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zoom RSS 『地ひらく〜石原莞爾と昭和の夢(上)』をよんで。

<<   作成日時 : 2015/09/12 09:54   >>

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何年か前に『ピコラエヴィッチ紙幣』という本の感想を書いた。その類の本かと思っていたら、どうもこちらの方が深みがある。文庫本形式だが、ページ数の割りに大変廉価だ。だから多少フィクションかと思っていたらそんなことはなく、資料に基づいた歴史本である。筆者の福田和也氏は、慶応大学仏文科を出て、現在慶応大の教授をやっている。いろいろと通念とは相容れないようなことが書かれていて、歴史とは数々の事件の中の、大衆の望むものだけを抽出して編纂したものに過ぎなかったということを蟋蟀の音を聞きながらしんみりと感じる。戦後日本国家が存続したことが残念であって、マッカーサーが何か勘違いしたための失策であったと思う。つまり日本国政府を否定することが天皇制の否定につながるという勘違いだ。

陸軍軍人だが、大体近衛文麿に似たような性格だったらしい。満州国建設にかかわったが、永久平和論を説くその思想は、どちらかといえば大杉栄などにもつながるようなものだったようだ。陸軍上層部からは、学者肌の人間のように見られて疎んじられていたそうだ。表向き正反対の職業についたので、結果として残したものも正反対のようになってしまっただけのように思う。二人とも非常に剛毅で繊細であったが、脳みそが左右二つあるので、考えてみればそれほどへんなことではない。むしろ単一で不変の性質というのは、脳の働きが悪いということを示しているものと思う。大概の人は表しか見ないで、近衛文麿と石原莞爾は正反対の気質だというだろう。世にも単純な思考だ。そうした考え方で歴史を見ることなどというのは大間違いだ。過去は現在の延長だ。現在が人の数だけ無数にあるというのに、過去がひとつなどということはありえない。世界各国の政府要人で、いかにも過去に生じた事柄はひとつ限りだなどと得々と語るものがいる。それどころか、義務教育を通じてわれわれはそれが当たり前だと信じ込まされてきた。過去はひとつしかなかったというのも妄想だが、それ以上に過去など存在しない。存在しないものを記憶を元に再生するのであるから、過去は人の数だけ無数にあるといってよい。

極端な話、太平洋戦争などというものも、実際の姿よりも人々の合意による過去物語といった面の強いものだと思う。そういうことはおそらくなかったはずだということのほうが多いのである。伝承する人間ごとに、過去の世界の様相というものがまったく異なるのは、過去の時代が生きていた証拠だ。みなが同じ記述を過去の歴史に対して行うというのは、過去の時代が死んで固定されていたということである。天気予報ではないが、戦争などなかったといったほうがあたっている確率が高いようなものである。未来の予想も過去の再起も、ともに頭の中の想像の産物であるという点ではなんら変わるものではない。現在の時点で認識している外界の諸事物の姿も、各人の脳髄の中で勝手にデフォルメされたものに相違ないのに、なぜか人は一人になっても外側の世界が目に見えるままの姿で存在しているとでも思い込んでいるようだ。

莞爾は陸軍幼年学校の上級であった大杉栄と甘粕大尉の大逆事件について、細君宛に面白い手紙を物しているそうだ。甘粕大尉の行動は大いに賞賛されるべきものだが、それは万人が口だけで行動できない中で行為を行ったという強い信念にあるのであって、行動はバカだったなどという。大杉栄にしても「はじめに行為ありき」などといって、行動を大事にしている点は同じだ。大杉栄について疑問に思うのは、例の三角関係のもつれである。一体当の男性が二人の女性を同程度好いているというのに、女性同士が反目するというようなことが、世を背負う大人物下にあって起こりうる現象なのであろうか。前にテレビでアラブの婦人が、「日本人は愛人同士中が悪いの?そんなことあるわけないじゃない!頭おかしいんじゃないの?」といっていたことを思い出す。単に社会通念の問題に過ぎないのだ。そうすると、大杉栄の人を動かす力は社会通念に劣っていたと考えられないだろうか。上の手紙で、莞爾は「大杉栄は目下日本における偉大なる人物の一人と思う」としたためてはいるが、どうもそれほど偉大だとしてよかったものかどうかとも思うところなのだ。イエスキリストや仏陀のほうが人心掌握力は上であったことには間違いないところだ。ただし、「強い信念」などなくても人は行動できるのであるから、ここは石原莞爾の論理もおかしい。集団であれば赤信号でもわたれるのが人間一般なのだし、逆にみなが渡らなければ青信号でも前に進めないというのが人間だ。

石原莞爾のような人物の場合、残された本人の手記などを見たところで、どうせ社会通念とは著しく乖離しているはずであるから、賞賛しているのかけなしているのかあまり酔うわからない、意味不明といったところなのだろうが、幼年学校で行った行為は、大杉栄とよく似ているように感じる。二人とも下品であって、莞爾が写生の題材に自分の性器を描いたことは有名な話らしい。便所で描いたらしいが、わざわざそういう面倒なことができるのだから、努力家といえば努力家である。陸軍学校だから、教員のほかに将校連中もいたが、前者が退学処分だ云々と騒いでいる間も、将校たちは莞爾の努力に感銘していたそうである。こういう下品なところが大杉栄と似ている。大杉栄のほうも品行不正で退学を検討されたが、人身の獲得に失敗したせいか、結局方向の憂き目を見ることになった。莞爾は校長の心を自身になびかせた。似たような気性の持ち主であったにしても、ここは明らかに異なるところだ。

1904年に日露戦争のための動因令がしかれた際の幼年学校での様子は、学徒達とたちとでは対照的であったというのが目を引くところだが、この界隈特有の雰囲気だったのかも知れず、即断はできない。しかし、学童をはじめとした一般社会が開戦の報に喜色満面であったのに対し、将校や兵士たち軍人は鬱々としてやるせない気分に浸るものが大半だったとある。軍人ほど平和を望んでいた様子が垣間見られる。両世界大戦は大衆が起こしたもののと断定しても間違いないだろう。ただ個人個人の人間にはそれを感じ取る能力がないだけなのだ。

大衆の反応はいつでも真相とは逆向きに、嫉妬心と強く結びついて反応するもののようである。彼らをなだめるために、政府は大いに虚偽を教え込んできた。日露戦争に刈田などというのも大衆向けの宣伝で、実際には「負けだ、負けだ」という将兵の声を耳にたこができるほど聞かされていたらしい。戦況も苦しく、弾薬などは緒戦で尽きていたのだそうだ。ポーツマスの和議でどうにか負けずに済んだ日本軍ではあったが、なぜか勝ち戦だと信じ込んでいた大衆は、あちこちで暴動を始めた。昨日は軍馬を提供したのと同じ連中が、今日は各地で交番を焼き討ちして回った。まったくバカなやつらだと莞爾らは思っただろう。今でも集団で騒いでいるやつらはまずバカだと思って間違いがない。

日本は何も決定的勝利を得たわけでもなんでもなく、セオドア・ルーズベルトがころを見計らって仲介してくれたおかげで、政治的に勝利を得ただけであって、もはや戦争続行のための軍事力も経済力もなかったので、続行していたらたぶん負けていたはずだ。ロシアに敵対する列強諸国の打算が日本に味方しただけであったようだ。

1905年の9月に仙台の幼年学校から東京の中央幼年学校に入学した莞爾はたちまちいじめに会った。身なりがだらしなく、饒舌で、冗談好きであって、仙台幼年学校を首席で卒業したくらいだから、上級生たちよりも頭が切れた。生意気であったから、毎日のように殴られたという。このころは多かれ少なかれ下級生はみな制裁にあって殴られた。常態化してしまうと平気になるものらしい。今学校でかれは軍神乃木希典をしる。将校たるものは配下の兵士を死地に赴かせ殺さなければならない。そのようなことが許されるのかどうかはわからないが、日本の国家はそれを必要としている。そうして国家の発展が第一であるという点では、石原も乃木も共通していた。国家の発展は暴力を必要としている。兵隊たちにも暴力による矯正は必要だ。それは柔弱さを絶つにはなくてはならないものだ。天下国家が第一だという理屈でいくと、どうしえもこうした結論になって行くようである。ただ晩年、石原莞爾は「兵は神である」という言い方をしていた。国家それ自体のためにも一兵卒の生命が犠牲になるようなことがあってはならないと冠あえるようになった。こうなると維新の元勲とはだいぶ考え方に開きが出てくる。これが『世界最終戦総論』へとつながって行ったらしい。石原の描く理想社会がその先にある。

石原莞爾の生まれたのは1889年(明治22年)の1月であるが、1920年(大正9)まで、思想的遍歴が続いたとある。アジア主義、社会主義、法華経と巡り歩いて、この年に田中智学の主催する国中会の会員となった。宮沢賢治が所属していた国中会で、案外妙なとことで人と人は結びつくものである。仮に思想的遍歴を悩みという言葉で表すとするならば、この時期は平和な期間であった。フリードリヒ大王だかの言葉に、「平和とは悩んでいる期間であり、戦争とは悩みを解消するために行動する期間である」というのがある。かの大王の頭もダイスの目の天上にあったはずであるから、ほかの5つの目からはその正体が絶対に見えなかったであろう。彼らは多数決で正義を勝ち取っているだけで、根本的に間違っているから道理が見えないのである。

去って、学校を出た莞爾が最初に赴任したのは、朝鮮韓国の江原道の春川であった。ちょうどその年に伊藤博文の射殺事件が起こっていた。伊藤博文が暗殺されたのは1909年(明治42年)の1月だ。射手の安重根は相当の射撃の名手だったらしい。日本ではこのあたりは話題になっていないと思う。ともすると一介のごろつきのようにうわさされている。実際は相当の資産家の息子で、日本で言われているような「テロリスト」だったのかどうかも怪しい。安重根は、日本は伊藤博文という奸臣の為に道を踏み外していたと考えていたらしいが、私も『日本は明治政府の富国強兵策のために道を踏み外した』のだと思う。安重根は、孝明天皇を毒殺したのも伊藤博文だと信じ込んでいたらしい。法廷の場で「・・・日本天皇陛下および韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんがために、今回の挙に出た」と述べている。一種のあだ討ちとも取れる。信念を貫き行動を起こしたという点では、甘粕大尉と同様に賞賛されるべきなのだろうが、このことは「人を殺めても剣や銃弾には罪はない」ことがわからないものにはわかるはずもない。ともかく、昨今の能無し連中よりも、安重根の方がずっと強く日本の将来を憂えていたことは確かだろう。筆者の福田和也氏は、伊藤博文が最後につぶやいたといわれる「馬鹿め!」の意味を伊藤自身も理解できなかったであろうといい、その言葉の真の意味は、自身テロリストとして政治的経歴を始め(高杉新作らと建設中のイギリス領事館を襲撃)、わけがわからぬうちに徳川政権を倒してしまい、若い国家を自立させるべくして努力してきた老人の述懐だとしている。結局は無駄な努力だったのかもしれないということだ。安重根の想いに、日本近代化の努力は敗れることになるのかもしれない。維新政府の行ってきたことは一人の人間の想いと比べても軽はずみで青臭いものだった。後年の石原莞爾も、国民党や中国共産党の道徳性を高く評価し、日本人の及ばない深く柔軟な強さに感銘している。それは帝国主義的発想になれた日本人の堕落とは到底比較にならないものだと周囲のものにといて回った。戦後GHQが日本政府を解散させなかったというのが痛い。天皇独裁政治のほうがまだましだっただろう。

(*)安重根について書かれた書物を検索したところ、アマゾンでは扱っていたが、楽天ショップでは大手はまず取り扱い中止になっていた。このあたりに、くさいものにふたをするという日本人の気質を見たような気がした。やましいところがあるから隠そうとするのであろう。もはや日本政府の基盤があやふやなものであるという疑いはかなり濃厚であるように思われる。天皇の完全な支持も得ているとはいえないようである。歴史上の人物になぞらえるなら、安重根は、織田信長を討った明智光秀にたとえられるかもしれない。朝廷を差し置いて天下を取るのは許せないという体のものである。明智光秀にしろ安重根にしろ、英雄とは呼べないのだろうが。

維新政府が日本国を思う連綿とした気持ちも、安重根が日本人と天皇を敬う心にはかなわなかったのではないかというのも意外であったが、軍事的には二正面作戦を行うのは愚の骨頂などという固定観念も、昭和の硬直的で保守的な時代の産物かもしれないということもまた意外な話であった。もっともかの臨在和尚などは、何事もないのが高貴なお方だ」といって、固定的で硬派であることをたいそう珍重したらしい。肉体的には多少窮屈であったほうが、精神的には自由だという戒めとも考えられる。二正面作戦も大正時代の自由な精神が思いついたれっきとした正当プランであったようだ。日本の軍事教育もその流れを強く受けたものであるようである。

このころ満州界隈の情勢はことに入り組んでいて、屁理屈をこねればどうとでも解釈できるような状況であったが、日本には正義が一番不足していたと石原は言う。感情的にはアングロサクソンにはすべて反対、東洋的なものにはいわば無条件に惹かれていたらしい。それで韓国人や中国人からは慕われたが、西欧化を推進する軍部の連中には嫌われた。この辺りの具合はちょっとやそっとではわかりそうにない。まず第一に、現代日本人には『敵国ドイツ』という概念が希薄だと思う。その敵国の軍政を模範として取り入れたのがこのころの日本だ。ヒトラーも取り入れなかったルーデンドルフ体制だ。ルーデンドルフ体制のおかげで第一次大戦課のドイツは敵の侵入を防ぎ、戦闘にはたいてい勝利していたが、戦争には敗北した。商社であるフランスやベルギーの国土が戦禍のあとの後輩ぶりで痛々しさを残していたのに、敗者のドイツの町並みは整然として塵ひとつ落ちていなかった。一時期ドイツに暮らしていた莞爾は、これが敗戦国だろうかと目を丸くしたそうである。関東大震災のときは、これ見よがしに、死者300万人で日本は数世紀の間立ち上がれまいと報じていたという。戦争景気に沸く日本への風当たりが強かったのはドイツに入ったときから石原の感じていたことだったそうだ。ナチスはこんな体制は敷かずに社会保障の充実を図ったので、戦闘には負けても比較的に国民は困窮しなかった。日本とは正反対である。大体ここからして相当入り組んでいることは推察される。

1925年9月、石原はシベリア鉄道経由でハルビンに降り、今帝都を復興する必要はない旨の演説を行った。10億の金はすべて軍備に使い、世界最終戦争に勝利するために使わなければならない」とといた。おそらく最終的にはアメリカと戦うことになるだろうが、それまで30年か40年東京はバラックのままでよい。最終戦争に勝利すれば、どうせ世界中から献金が回ってくる、などという話であった。こうした演説など行えば、当時の世相を考慮しても反感を買ったであろうし、まして列強諸国はいよいよ身構えるのは必定なのだろうが、反感を受けてイマジネーションが生まれるタイプだったにせよ、なんだかよくわからない態度である。関連して想起させられるのは、近衛文麿が1918年に述べた「英米本位の平和主義を排す」という論文や、彼の青少年時代の夢想に、ほとんど石原莞爾の最終決戦論と同じようなものがあったものと思う。そうすると、1900年代後半にはそういう構想の源となるものはすでにできていたことになる。それにしてもあからさまに海外に知れ渡るようなことを口外してしまっては、アメリカが警戒するのは明らかで、どうにも理解しがたい。かんがみるに時勢のさかさまをやる人というのはたいてい大正解なのであって、皆と一緒に時流に流されるものというのは大いに道を踏み外しているものである。人の心というものがないから、風の分子や川中の水分子のように心無い動きをし続けるのだろう。

何事にせよ、過ぎ去ってしまえば苦難も苦難と感じなくなってしまうのは、まさに記憶は作られるということを意味してるのだろう。つまり過去というものは現在にしか存在しない、今現在生きている人間の頭の中にしか存在しないということだ。われわれは大正デモクラシーだとか大正ロマンなどと、「あの時代はああいう時代だった」などと一方手に決め付けるものであるが、真相はさかさまも合ったに違いないということである。対処という時代は、繁栄と不況とが絶え間なく同居していた、今から見ても驚くほどの激動の時代であったようである。どうも大正のわずか15年足らずの間に、大戦景気と、戦後不況、震災恐慌から金融恐慌、新興財閥の盛衰などが一挙に起こったというのは、平成ののんびりムードを背景にしていてはさっぱり実感がわかない。マスコミや政府が「めまぐるしく動乱する現代社会」などとまくし立てるから、バカがそう信じ込んでいるだけで、実際は今のほうが安定していることは明らかだ。

第U部に差し掛かったところで、歴史的背景がよくわからなくなってきたので、とりあえずここで例によって中断したが、ヌルハチの満州独立と関東軍の満州帝国とが、ともに中国への侵略を企てずにいられなくなった背後には、何か似たような要因が潜んでいたのではないかなどという視点が興味を引いた。やや意外であったのは、福田氏にとっては、別荘と仕事場が近接しているのがロシア的だという感覚であった。それを彼は「私たちの目には見えてしまう」などと思っているらしいが、そんな風に日本人全般が考えているとはとても思えない。なんともわかりにくい心情で、詳しい説明がこの箇所にも必要だと思ったが、別段この部分は余談に違いないので文句も言えない。それはともかく、かなり近代史に通暁していないと、満州国建国のあたりのことはわかりにくいと思う。ネットで一方的にどちらかの立場を執拗に説いて気軽に喋っているような人はいささか単純すぎるようである。

・・・・・・・・・・

晩年は本土の北のほうで農業をして暮らしたそうだ。志は果たせなかったが、一時は近衛文麿と、開戦回避をめぐっての意見を交わしたこともあった。「悠然として南山を見る」ような心持で畑仕事にいそしんでいたのだろう。夏目漱石だったか、こういう風流は西洋の蛇だったかヘビーだったか忘れたがそうした動物的なマシーンには決してまねができない東洋の得意なのだと草枕かどこかで目にした覚えがあるが、蒸気機関車の蛇腹はどう見ても蛇の腹だ。光が差し込まないから色の区別ができない。畑仕事だと色の変化がよくわかる。






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