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zoom RSS 「青春天山雷撃隊」を読む。

<<   作成日時 : 2015/11/07 09:17   >>

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筆者の肥田真幸が教習を終えて、いよいよ夢に見た前線勤務に胸を躍らせていたのは昭和16年の10月だったが、残念ながら望みはかなわなかった旨が冒頭に述べられている。敗戦後はみな一様に、「わざわざ自分から望んで戦地へ赴くものなどいるはずがない」と決め付けるが、GHQから都合よく押し付けられた教育制度による社会洗脳なのではなかろうか。5人に1人くらいはわくわく胸をときめかせていたとしてもおかしくはないと思う。それにしろ、当時にあっても、ちょっと変わり者ではあったはずだが。

数学者岡潔の『葦牙よ萌えあがれ』の一説に、『西ドイツは、断固として、ヤンキー魂を持ってドイツ魂に置き換えることを拒否した。しかし、日本は、実に、これ以上ないという腰抜けな態度でこれを受け入れた。だから、日本は今、滅びそうになっている。物心両面とともに・・・』というのがあるそうである。岡潔がこの文を発表したのは1969年、彼が68歳のときであった。ちょうど私が中学のときに、旧師範学校卒の数学担当の教師が同じことを言っていたことを思い出す。今の文部省の教育方針では国が滅びると、常に孤軍奮闘していたが、他の教師たちは何の疑問も抱かずに十派一からげの教育を施すばかりであった。しかも、驚くことに生徒たちもそうした追従的な教育のほうを好んだようである。画一的であるほうが平等に映ったのである。そうして今、『失われた20年』などという状況を見ると、まさにこのころの教育が災いであったとしか思えないのである。といって、大正時代が理想だったわけではなく、まともだったのはこの時代の教育者で、日本がおかしくなったのは明治維新からだということはどうやら間違いなさそうだ。

思い出したついでにひとつ付け加えておくと、この労教師は、「発育が極度に遅いものの生活の面倒を見るのは親の義務である』という信念を持っていた。成熟が遅く、60歳になってやっと花が開くような子供は60歳まで幼児だと思って面倒を見なければならないという。今にして思えば、これが大正時代に一般的であった教育理念ではなかったか。そういうやり方だったからこそ日本の急成長というのがあったのではなかろうか。大多数の人間というものは、成長すれば必然的に社会へ羽ばたこうとするもので、いわゆる引き篭もりなどという現象が起こるというのは、そもそも教育指針の決定的な倒錯があるためではなかろうか。戦時中の人間の発想が、肉体的にははるかに楽であったはずのわれわれの世代よりも相当程度自由であったことを知るにつけてもそのように思うのである。『働きたくない』という人間を見て『替わりに働いてやるから安心しろ』という人の心を築くのは教育しかない。それなのに、われわれの世代は『自業自得』とまったく相手にせず、われ関せずであったから、国力はどんどん低下していったものと思う。今にして思えば、『誰だってやりたくないんだ!お前だけじゃあない!』なんていうのは、今でも多くのものたちの口癖であるはずだが、そんなことは大嘘だったのだ。殴られれば誰だって痛いかというと、気持ちのいいやつだっている。「全員が共同して同じ方向に向かうのが理想」などというのはとんでもない悪魔のささやきであったのだが、戦後の日本はおおむねその道を歩んでしまった。今でも「すばらしいことである」などというものが圧倒的多数だ。

ついでに「働かざるもの食うべからず」などという格言があるといったのはかのレーニンであって、聖書からの変容であることは余り知られていない。元はといえば、イエスは「パンの心配などしないで神に祈っていればOK」といったのだが、パウロの力量ではそれでは教団が存続できなくなった。それで苦し紛れに、「働きたくない者は食べてはいけない」といったのだが、「日々のお勤め」などという言葉が示すように、「勤労」という言葉には「神への祈り」という意味も含まれていることはもちろんである。



天山は3人乗りだが、ゼロ戦を2つ足したような機体だ。中島飛行機設計の海軍の艦爆だが1トン爆弾まで搭載できるので何かと便利であったという。

またしても、案外な発見というものは、高度500メートルで対潜哨戒をする場合は、たとえ潜水艦が潜水していても十分に目視可能だということが書かれていた。手っきりもぐれば見えないものと思い込んでいた。船からは見えないので、もっと遠くからの飛行機では到底見えないものと思い込んでいたのだろう。海面からの光の反射で見えないだけだ。考えてみれば、海水というものもかなり透明で、隠れ蓑には到底ならない性質のものだ。しかし、今までまったく気がつかなかったというのはいささか癪に障る。この高度500メートルを「対潜哨戒高度」といっていたようだ。もっとも、潜水艦の真上に達しなければよくわからなかったと思うが、動いていれば認識可能なのかもしれない。戦時中の潜水艦などは水中での速度が遅かったからなかなかわからなかっただろうが、現在の潜水艦だと大きさもある上に速度も当時の10倍近いので、波が穏やかですんでいる日などはかなりの深さでも補足できるのではなかろうか。船の上からでも、のぞきめがねを使って、海面からの光の反射を押さえてしまえば、かなり深い海底の様子まで観測可能だ。コンピューターのノイズ除去機能で、航空機の上からでもそういった映像が見られる時代になっているのかもしれない。

すでに昭和19年の2月も過ぎ、トラック初頭も玉砕覚悟の防衛が続いているというのに、天山で敵哨戒機と空中戦を演じる筆者と相手の米軍パイロットが、首に巻いたマフラーを振りながら挨拶を交わすというなんともわからない様相が書かれていた。筆者のほうは、帰りの燃料が足りなくなったので、続きはまたやろうというつもりで、手利きに接近していったが、向こうも撃つのをやめて、風防をあけてこちらを見ていたというのである。「今日はこのまま分かれるが、明日必ず来いよ!」と言い残して反転したそうである。すでに双方の機体とも互いの弾痕で少々傷ついている。日本語でいったのかどうか知らないが、「必ず来いよ!」といわれてのこのこ撃たれに戻ってくるものもいないと思う。

似たような話で、米軍飛行場を後にする日本軍のパイロット3人組が、冷やかしにアクロバット飛行を演じて行く場面がどこかにあった。「対空砲火を撃ってきたらすぐに逃げよう」と申し合わせてのアクロバットだったが、幸い米軍基地のほうでも撃ち方をやめて見学していたそうだ。その後日本軍基地のほうに空襲があって、爆弾の後に連絡用の筒が届いたのだあ、そこに「ぜひ、過日のアクロバット飛行をもう一度やってもらいたい」などとあったそうだが、「その手には乗るか!」と誰も行かなかったそうだ。

戦場にあっても、現実の世界でこのように遊ぶということは、戦後世代のものには決してできないだろうと思う。社会通念に従って全員一律で生きるように強いられてきた世代には到底独自性というものが生まれない。人のやり口を見てから動き出すようなものだから、やることが何かと遅いわけだ。「事実は小説より奇也」などという格言が生まれるわけも案外に理解できる。グアムからの脱出劇など、まるでゲームのようであった。現実はゲームなんかとは違うなどと、本気で考えているものがいたとしたら、そいつは世の中を知らないのだと思った。そうして、現実の世界をゲームの世界のように生き抜いてきたものたちだけが歴史に残る業績を上げてきたのだろうなと思う。激戦を生き抜いてきた伝記を残すものなど、さいころの同じ目が続けて4回も5回も出るという偶然が重なって現実となって現れてきたのだから、後世の凡人の目から見たら『そんなおかしなことが実際に起こるわけがない』と思うのは当たり前である。


肥田氏は、トラック環礁内の楓島というところに勤務していたそうである。トラック初頭には数多くの小島があり、中には山もあるようなものもあったが、大体がさんご礁でできたような島ばかりなので、空爆や艦砲射撃だけでで全滅するような地形だったらしい。肥田氏によれば、彗星の3号爆弾でB24は3,4機ほどまとめて落ちたが、B29のほうはびくともしなかったそうだ。この時代の製品は個性が強くて、強靭なものと脆弱なものが各種入り混じっていたのか。それとも全体が強かったのか、軍事機密のはずだから、工場によって設計図自体の解釈が違ってくるような大まかな図面しか提供されなかったのかもしれない。撃墜王の坂井三郎でさえも黒煙を出させるまでには7回もの攻撃を繰り返さなければならなかったというB24だったが、ラバウルのつわものたちは見ている間に同じゼロ戦の20ミリ機銃で撃墜したということが一方では書かれている。空中戦を行う高度の問題があるのか、ゼロ戦が改良されて強力になってきたのか(*)、ほかに要因があるのか。単にパイロット側の技量の問題というより、機体自身の出来具合のばらつきに加えて、自然の気まぐれといったものもあるかと思う。たまには自然の気まぐれで空気力学の方程式が変わったりもするだろう。科学者たちが従来そういう場合にやってきたことはといえば、「異常データ」としてそれらを無視するということだけだった。ところが、それは観測ミスなどではなくて、巨大システムに見られる日常的なエラーの数を見ていると、どうも自然の気まぐれな意思といったものはありそうな雰囲気である。

(*)二十一型と比べて、五十二型は、300ノットを出してもびくともせず、格段の力強さを感じたという筆者の評がある。風防も厚く、前方が歪んで見えたそうだ。言われてきた印象とまるで異なる。たいした違いはなく、むしろ改悪だ、というのが今まで聴いてきた話だった。降伏後、天山引渡しのため、米雷撃機アベンジャーに先導されて飛行したが、普通に飛んでいれば楽に追い抜けるほどののろのろ運転に、『こんな巡航性能の悪い飛行機に敗れたのか』と操縦員一同ともども腹が立って仕方なかったという。米軍も、技術的にはたいしたことはなかったという筆者の印象だ。アベンジャーに日本は負けたといっても、早々誇張ではないほど、アベンジャーの活躍は際立っていたらしい。さすがアメリカという印象を暮らしぶりからは受けそうなものだが。私のほうは小中学を通じて、そのように聞かされてきた。単に戦後GHQと政府が口封じを図ってきたとしても、限度というものがあるはずである。

特攻に対しては、激しい非難はしていないが、「こういうことをやっていれば必ず負ける」とは終戦のかなり以前から考えていたようだ。どうも敵の船に向かった爆弾を抱えたまま体当たりというのはかなり以前からあったようで、場合によっては自然発生的ではあった。頭に血が上りやすいのはいかにもそうしそうな感じだ。といっても、体当たりするのは輸送船が主であって、空母ではなかった。空母に体当たりしようとしても、95%は艦載機に落とされるし、残りも対空砲火でやられるから100%無駄だったようである。しかし、輸送船に乗りこんでいる敵の兵隊も憐れなものではある。自国内での日常の生活水準とのギャップを考えると、日本兵よりも米国の兵隊のほうが心理的にきつい部分が多かっただろう。生活水準のほうから言うと、当時の米国人の心理のほうが想像しやすい位だと思う。日本人の場合は、現在とは余りに社会環境が異なりすぎるのでかえって理解しにくいのだ。


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