森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 『悲劇の輸送船』を読んだ

<<   作成日時 : 2016/01/24 09:18   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

戦争に関する文庫本は、ほとんど光人社NF文庫のもので、この書物もその一つ。昭和14年東京生まれの大内健二という人が書いている。小野田セメントを平成11年に定年退職して、執筆活動を始めたらしい。戦争について調べるにつれ、教科書よりも世間的通念のほうがずっと間違っていることに気が付く。教科書の誤謬を20%とすれば、世間の誤謬は80%だ。

「日本が太平洋戦争の開戦に踏み切った最大の要因が、東南アジアに埋蔵される石油やボーキサイトなどの豊かな鉱物資源の確保にあったことは今や周知の事実である。」などとあるが、果たして本当に最大の原因だったのかどうかよくわからない。富国強兵が最大の国家目標であり、常に軍隊の動員を心がけなければならないというならそうであったかもしれないが、軍隊の常時活動などなんとも無駄に聞こえる今日の時世下では、最大の要因は精神にあったようにも思える。侵略気質というか、そうしたものである。よく聞かされたのが、ABCD包囲網というものだが、これは日本軍の国内向けのプロパガンダであった部分がほとんどで、石油備蓄のための軍部のたくらみみたいなところがかなりあったらしい。アメリカなどは日本に対する経済制裁にはほとんど協力しなかったので、列強諸国から相当非難を受けていたともいう。大体自由の国アメリカの商人が政府の言うことなど聴くとも思えない。

もちろん日本軍が東南アジアの資源埋蔵地域の占領をもくろんでいることは、これらの植民地を持っていた諸国にも知れ渡っていたから、防御も完璧であった。それで日本軍が侵攻した当初は、日本陸軍は大誤算により大敗北を覚悟したらしいが、いざ戦ってみると、3倍の敵に楽勝で、比較的やすやすとこれらの要所を攻略することができたが、オランダ軍などは撤退に会建てこれらの石油施設などをあらかた破壊していたので、復旧するまでが難関だったらしい。そこで、本国より大量の技術者を呼び寄せ復旧に当たらざるを得なかった。しかし、スマトラのパレンバンでは早くも1942年の10月ごろには、開戦前の掘削量にまで復旧したという。1943年度になると、南方から日本に持ち込まれた石油の総量は281万キロリットルに達した。当時日本国内で産出されていた原油の6.5倍以上だ。石油との比較だとさらに差が開くだろう。

石油の精製量から見ると、開戦半年どころか、丸1年以上も南方は全く安泰だったような感じだ。これはかなり意外な話であった。昭和17年(1942)6月のミッドウェー海戦の大敗北以降も、いきなり南方基地が被害にあいだしたようにも見受けられない。

太平洋戦争中に南方石油を船団として組織的に輸送する方法を採用したのは、1943年の7月からとされているそうだ。そのころまでは日本軍の支配海域に連合軍が侵入してくることは困難だったのかもしれない。日本軍は思っていたよりもはるかに強力だったらしい。20年ほど前からだろうか、アメリカの戦争映画で「我々はまぐれで勝った」という記述がしばしばあったのを怪訝に思っていたが、どうも向うでも真相を調べていたようだ。どうやら1944年の半ば以前の被害はそれほどでもなかったという感じだ。砲弾の命中精度が高かったのだろうか?10倍の命中率があったとすると、当面の強さは10倍の兵士に匹敵する。だから連合軍はベテラン兵士がいなくなるまで苦戦を続けていたのかもしれない。

1946年の夏を過ぎたあたりから米潜水艦や航空機による攻撃が頻発するようになった。潜水艦による狼群作戦というのは、非常に陰惨であったといわれるが、そもそもこの手法はナチスドイツから学んだものであって、第2次大戦勃発以来丸2年間にわたってイギリス商船が経験していたものであった。結果良ければ悲惨なことは忘れ去られ、悪ければいつまでも伝えられるというのは世の常だ。英国民間人たちの味わった恐怖のほうが大きかったかもしれない。その期間だけでも、日本側の3倍近くに達する。撃沈された商戦の総トン数だけを見ると、船舶自体が多かっただろうということもあるが、開戦当初から月7万トン平均、1941年には39万トンというピークに達している。日本のほうは失った商船のすべてを合計しても、せいぜい数百万トンだ。月当たり10万トン程度だろう。しかし、英国の悲劇が人気を集めないのは、まさにイギリスが表面上勝利したからだろう。ふと、高校の時、担任の海軍出身の教師が漏らしていたフランス人たちの話を思い出した。日本人は戦争中攻め込まれたことがないから、戦争がどんなものか知らないのだ。空襲を受けたくらいで戦争を体験したつもりになっているなどというのは我々から見たらおめでたい話にしか過ぎない。民間人の被害などゼロに等しいではないか、というのである。多少勘違いもあるだろうが、日本の民間人の被害は多分フランスよりも少なく、イギリスより多い程度だったかもしれない。

米英その他、各国連合軍および中立国がドイツ潜水艦の攻撃によって失った商船の総量は、1942年末の時点で1687万総トンに達していたという。太平洋戦争勃発時に日本商船隊が保有していた船舶は639万であったというから、連合国の被害の大きさがわかる。今でこそ強がりを言っているが、最初はこてんこてんにやられていたらしい。もっともナチスのやり方は原則相手国の乗員を捕虜にした後で船だけ撃沈したというのが普通だったらしいから、人命の犠牲は日本のほうがずっと多かったはずだ。しかしナチスも緒戦のころの余裕がなくなってきた段階でどうなってきたのかはわからない。人命の犠牲が多くなったのは、商船を兵士の輸送船として使うということが必然的に起こったためであり、そのため攻撃側も事前通告なしに命中弾を発射せざるを得なくなってきたといういきさつもあろう。古くはロシア軍官がこれをやった。常陸丸(ひたちまる)事件というのがある。日本歩兵962名とイギリス人高級船員ら65名を合わせた1027名が犠牲になった記録は、39年後の1943年2月まで破られることはなかった。このときは1481名全員が死亡したが、ほとんどが陸軍の兵隊だったのではなかろうか。陸軍の兵士が海で溺死するというのは、まさしく犬死であって、死んでもサメに食われて浮かばれない。

ここで第二次大戦中の犠牲になった世界の商船のまとめを記しておくと、筆者によれば、総計9000隻、3717万総トンに達するという。そのうちの半数を超える約5000隻、1976万総トンが、イギリスと日本の商船で占められている。イギリスは1100万総トン以上を、日本は840万総トン以上を失った。イギリスは1942年に損害のピークを迎え、この年1年間で410万総トンの商船を失った。日本の損害のピークは1944年で、この1年間で372万総トンの商船を失った。イギリスのほうが損害が大きかったのに驚く。しかもイギリスは日本よりもはるかに防御策を講じていたのだ。

本書を読むと、ガダルカナル攻防戦の激しくなってきた1942年の秋口以降、米軍の逆転が決定した原因の一つに、輸送問題が大きな重さを占めていたことがよくわかる。ナチスドイツが英国商戦を苦しめたのと同じことを米軍が行っていたわけだが、連合軍がナチスの狼群作戦の封じ込めに成功したのとは異なり、日本軍は最後まで米軍の狼群作戦を封じ込めることはできなかった。これには日本軍の潜水艦の破壊力が強力すぎて、軍艦を相手にしても十分戦えたこともかなり影響していたかと思う。反対にナチスの潜水艦は弱体すぎて戦艦相手には歯が立たなかったことが逆に幸いしたのだろう。

同じ島国根性とでもいうのだろうか、イギリス海軍の規則一点張り、上官の命令は間違っているとわかっていても完遂しなければならないという傾向はとりわけひどかったらしい。日本よりもひどく日常に浸透しているようで、ある点はインドのカースト制度のようなところがあるが、それでいて叔父や叔母と結婚しても別に不思議がられないという国でもある。

なお、筆者によれば、戦時中日本は満州から食料を輸入していたというが、それにしては東北や北海道では統制経済のため米や野菜がさばけず、余剰分は腐って仕方がないから海に投げ入れて魚の餌にしていたのだから何ともわからない時代であったようだ。

B29の編隊が関門海峡付近に機雷を投下し始めたのは、1945年の3月以降というから、本土への食糧輸入が逼迫したとすると、それ以降のことになる。大戦後期には、すでに磁気及び音響感応式の機雷が主体であったが、一部には水圧反応式もあった。艦船が直接接触せずとも爆発するので、大概の船舶は危険地域は通行できなかった。水圧反応式だと、クジラやイルカなどの海獣にとっては大迷惑だっただろう。

米軍は1945年5月時点で、マリアナ基地のB29重爆撃機総配置数720機のうちの6%ほどの機体を機雷敷設のために使用したそうである。機雷投下に当たった変態は、高射砲を水平に傾けなければならないほどの低空飛行をしていたというから、相当の腕利きのパイロットたちだったのだろう。高射砲で撃ち落とされたり、夜間戦闘機に撃墜されたり、帰還途中で行方不明になったもの(エンジントラブルなど)はわずか14機に過ぎなかったという。しかし思っていたよりも日本本土への攻撃は遅かったように思う。思っていた以上に連合国にとっては手ごわい相手だった。このことは何度見ても不思議なくらいに思える。もし最初から10倍も20倍も巨大な相手と戦ったのであれば、戦いが4年間ほども長引いたというのはさっぱり合点がいかない。





輸送船入門新装版 [ 大内建二 ]
楽天ブックス
日英戦時輸送船ロジスティックスの戦い 光人社NF文庫 大内建二 潮書房光人社発行年月:2010年06


楽天市場 by 輸送船入門新装版 [ 大内建二 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル





捕虜輸送船の悲劇 [ 大内建二 ]
楽天ブックス
戦いが終わった後に訪れた過酷な運命 光人社NF文庫 大内建二 潮書房光人社発行年月:2014年09月


楽天市場 by 捕虜輸送船の悲劇 [ 大内建二 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『悲劇の輸送船』を読んだ 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる