼の好んだのが離脱距離以内で射撃する大胆な近接戦だという。


しかし、ハルトマンより驚くのが、ハンス・マルセイユ(1919−42)で、やはり最初の半年くらいはあまりぱっとせず、7機撃墜するまでに自分自身が6回も撃ち落されているそうだ。しかしそのうち一回の空戦で数機も撃墜するようになっている。「空戦のコツがわかったよ」と同僚に打ち明けた直後から急に腕を上げるようになったらしい。ハルトマンなどとは違って、『戦争中に生まれてよかった!』などと感じていたのではないかと思うほどの青年だ。恐らくいつの世にも存在する社会通念の例外的人物だったのではあるまいか。まず現代日本でも優に5%を超すものが通念とは逆の思想を持っているものであるが、頭の鈍いものにはその存在がわからないだけである。『まさかいまでは戦時中のような好戦的な人はいないだろう』などと思うのは、単純バカの証明のようなものだ。たとえて言えば人間が地上に転がったさいころの各面に住んでいるとする。地面に接している一面に住んでいるものだけがバカなのか、上面以外のものがバカなのかは知らない。平均にならせば、前者では6分の1、後者では6分の5はバカだということになる。通念に従うだけの愚者が引きも切らないということを考えてみれば、実際に近いのは後者だということになる。

自身の生命を商売道具として差し出すという思想も社会教育によるものであって、自身の労働力を市場に提供していささかも恥じることのない現代社会に広く普及している通念と大幅に異なるものではない。中世社会においてはそのような行為は大いに恥とされ、いわば売春のようなものとされていた。そのような社会では自己犠牲をいとわない戦士は大いに尊いものとされた。


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