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zoom RSS 「海兵隊コルセア空戦機」

<<   作成日時 : 2016/03/05 09:22   >>

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原著はもっとずっと長いそうである。アメリカ兵士から見た戦闘経過の記事という事で、大変興味深かった。人類の文明開闢以来、戦士は現代のサラリーマンの役割を長い間勤めてきたといえる。戦争とはそういったものだと思う。サラリーマンがライバル会社を蹴落とそうとしたり、挙句の果ては相手に憎しみさえ抱くのと似たようなものだ。

零戦を28機撃墜したアメリカ海兵隊のエースだ。米軍では、20機か30機撃墜すればもうそれで十分だと、強制的に安全な部隊へ転属される仕組みになっていたらしいので、筆者グレゴリー・ボイントンの28機というのは大記録だったと思う。コルセア戦闘機というのも、チャンスボート社の作品だというから、日本航空産業としては先生と戦ったという感じで、どう見ても懸命な行為には思えない。件のABCD包囲網などというものも、アメリカが最も行わなかったらしい。それを思うと、日本が考えている以上に米国は立腹していたはずだという事になる。

鈴木五郎氏の『撃墜王列伝』というのを見たところ、アメリカでは、1位がボングの40機、2位がマクガイアの38機、3位がマッキャンベルの34機で、30機以上は記載されていないが、たぶん4位ぐらいだろうと思う。アメリカ国内では、この原書は「第2次大戦を戦った戦士の私記としては、間違いなく最高のものだ」という評価が高いそうである。

ビルマ方面の防衛を受け持っていたが、太平洋戦争の始まりでは、大体において日本軍にかなう相手はいなかったそうである。スピットファイアーにしてもゼロ戦には太刀打ちできずとしているが、もしかしたらイギリス嫌いなのかもしれず、本当に英軍が敗北続きだったのかよくわからない。最初のほうに、オランダの船乗りは、占領されたドイツよりもイギリスを憎んでいたという話が出てくる。どうやら欧米の中でもイギリスは異色らしい。いわゆるジョンブル気質というやつが気に入らなかったのかもしれない。


最初のころは性能としては比較的平凡なカーチスP40に乗っていたという。サメの横顔を機体に描いた編隊だ。実質は米国の対日本義勇軍だが、表向きは中国義勇軍の形をとっていたフライング・タイガーズ(飛虎)に属していた。属していたといっても、かなりフリースタイルだったようだ。日本の偵察機はあまりに高高度を飛行するので、まったく相手にしてもらえなかったという事が書かれている。これなども、性能諸元などにばかり気を取られているとなかなかわからないことだ。

その後コルセアで活躍したのだが、コルセア戦闘機は翼が逆ガル型が特徴だが、プロペラが大変長くて、巡航速度で航空を飛行するときはエンジンの回転を極端に落とす必要があったという。そのため、航空母艦に着艦するときにも、プロペラを甲板にこすってしまう危険が付きまとっていたらしい。しかし、大きいプロペラをゆっくり回したほうが断然効率が良いのだそうである。逆ガル型の翼の非情な長所は安定性という事にあるのは一見してわかる。W字型の翼の両側の谷の部分に空気の流れがあるから、容易に横滑りしない。その代わり小回りはあまり利きそうにない。紙飛行機の翼にしても、こんな構造を持った飛行機はずいぶんまっすぐに飛ぶ。ではカモメと同じタイプのM字型の主翼にしたらどうかというと、これは直感的に見てひっくり返りそうな感じだ。

ボイントンのコルセア部隊とゼロ戦との戦いの動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=SNsIpuE20A4
零戦は大戦中期になると、海外の戦闘機には全く歯が立たなかったようなことを言う人もいるが、案外その海外ではゼロ戦の評価も高いようだ。

コルセア乗りになって、25機撃墜を果たしてから撃墜された。運よくゼロ戦の機銃掃射を逃れて、漂流しているところを日本軍の潜水艦に助けられた。殺すのも助けるのも同じ敵の軍人だ。潜水艦内では時折茶菓子をごちそうになったが、これが捕虜生活では最高のもてなしだったそうだ。食事に関してだと思う。清潔に関してはさかさまなようだ。いかなる捕虜収容所にあっても、捕虜を清潔にしておくという点では、日本軍はどこの軍隊よりも優れていたらしい。もちろん、体罰などは完全に国際法違反で、こんなのは最低の見本だった。しかし、捕虜も結構まめに入浴させていたというのは知らなかった。内地の収容所に入れられてからは、毎晩風呂に入るようなこともあったらしいが、毎晩だと今の刑務所より風呂好きではないか。当時の日本人はこんなに風呂好きだったのか。

捕虜生活20か月の間に、日本語は大体覚えてしまって、通訳もできるほど上達していたらしい。戦闘パイロットの名人になるような人は、とぼけているようでも、記憶が優れているのだろう。

作業のために収容所から出た際は、日本人の民間人は一様に親切で自分たち捕虜に声をかけてくれたり、たばこや食料を分けてくれたりし、好奇の目で自分たちを取り囲むなどという事は一度もなかった。しかし日本人の憲兵や警察官は、民衆が捕虜と親睦的であると、同胞を血の出るまで殴りつけるようなこともしたと書かれている。こういう話は聞いたことがないので、もしかすると筆者の記憶違いかもしれない。記憶などというものは簡単に書き換えられるもののようであるから、個人的な体験談というものはあまりあてにならない。かといって、記録はその場における記禄者の主観に大いに影響されるものだから、これも当てになるものではない。結局は参考程度のものにしかならない。つまり、過去の記憶の再生は想像に過ぎないものだという可能性も相当数ある。記録による証拠というのは、その時々の記録者の主観の記録に過ぎない。過去の歴史の正確な再現は不可能だ。

人間心理的には、過去と未来は全く異なるものだが、こうしてみると、再三繰り返し述べていることだが、どちらも想像に過ぎないものであって、同じものである。

終戦の日、収容所で腹切りをするという軍人が2人いたそうだが、翌日には腹や手首に絆創膏を貼って、普通に生きていたという。痛さで正気に戻って止めたのだろう。


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