森の散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 『アブロ・ランカスター爆撃機』を読んで

<<   作成日時 : 2016/02/13 09:12   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

ドイツ最後のビスマルク級の巨大戦艦であったティルピッツを重量6トンのトール爆弾で撃沈したイギリス空軍の4発重爆撃機だ。

しかし、最高速度は、ゼロ戦などよりは若干速かった(*)が、先日の木製双発爆撃機モスキートにははるかに及ばず、時速にして200キロ近くも遅かったという。ドイツ軍のBF110にしても楽に追い抜くことができたので、ドイツ軍がこの爆撃機に苦しんだのは、空の防備が薄くなった比較的後期からだろう。上昇限度にしても大したことはなく、モスキートのほうが3,4割も上空を飛行できた。B29よりも100キロ以上もゆっくりと、しかも常に高射砲の射程圏内を飛行していたのだから、相当に犠牲も多かったはずであるが、そんなことは名誉の戦死とでもいうのか、戦没者ともなれば得意になって壁一面に飾っておくのがイギリス人魂らしい。ともすれば問答無用で鬼畜米英と片付けるわけのわからない連中がこれを見たら、『イギリス社会は狂人の集まり』と解するのだろう。ロシアや中国に関しても似たり寄ったりだ。いったん回路が形成されたら、ブラックホールのような巨大な力で、思考電流が一方向にのみ流れるのだろう。

(*)ウィキの『アブロ・ランカスター爆撃機』の項には、最大速度毎時450キロとある。個別の作りによっても、パイロットの腕によっても、天候などの影響によってもかなり異なるはずだが、この速度を見る限り名機とは呼べそうにない。しかし、イギリス爆撃機としては最も活躍した。主うせっまでに7374機製作就役させ、107085回の出撃中、608612トンの爆弾を投下し、2687機を損失した。木製軽爆撃機モスキートの23909回出撃中、損失はわずか137機というのには遠く及ばない。損失率でみると、モスキートが174対1であるのに対し、ランカスターは40対1だ。しかし、しばしば護衛なしで出撃したものの、損失率は案外に少ない。

ちなみに、ゼロ戦が遅かったといっても、日本に速い戦闘機を作る技術力がなかったわけでもないようである。速度よりも空中での運動性重視という軍部の命令で、速いだけの戦闘機は即没にされたらしい。戦うからにはくんずほぐれつの戦いが当たり前で、逃げ足の速いだけの戦闘機には意味がないと考えられていた。一撃離脱など卑怯者のやることであると考えるのは今でも普通だ。

本書の初めのほうを読んで、いつかダムの話をした際にメーネダム攻撃を行ったイギリスの爆撃隊のことを述べたが、その時の爆撃機の編隊がこのランカスター爆撃機だったという事が書かれている。昔、確か高校のころテレビの深夜放送で見たように記憶しているのだが、その時は重い爆弾が水切石と似たように水面を飛び跳ねて進んでいくなど映画だからありうるので、現実の話ではないだろうなどと思っていたものだ。しかし、それは現実に起こったことで、飛行パイロットの腕が相当に優れていたという事を思わせる。今のパイロットの技量ではまず無理だろう。戦時中の飛行機を乗りこなせたものが、今の飛行機を操縦すると、まるでフライトシミュレーションのバーチュアル試験としか思えないほど平易らしい。逆に言えば、今のパイロットたちは昔と比べて、とてつもなく下手なのだ。毎秒10回転近い逆回転スピンを持たせた円柱状の爆弾を投下するのだが、5トンもある円柱状の爆弾を飛行機の胴体の下で高速回転させることなど、現在の技術でもそう簡単にはできないだろう。いや、ひょっとしたら無理かもしれない。

チャスタイズ(懲らしめ)作戦という名のこのダム・バスターズチームは、かなりうまくやったようである。特に南方から侵入した先発チームは、高度15メートルの超低空飛行を長い距離にわたって続けたためか、夜間戦闘機の犠牲になったと思われる一機を除いて残りの8機すべてが目的地に到達し、しかもドイツ軍の対空砲火もほとんど当たらずというから、操縦技術のほかにも運もよかったといえるだろう。このような出来事が、1943年の5月16日の満月の夜に起こっていたとは、まさに「事実は小説より奇なり」の典型だ。ダム群(メーネダムとエダーダム)の決壊によって、ドイツは1217人の人命と1012頭の家畜の命を失った。しかし、ドイツ軍もさるもので、この5トン爆弾で被った巨大な傷跡の数々を半年で完全修理してしまったらしい。

ダムの決壊によって戦に勝利するという手法は相当に古くからある。古代史において、一挙に数万人の軍隊をせん滅とか、数個の市街を一瞬で壊滅などと出てくれば、それはまず間違いなくダムの決壊を戦争に利用したものだ。古代ではメソポタミア地方の多くの都市国家がこの手法を利用したし、古代ローマは水害を利用した戦法に秀でていたという。


英国航空史についても手短に描かれていて、案の定海運国イギリス空軍は当初、軍用機など使い物にならないとして開発拒否を連発していたような雰囲気であったらしい。似たような話に、鉄砲と弓矢がある。弓矢のほうが、雨の日も使えて便利かというと、鉄砲のほうが案外便利だった。当時の人は、『まさか?』と思った人が多かったと思う。

それでイギリス人のほとんどは飛行機に見向きもしなかったらしく、英国で初めて飛行機を飛ばしたのもアメリカのコディという人で、1908年のことだったという。産業革命の国で、もともとエンジン作りはお手の物なのか、翌年の夏にはさっそくイギリスのアリオット・ヴァードン・ロー(1877−1958)が三葉機を飛ばしている。もっともエンジンはフランス製だった。それでイギリス人が30メートル飛んだころには、フランス人は30キロメートル以上も飛んでいた。それで、第一次大戦時の1917年7月7日に、ロンドンがドイツ軍の空爆を受けた際も、イギリスの防空戦闘機はドイツ軍の爆撃機に何の損害も与えることができなかったという。

かなり驚いたのは、単純な水上飛行機のスピードレースでのことだが、1939年の8月26日の時点で、ドイツのメッサーシュミットMe209速度記録機が時速755.11キロを記録し、これがプロペラ式水上機ではいまだに世界記録(*)だという事だった。確かプロペラ機ではソ連の大型爆撃機(プロペラ機だがレシプロエンジンではなく、ジェットターボエンジン式らしい)の時速925キロというのがレコードだと思うが、水上機にはもう使用価値がなくなったといっても、80年間も記録を保持しているというのも不思議だ。
(*)ウィキの『水上機』の項を調べたところ、こちらは1934年にイタリアのマッキMC72の記録した709.21キロをレコードとしている。鈴木氏はこのレコードは破られたとしているが、マッキのほうが水上機っぽいのかもしれない。10年後に開発された初期のジェット機よりも早かったというから、どうやら実際にあった話だ。フロートのような抵抗の大きなものをぶら下げてなぜ速度が出るのだろう?

しかし、無尾翼機をはじめとして、ジェット機の開発にしても、イギリスが嚆矢なのだから、頑迷であるが想像力豊かな国でもある。それにアメリカ独立戦争などでは、期日も場所も無視した奇襲攻撃ばかり受けたが、言い訳がましいことは一切口にしない潔いところもある。イギリス官僚の長所は、「君子は豹変する」を地で行くようなところがあり、あらたむるにいとまなしという感じなのはどこの国から見ても同じらしい。アメリカ合衆国の陸軍航空隊副指令のウィリアム・ミッチェル(1876−1936)などは、すでに1925年に「イギリスがいち早く空軍を独立させたように、アメリカも、陸軍、海軍、空軍の三軍制にするべきである」と述べたが、聞き入れられないので、「アメリカ陸海軍は、無能力者の集まりであり、国防に関して反逆的な怠慢を犯している。海軍は大艦巨砲主義を捨て、その余力を空軍へ回すようにしなければ、我が国の安全は期しえないであろう」と言い、ついに軍法会議にかけられたという。少年時代からの友人であったダグラス・マッカーサー以外誰一人として彼を弁護する者はいなかったという。そうして結局自発的な形で首になったらしい。いわゆる『ジョンブル気質』などと呼ばれる独特なプライド根性も、島国だからこそ生まれるものだろう。大きな長所であると同時に欠点でもある。日本も世界から見れば独特のところがある。それと同じだ。まるきり違っているが、両者とも極めてユニークだ。

アブロ「Avro」社とは、ローの築いた会社で、会社名は自身の名のアルファベット[Aliott Verdon Roe]によっている。アブロ・ランカスター爆撃機の長所としては爆弾搭載量が際立って多いという点で、爆撃機自体の重量がB29の半分以下なのに、爆弾搭載量はほとんど変わらないか、場合によってはより多く搭載できたという事がある。それで、総合的に言って、大戦中の名爆撃機と言えば、「ランカスター」のほかに、コンソリデーテッドB24「リベレーター」、ボーイングB17「フライングフォートレス」、B29「スーパーフォートレス」があげられるそうだ。イギリスが一機と、アメリカが3機で、枢軸国のはダメだったという。特に日本の重爆は、他国の軽爆にも及ばない爆弾搭載量で、何を考えていたのか今では理解できそうにない。日本ではB29が最も恐れられているが、上の4機のスターの中では一段格下の評価だ。意外と故障が多く、戦闘機や高射砲でもよく撃墜されたというし、防御力を奪われた日本上空でしか活躍していない。

イギリス空軍爆撃団指令のアーサー・ハリスの方針としては、「1000機飽和爆撃」を旨としていた。ちょっとずつ爆撃しても話にならないから、まとまった奇数が整うまで辛抱強く待つという作戦だ。この辺が島国根性の表れなのか。他国の影響をあまり受けないから、自由にいろいろな根性が形成される。日本と似ているが、せっかちな人のほうが多そうな日本人の島国根性とはまるきり異なっている。

こうして43年の3月1日からイギリスのドイツ空爆が始まった。準備が出来上がるまでずいぶん長く辛抱強く待つことができる国民性で、アメリカや日本だったら明日すぐやりそうなところだ。

7月末には、ハンブルク市に対する4回にわたる飽和爆撃、延べ3000機の出動で、8621トンの爆弾が投下され、民家32万戸が破壊され、5万人が死亡した。しかし、空襲後に半年足らずで降伏した日本とは異なり、ドイツはその後2年近く頑迷に戦った。空襲に対する防備を強化したかららしい。「イノシシ戦法」(ヴィルテ・ザウ)だとか「豚戦法」(ザーメ・ザウ)などというのだから、名前からしておもしろい。名前が古臭いのは、アルミ箔によるレーダー攪乱戦法(ウインドウ)に対する当てこすりだろう。高射砲の射程高度を落とし、それ以上の航空を飛行する爆撃機はサーチライトに浮かび上がったシルエットを肉眼で目視して戦闘機で撃破する作戦だ。おそらく日本から潜水艦経由でもたらされた後方斜め銃の使い方も相当の威力を発揮したという。本家の日本では戦闘機自体の速度が遅すぎてあまり役に立たなかった。ただうまく潜り込めたときは簡単に撃墜できたらしい。これによってイギリス軍はばたばたやられたというが、いったん決めた路線はなかなか変えられないのか、イギリス軍はひるむことなく爆撃を続けた。

最後のほうに、ドレスデン空爆の失敗について述べてある。これは多分全くイギリス人の粘着気質によるものだと思う。それくらいの仕打ちをされても当然なくらいに、戦争初期にはイギリスは打撃を受けていたのだ。原爆についても、概してアメリカは猛反対したらしいが、イギリス堅気の大統領の賛成で投下が決定した。新任のトルーマン大統領に強い権限があれば原爆投下は阻止できたかもしれない。しかし、大統領が陸軍長官(ソ連を何より恐れていたらしい)に命令されたことには疑いはなさそうだ。相当不愉快だっただろう。大した被害も受けていないのに、実行すれば後々大問題になるという事はすぐにわかる。どうしてアメリカがイギリスの憑依を受けなければいけないのか。

ドレスデン空爆は、1945年2月13日の夜から、14日の昼にかけて行われた。空襲は3回に分けて行われた。最初はイギリス空軍のランカスターが244機、13日午後10時15分だった。次が14日の0時30分、これもランカスターで529機。最後がアメリカ軍のB17が311機、14日の12時過ぎにちょっと遅れてきた。無防備都市で、高射砲や探照灯の類はないが、戦闘機を恐れてアメリカ軍には護衛のP51戦闘機37機が付いていた。この空襲で13万6千人が死亡し、東京大空襲の死傷者合計12万5千人を上回ったとある(ウィキの記載とはやや異なる。ドレスデン市の発表では死者2万人。しかし、これは市民の数だけかもしれない)。最もひどかったのは爆撃後の、米軍P51の機銃掃射だというが、これは憑依以外の何物でもなさそうにも思える。アメリカ人には祖国に対する恨みなどそれほどないはずだからである。東京大空襲の時と同じように、火災旋風が何日にもわたって燃え広がり、被害を大きくしたそうだ。直ちにドレスデン空爆に対する疑問の声がイギリス国内に広まった。「連合国が初めてナチスに対する攻撃に疑問を持った瞬間だった」と伝えている人もいたそうだ。与党の決定は抜けたこともしばしば伴う。

たびたび述べていることだが、ナチス政権が正当な選挙によってなされたもので、最初から独裁権力ではなかったことははっきりしている。それにピカソのゲルニカに描かれているように、本当にスペインが全くの無実であったかという事は疑わしい。ドイツ人の一部は確かに復讐心を抱いていたに違いない。それは中立国スイスに対しても同じことだ。かつてフランス軍はスイス傭兵を使ってドイツの地を荒らしまわったのだ。しかしそう言った遠い過去の話はさておいて、多くのドイツ人が憤慨しているのはナポレオンのフランスだろう。フランスに対しては徹底的な憎しみを抱いていたはずだ。その憎悪をスペインに転化したとしても不思議ではない。スペイン継承戦争(1701−13)で、スペイン王位を獲得したのはフランスのブルボン王家フィリップだった。いったん憎しみを抱けば、200年というのはそれほど過去のことではない。

人間の大いなる勘違いは、過去はだれにとっても同じことだというのがある。今の瞬間は人によって異なるのに、過去は固定されて万人にとって同じ物語だなどというのは大いなる幻想だ。

アブロ・ランカスター爆撃機 [ 鈴木五郎 ]
楽天ブックス
ドイツを崩壊させた英空軍機 光人社NF文庫 鈴木五郎 潮書房光人社発行年月:2006年11月 ページ


楽天市場 by アブロ・ランカスター爆撃機 [ 鈴木五郎 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『アブロ・ランカスター爆撃機』を読んで 森の散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる