森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 「迎撃戦闘機「雷電」」を読んだ。

<<   作成日時 : 2015/10/03 10:24   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

私は子供のころから、シャチという生き物が好きであったが、雷電という戦闘機も、ペンギンのように海を飛ばせたなら、造波抵抗というものもあまり受けないで、すいすい進んでいくのではなかろうかという気がした。ずんぐりした流線型のフォルムは最新式の潜水艦を思わせる。ゼロ戦が全体としてせみのような形をしていたのに対し、同じ設計者のものとは思えないくらいに、別の生き物のような美しさがある。もっとも、高度1万メートルともなると、雷電ではB29のように水平に飛行するということはできなかったらしい。機首を上に向けて落ちないようにしていなければならないので、すぐに燃料がなくなったという。

作家の三島由紀夫は海軍の高座工廠で働いていたことがあったそうだから、海軍製の雷電(三菱製の雷電ではない)の製作にかかわったことがあったかも知れない。

筆者の碇義朗氏は戦時中陸軍の作業庁に勤務していたというが、昭和20年9月1日時点に米軍の命令で行われた調査では、日本に残されていた海軍機はおよそ7800機であったそうだ。「精根尽き果てて戦争に敗れた」などと往々にして言われたものだが、それにしてはなんとも余力があったのではないかと感じる。連日の空襲でてんてこ舞いであったはずであるのに、どういうことなのかしっくりと来ない。現在不発弾一発が見つかっても、半径1キロくらいは退避勧告が出るくらいの大騒ぎであるのに、大空襲でなぜこれだけ被害が少なかったのかなんとも不思議なのだ。単に人口統計だけを見ても、太平洋戦争で350万人が死んだなどといってみても、大恐慌時のほうが影響が大きかったのではないかというくらいのものでしかない。ブラックマンデーのようなものにしてみたら、1年たってみたら「何にもおきてなかったではないか」というくらいのものである。それに加えて昭和19年の暮れに名古屋工場地帯を襲った東海大地震だ。これによる被害は空襲などの差ではなかったという。軍需生産のストップしたさまは、先の東北大震災波ではなかったかと思う。今思えばそれだけで生きる気力もなくなりそうな世の中でよく戦争など継続できたものだ。よほどの飼い犬でなければこんなことはできそうにない。この場面を想像するとかなり腹が立ってくる。名古屋を襲った東海地震で工場のゼロ戦がダンスをしているのを見て、こんなバカらしい世の中に思わす笑いがこみ上げてきたという述懐が残されているそうだ。


雷電は、海軍の陸上用局地戦闘機だ。海軍製だからだろうか、558機しか作られなかったが、「対爆撃機用局地戦闘機としては最強」と米軍をうならせたそうだ。しかし、科学技術的には考えにくいことだろうが、航空機の場合は特に、パイロットの概念というものが操縦操作に及ぼす影響が大いにあるらしいので、思想的にこの種の戦闘機を受け付けない国であったならなんとも言えない。P39エアラコブラなどがその例で、欧米では100点満点で20点ほどだったが、ソ連では80点であった。ウィキには書かれていないし、書かれている筈もないが、航空力学そのものが人間側の思考概念で変化するのだろう。

また戦後に作られた評価には戦闘機乗りとして平均的技量の持ち主からかなり逸脱したものたちの評価がかなり加わっているだろうから、これも当てにできない。結局は言いも悪いもパーセンテージの問題で、これといって定まった境界線上の定格なんていうものがあるわけではない。貯蓄残高みたいなもので、一億円以上の金融資産があるものなど、実は中国人などより日本人のほうが多いらしいが、そういう真実は普通世間では好まれない。嘘のほうが人気がある。歴史上の事実にしても同じだろう。

総和19年3月時点での海軍の評価では、対戦闘機としては、雷電は零戦に及ばず、紫電改は零戦にやや劣るか同等とあったそうだ。こういう書き方をしてしまっては、まるで雷電より零戦のほうが強力であるという印象を与えてしまいかねない。海軍が戦闘機の評価基準の中にこうした言葉を用いた背景には、パイロットの技量が低下して、離着陸のたびに失われるる機体と兵士の数が甚大なものとなっていた背景があるのだろう。敵と一戦も交えることもなく無駄に失われるよりは、操縦の簡単なゼロ戦を大量に作ったほうがましだと判断したのかもしれない。どうも旧日本軍の評価基準のひとつであった「対戦闘機」というのは「小回りの効き」ということのようで、これは当時一般の言葉遣いとしても大衆感情からは大いに乖離していたものだと思う。こういう言い方なら、「ゼロ戦はF15ジェット戦闘機よりも空中戦に強い」という言い方も間違いとは言い切れない。それにもしゼロ戦を自由自在に操ることができて、あたかもそれに生命を与えるかのようなことができるとするならば、そこには一種の「気」のようなものが生まれるのではないだろうか。古代ローマの戦士などは、10メートルか20メートルのがけから飛び降りる訓練があったそうである。塀を乗り越えて敵の城に乗り込む必要があったからである。重い装備をつけてこれを行うのだから、普通ならまず死んでしまう。気力による充実感が肉体を強化しているのだろう。この気力を自己本来の生命体の外にも働かせることができるならば、戦闘機の強化ということも起こりうるはずだ。科学の法則の誕生譚なんていうのも、規則と思われる法則に従わなかった結果を例外として取り除いたものから生まれたものだそうだ。思念とか理念といったものが取りついている物質はまず例外として勘定に入れられなかっただろう。




迎撃戦闘機の必要性が叫ばれだしたのは、昭和13年の1月26日の中国空軍の双発爆撃機12機の南京奇襲爆撃に手も足も出ず、飛行機2機のほか数名が破壊されてからだという。日中戦争というのは前年の8月に勃発したのだが、案外漢口や南京といった日本軍基地には、中国軍からの空襲は一切なく防空に関してはただのルーチンワーク状態が続いているだけで、平穏無事な毎日であったらしい。このころの中国は蒋介石の国民政府が牛耳っていたが、中国人の気質というのは今とあまり変わらなかったようで、あまり知的なものではなく、国際社会から愛想をつかされるようなものであったというのが、「地ひらく」(*)で知ったことだった。そういうことも30倍の戦力を前にして緒戦を驀進できた理由のひとつなのかもしれない。そういう状態だと指揮統率もうまくいかないのかもしれない。南京基地空襲も、前線の指揮官の思いつきで、計画的なものではなかったらしく、その後空襲はなかったという。

(*)福田和也氏の歴史小説だが、彼の見解はバランスが取れていて実に有意義だと思う。ほとんどの人物が固定的意見で、いうなればキリスト教的客観性といったものを有している。キリスト教という宗教も、科学の世界と同じく、表の世界だけを扱っている。表の世界から見た主観性を強調してみても、それはやはり客観だ。これに対し、福田氏の見解は、おそらく裏の世界とも共鳴するところがあるように感じる。いうなれば独我論的世界とかグノーシスの世界などといったものだ。真の意味の主観世界がそこには開けている。表の世界と同様に広大無辺だ。

爆撃機があらわれたら、できるだけ速く上昇する戦闘機が必要で、その点、雷電は零戦の倍くらい速く、6千メートルまで4分ほどで到達できたそうだ(*)。もっとも1万メートルに達するまでにはやはり30分はかかったという。ゼロ戦のようなのはまったく爆撃機には無力で、ゼロ戦が勝つためには爆撃機のほうから接近してもらう必要がある。ところが実際は爆撃機はおろか、戦闘機までゼロ戦に対しては逃げながら攻撃してくるので、大抵は一機も打ち落とせない。ちょうどモンゴル系騎兵とヨーロッパ重騎兵の戦いと似たようなもので、逃げるモンゴル兵に追いかける重機兵が悉く射抜かれてしまう。将棋とかチェスなんていうどうでもいいゲームでも、普通にやらせると、出会いがしらの相手を順番に殲滅してから、最後に敵の玉を倒すというやり方になる。人間の心理から言ってそうなるのだと思う。背後から襲ってくる敵を倒してから出ないと落ち着いて前進できないという心理だろうか。まったく動けない城などを相手にしても、徹底的に破壊してから前に進む。かつてナポレオンの舞台が、途中の城をよけて敵の根城にせまったとき、そうした既成観念にとらわれていた指揮官たちはいずれも慌てふためいたという。まあ、今から考えればバカみたいな話だと思う。こうした古事を歴史の授業で疲労する教師たちというのは、クラスの生徒たちから大笑いされることになるのだろうと思うが、戦士というのはサラリーマンの走りであって、自分自身の思考で行動しないからこうしたこととが起こった次第なのである。それがなぜ異なるようなものに見えるのかというと、社会教育の過程で得た自意識の肥大というやつだろう。本来人間には自意識など大してない。他の動物と同じようにだ。個人個人が学習によって得た後天的な衣装でしかない。それで肉体の内側に自分の意識があると思い込んでいる。自分自身の占めるスペースがそんなせせこましい場所でしかないということなどあるわけがないのだ。そこに気がつけば、戦士とサラリーマンが同等であることがわかるだろう。

(*)1744年7月28日、ヨーロッパ戦線に現れたメッサーシュミットMe163は、1万2千メートルまでの上昇時間3分45秒、最高速度900キロ以上であった。日本軍は早速技術を導入しようと2隻の潜水艦をドイツに派遣した。大体半押し前に設計図はできていたらしい。1744年の7月20日にそれは日本に届いた。2隻の潜水艦とも撃沈されてしまったので、詳しい設計図はなかったのかもしれないが、とにかくそれを基にして、ロケット戦闘機「秋水」の製作が始められた。1945年の7月7日に試作1号機が完成したのだが、突貫作業で覚醒剤など技術者に投与しながら進められたそんな作業も、空襲で守るべきものもなくなってしまっては、雷電の完成を進めたほうがよほど賢明であったらしい。


本書にゼロ戦が空の要塞B17にまったく無力であったことが、大空のサムライ坂井一等飛行兵曹の口を借りて描かれている。20ミリ弾を何百発と命中させても、機体の破片がたまさかに落下してくる程度で本体はまるでびくともしなかったことをうす気味悪がっている。名人だから結局撃ち落したらしいことに気がついたのは、昭和17年1月25日の攻撃後の翌々日あたりであったそうである。そのころは、誰が見ても日本軍の大勝利は間違いないという情勢であったので、エンジンから出る煙を見た程度で深追いはしなかったのだろう。ミッドウェイの大敗北の後の同年の夏にあっても、戦闘機烈風の設計所においては、「今、日本は圧倒的に優勢のように見えるけれども、これからは勝つということより、いかにして負けないようにするかを考えなくてはならない。」といわれていたそうである。今にして思えば、とんでもない勘違いにしか見えないだろうが、それはたぶんに戦後に押し付けられたゆがんだ教育のせいかと思う。米国の戦争映画に、ミッドウェイで指揮を取った米司令官スプルーアンス役の俳優が、「アメリカはまぐれで勝った!」とつぶやく場面がある。それが真相なのだろう。

戦後はやたらと評判の悪い東條英機首相にしても、三菱工場視察の晩に電話を受けた社員の印象では、非常に物腰の穏やかな低姿勢の人物で、一般の平社員にもへりくだってものをいう態度に大いに感激していたそうである。こういうことはアドルフ・ヒトラーについても、またどうも冷酷の象徴に見られがちのスターリンでさえいわゆる高慢さとは縁遠い性格だったようだ。まあ、考えてみれば、そうした気さくな人物の統制下でなければ、国民の多くが政府に協力して戦場に赴くなどということは起こらなかったはずではある。

面白いのは、ゼロ戦の20ミリ銃では効かなかったが、雷電の20ミリ銃は対爆撃機用に効力を発揮したということだ。ゼロ戦からの20ミリ弾の初速は600メートル毎秒だったが、雷電据付のものは750メートル毎秒だったそうだ。物理でならったように、運動エネルギー自体は弾丸の速度の2乗に比例して増加する。しかし弾丸の軽いうちは発射後の空気抵抗がバカにならないので、速度よりも重さのほうが重要なファクターなのだろう。それに加えて、運動エネルギーの大きさが必ずしも破壊力に比例するという保障もなさそうだ。たまさかに、弾丸の速度が速かったがゆえに破壊をまぬかれたということもあるのかもしれない。標的の中央で停止するように弾丸の速度を調節することで、最も破壊力を発揮するのが、放射線治療の場合だ。元来一切の原子は隙間だらけで、アインシュタインにしろボーアにしろ、核分裂の連鎖反応などは絶対に起こりえないといっていたそうである。しかし現実はテレパシーみたいなもので、核分裂は頻繁に起こっている。電磁バリヤー効果のようなものが働いて衝突の現象が起こるのかもしれない。時折テレビで、「心臓を剣が貫いても平気な男ダヨ」などというのをやっていた。ふと映像を見ると、何の抵抗もなく剣が肉体を通過しているようだった。もし何らかの方法で電磁力を消滅させることができるならば、物質はまさに重ねあわせが容易にできるはずである。ミリン・ダヨというのは1912年生まれの人だが、1948年に聖母マリアだかのお告げを守らなかったために、五寸釘を飲み込んだ後大動脈流破裂で死亡したそうだ。彼自身は精霊を信じていたらしい。現在も過去も人の数だけ無数に存在するという事実を、一つの共通幻想として解している奇妙奇天烈な現代社会人たちの摩訶不思議さと比べれば、十分にありそうな話だと思う。



対爆撃機としては非常な威力のあったはずの双発戦闘機の「屠龍」のことは前に書いたが、碇氏はあまり評価していないようだ。碇氏の書き方のほうが冷静に見えるので、こちらのほうが事実に近かったかもしれないが、過去の史実も現在の出来事と同じように評価する人間の思想により自在に変化するので、なんともいえない。米軍と日本軍が戦うといっても、それぞれ対戦する相手は2つずつあり、味方同士が戦うという場合も若干ある。大柄な兵士の場合もそうだったろうが、恰幅のよい雷電もよくグラマン戦闘機と誤認され、日本軍の対空砲火で撃墜されたそうだ。世の中の実際の行動は常にランダムな成り行き任せなのである。



迎撃戦闘機「雷電」新装版 [ 碇義朗 ]
楽天ブックス
B29搭乗員を震撼させた海軍局地戦闘機始末 光人社NF文庫 碇義朗 潮書房光人社発行年月:2006年


楽天市場 by 迎撃戦闘機「雷電」新装版 [ 碇義朗 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル





雷電/烈風/100式司偵 [ 「丸」編集部 ]
楽天ブックス
ハンディ判 図解・軍用機シリーズ 「丸」編集部 潮書房光人社発行年月:1999年09月 ページ数:1


楽天市場 by 雷電/烈風/100式司偵 [ 「丸」編集部 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル





雷電と零戦 [ 藤森篤 ]
楽天ブックス
堀越二郎技師の遺産 エイムック 藤森篤 野原茂 エイ出版社発行年月:2013年07月 予約締切日:2


楽天市場 by 雷電と零戦 [ 藤森篤 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「迎撃戦闘機「雷電」」を読んだ。 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる