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zoom RSS 『エニアック 世界最初のコンピュータ開発秘話』を読んで

<<   作成日時 : 2015/08/09 09:26   >>

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以前、フォン・ノイマンの話をしたとき、彼がおそらく史上最高の高知能の持ち主だったかもしれないという話をしたと思う。ノイマンに好意的な人々はもちろん今でも彼がノイマン型コンピュータの発明者だと言うことを疑ってはいないだろう。しかし、本書の帯には「ノイマン、お前だけは許せない」といささか物騒なことが書かれている。私はどうもノイマンにはマジシャン的なところが逢ったのではなかろうかともいった。本当に頭の回転が速かったというよりも、むしろいたずらが好きな性格だったのではなかろうかというわけである。純情可憐な科学者の心など簡単にだませるので、計算機よりも早く計算を行ったというトリックも簡単にできるはずなのだ。もっとも、ノイマンにしてみればこんなのはただの罪のないいたずらだ。

日本ではノイマンという科学者はそれほど評価されていないような気がする。内臓式プログラムミング機能をコンピューターに組み込むことを定着させた人として知られる程度だ。それに相したことを考案した最初の人ではないということも知られている。だからアメリカでは日本とは逆にノイマンの評価が高いのかもしれないと思う程度ではある。

それに、世界初のコンピュータ、エニアックの考案者は、当時24歳のエッカート(1919−95)と35歳のモークリー(1907−80)の2人だったにしろ、戦争というものがなかったら、おそらく彼らの成功はなかっただろうし、彼らがあと5年も年季を経ていれば「真の電子式コンピューターなど作れるはずもないことに気がついていた」はずだからということもある。エッカートのほうはコンピュータなんて詐欺まがいのものであるかもしれないということを感じ取っていたようにもおもえる。実際コンピューターの登場により人々の生活が幸福になったかというとその逆で、世界各国ますます戦争は過激さの度合いを増している。ENIAC問い名称にしろ、始めは[Electronic Numerical Integrator]であったのを、弾道研究所のギロン大佐が[Electronic Numerical Integrator and Computer]に解明し、軍体調に頭文字を並べて[ENIAC]としたものだという。終始戦争の状況とあいまって作成は進んでいったが、やがて連合国の優位が決定的になるにつれて、どうでもいいように見られていったらしい。ついには予算打ち切りの懸念さえ出てきたが、そのころにはまず完成していたらしい。

戦争中は軍は大砲の照準合わせのために射撃表が必要だった。発射角度や砲弾の初速、空気密度、風速といった可変要素の数値ごとの弾道すべてがそろった完全な射表を作るには一ヶ月以上の大変な日数がかかった。155ミリのロング・トムのような大砲の場合、500通りもの条件を示した表が必要だったという。軍から射表の作成を依頼された数学者は多くのコンピューターを探し回らなければならなかった。カルキュレーターで計算する計算者たちのことだ。あいにくそうやってせっかく作成された射表はアメリカ本土を離れた欧州ではほとんど役に立たなかった。特にアフリカでは地盤が弱く、まったく何の役にも立たなかったという。日本軍だったら現場で裁量して適当な修正を行ったのかもしれないが、アメリカでは弾道計算を最初からやり直していたらしい。

まったく予想外で理解しがたい記述は、やはり戦争に関するくだりで、「連合軍の成功にもかかわらず、1944年秋の時点では、まだ戦争終結はほど遠かった」という記述だ。12月にはヒトラーは大規模な反撃に出て場屡次の戦いで頂点を迎えた。1945年の初めになって、ようやく先が見え始めたのだとある。少なくとも、アメリカ人の筆者スコット・マッカートニー氏の目にはそう映っているのだ。情報取得における自由さと、独立独歩の理念形成が社会から阻害されることのない気風を考えると、アメリカ側からの指摘のほうが意外と真相に近いものがありそうである。

1945年の秋、ようやくエニアックは稼動できるまでに完成した。エニアックの助けを借りずに戦争は終結した。全部で1万7千4百6十8本の真空管と50万箇所のハンダ付け、7万台の抵抗器と、1万台のコンデンサが使われた。軍は核兵器のための計算をこのおもちゃで行うことにした。すぐにエドワード・テラーの計算では水素爆弾はできないことが証明された。46年の2月14日には完成式のための弾道計算のデモンストレーションが行われた。このとき、たった1個のスイッチがオフになっていたために散々プログラマーたちが悩んだというエピソードがつづられている。プログラマーは6人いたが、全員数学の得意な女性だったという。体の小さい女性のほうが反射神経が速いという理由からだろうか。それともプログラムの入力には衣服を縫い合わせるような細やかな手作業を必要としたからだろうか。

エニアックの完成に先立って、エッカーとは2台目のコンピューター図面を描き始めていた。1944年の1月のことだ。今度のマシンはエニアックの100倍の記憶回路を持ち、しかも10分の1の資材で足りる。プログラムが容易にできるために経路を単純化したためらしい。人間のプログラマーから機械のプログラマーへと変わる動きのように思う。これをマスター・プログラマーというらしい。制御装置と呼ばれるものだ。日本ではプログラマーというと、少なくとも私が会社勤めをしていた30年前までは人間をさしていたもので、私自身も2つの会社でプログラマーの仕事をしていた。コボルだとかアセンブラをやっていたが、特にアセンブラでやったことはここに書かれているエニアックの計算過程と同じだ。あまり本質的なことは変わっていなかったらしい。まあ、1980年代の日本と、1940年代のアメリカとでは文化のレベルが同じくらいだったのかもしれない。いや、すでにコンピューターに関しては40年前のアメリカのほうが進んでいたのかもわからない。少なくとも、「プログラマー=機械」というイメージはいまだに持っていなかった。これはいわば菜食主義者の存在が公認化されている社会のようなもので、こんなことさえ自由化されていない不自由な国では、いまだにプログラマーとは人間のみのことを指しているのではないかと思う。

そうしているうちに、エッカートにしてみれば名前さえ聞いたこともない「フォン・ノイマン」という知名らしい人物が突然闖入してきた。エッカートの仕事仲間であるゴールドシュタインがこの高名な大数学者に情報を漏らしたのだ。ゴールドシュタインにしてみれば自分よりはるかに技術開発力のあるエッカートがよもやノイマンを知らないとは思いもよらなかったらしい。しかし、エッカートのほうは飲み込みだけは速いが情報技術者としては一人前とはとても呼べないこの男にいちいち口出しされるのが我慢できなかったらしい。それでも、一度だけノイマンが自分の間違いを素直に認めたときだけは感心したという。理論肌の科学者連中は口をそろえて、「ノイマンほど頭の切れる男を見たことがない」といっていたようだが、エンジニアからみれば世界一というほどでもなかったらしい。どうやらエッカートのほうは技術に関しては自分のほうが切れるものと思っていたらしい。彼は常に自分がナンバーワンでなくては成らないと思っていたので、重要なヒントを与えてくれる物理学教授のモークリー以外の助言は一切受け付けなかったという。しかし当のモークリーは何の仕事をしているという実績もないので、給料だけは平均より大幅にカットされていたらしい。

2代目のマシンが、軍によって追加承認され、[Electronic Discrete Variable Calculator](EDVAC)と名づけられる1945年後半には、エッカートもモークリー同様にプロジェクトの蚊帳の外に置かれたように感じていたという。人気をつかむということに関しては、ノイマンのほうがはるかに巧妙であったようだ。歴史の記述に残されている多くの言葉は、実際に不断の努力を続けてきた多くの人々の行いではなくて、美文を後世に残す閑暇に恵まれたごく一部の有閑階級のものであったに過ぎないものだ。

エッカートは、ノイマンを「アイデア泥棒」と呼んでいたという。「フォン・ノイマン型といわれている私のアイデアを盗んだのだ」と終始いい続けていたらしい。証拠は十二分にあるようなので、今だったら慰謝料の対象になっているかもわからない。どうも、ノイマンに独創的なアイデアを生み出す能力はなかったとしか思えない。モークリーのほうはこれは「マシュー効果の現われ」に他ならないと半ばとぼけたように言っているそうだ。「マシュー効果」とは、発明・発見の第一人者はそのときの一番有名な人物のものとなるという説だ。こういう歴史的事実の後付は結構多いはずだ。

何度考えてみても思うのだが、ノイマンは科学者というよりもマジシャンであったのでは在るまいかと思うのだ。計算機より計算が速かったからといって得意になっていたそうだが、そういうことは科学者ではなく、マジシャン的な人のほうが喜びそうなことだ。数表を並べて横とたての合計値を一瞬で計算するなどということも、マジックでできることだと思う。などというと、今度はマジシャンが気を悪くするかもしれないが。

いずれにせよ、本書にはかなりフォン・ノイマンの品位を貶めるようなことが書かれている。ノイマンを偉大な人物と思い込んでいた向きには到底信じられないような話だろう。1995年になくなるまでエッカートはノイマンのことを許さず、彼を「俗物」といい続けた。世に歌われているような高知能の人物であれば、コンピューター工学に関しても相当の知識を短期間に身につけていても当然だと思われるのに、この点については筆者も、ノイマンが工学技術者としての知識を十分に身に着けていたかどうかは大いに疑問だとしている。ノイマンはプログラム内蔵型コンピューターで何ひとつ新しいものを創案したわけではないといった書き方だ。まあ、到底ほめられた人物とはいえなかったとしか思えない。一部にはIQ250以上もあったなどと信じ込んでいる向きもあるようであるが、そんな頭があったならコンピューター関連の電子工学も数ヶ月もあればマスターできたはずなのだが、エッカートやモークレーと比べてかなりの程度見劣りする程度の知識しかなかったというのには私自身驚くべき話であった。

エッカートもモークレーも、特許を取得しておこう度という考えもなかったようで、ノイマンが自分たちの名前も出さずに手柄をすべて横取りしようという横柄な態度に腹を立てて、しまいに裁判に訴えるようなことになったらしいが、結局ノイマンと共同作業をするのがいやで別会社を立ち上げることにしたらしい。モークレーが社長で、エッカートが副社長で、従業員の面接もエッカートがやったという。ある従業員の回想ではエッカートの面接は7時間もかかったという。効率などどうでもよく、機械いじりが趣味であれば、週6日でも働くだろうという経営哲学らしい。エッカートもモークレーも、相手に話しながらアイデアをひねり出すタイプだったので、相手にされたほうは大変で、ただの作業員を会議室に呼び込み、2時間も一人だけで喋り続けていたという。

また、歴史がノイマンに注目したという事実は、彼の名を残したほうが国家の成長にプラスだったのではないかということも考えられる。国家の成長のためには国民を忠実な僕にしておく必要がある。戦闘員でもビジネスマンでもよい。国家のために身命を投げ出せるものであればよい。そうした動きを形成するのにはノイマンの名を借りたほうが便利だったのだろう。少なくとも、ノイマンは「正常人」であったが、エッカートが終生心の支えとしていたモークリーは非常な奇人で要注意人物であった。陸軍情報局が彼の調査を依頼したFBIによっても、モークリーは挙動不審な変人で疑わしい人物とされた。日本で言えば、さしずめ岡潔が奇人変人とされていた類だろう。要するに、世界史などというものにこれといった目的を持った道筋などというものなどなく、すべての正史はその時々の政府のご都合主義でまとめられたものに過ぎないのだ。

戦争と比べれば確実に安全ではあるものの、通勤中の事故死の危険を賭して出社するのであるから、見ようによってはやはり戦争だ。働きのうちの半分くらいを神への祈りにささげるような国なら恐慌というのは起こらないのかもしれないが、神がいないと外で働くばかりになって、過剰生産から経済恐慌になってしまう。戦場へ赴く行為とあまり変わらないことは概して慎むべきであるのに、限度を知らないからだ。国家の正体がどういうものかを知ったなら、おいそれとは親密感を抱かないはずであるだろうが、三分の二の連中はそんな思考力もなさげにのうのうと世をおくっている。

各面が円形のさいころというのを想像してみると、底面に住んでいるものたちはまったく魑魅魍魎に等しい。そういうのを餓鬼畜生などという。平方数の逆数をすべて加えるといくつになるかというと、円形のさいころの一面になるというのがバーゼル問題の回答だった。そのことと、人間の思考のあり方、宇宙の成り立ちとは関連性が深いと思う。どうしようもない愚物の存在するのは、宇宙のバランスを取るためだったのではないか。

ノイマンの死後も、相変わらず世の中亜特許権をめぐって紛糾してゆくが、私には本質的に特許権などどうでもよいことのようにしか思えないので、何の面白みもない。特許権などというものは科学文明の発達を阻害するもので、人類の文化的生活には邪魔者だとさえ思う。とりわけ、記憶を後からこしらえあげて、さも際者から存在していたかのような事実を歴史的事実としてしまうようなヒステリックな人物が出てくると厄介だ。かれにとってはそれはありありとした過去の現実で疑う余地のないものなのだが、多くの第三者にとってはまったくの虚偽だ。まあ、このことが現代社会では過去が多数あったことの証拠でもある。

モークリーはコンピューターの発展があまりに遅いということに終始いらだっていたという。あまり先走ったことを夢想してしまうと、事業としては成功しないという教訓なのかもしれない。かれのような例は歴史上多く存在していると考えるべきなのか。エッカートのほうも、1960年代の初めには、机上で使用できる簡易コンピューターの開発を打診したが、そのときにも断られたという。革新的な物事が普及するときには、それなりに長い期間のエネルギーの蓄積の様なものが必要なのだろう。たまたま運よくエネルギー爆発のタイミングにあわせて事業を展開していたものはラッキーで、多くの手柄を独り占めできる。



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