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zoom RSS 信念と思い込みについて

<<   作成日時 : 2016/05/03 10:39   >>

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信念というものは外側からやってくるという話をこの前書いた。何者によってもたらされるかという事で解釈が異なる。神によるものが最強だが、神の姿や声が客観的に認識できるという人はほとんど皆無である。幻想という手段によってはっきり神が認識できるというものは数多存在しているだろう。より多くのものは他人によって信念をうる。他人の姿はおよそ万人に見え、その声は万人に聞こえる。岩や石の姿かたちが万人に認識されるのと同様である。

他人と違って、神や天使の姿が見えるものは極めてまれであるが、こうしたもののすべてが幻覚を見ているのだとは断言できない。それは自我の存在がいかなる他人にも確証されないのと同様であって、何ら不思議なことではないのだが、ただ社会で権威者とされるものが存在を認めないという事のみによって幻覚と断定される。神が存在しないという科学的な根拠はどこにもない。

それにもかかわらず、圧倒的多数の人間がかくも短絡的に目に映る外物を共通のものとして受け入れるという行為は果たしてどういうわけなのか理解に苦しむ。外部世界は他者とのコンタクトの場に過ぎない。内部世界のほうがはるかに質量ともに多いはずである。質量ともに圧倒的に勝る世界で、まったく無価値なものを求めてどうするのかと思うのだが、不思議なことにそうした人間が後を絶たないのだ。

もっとも身近なところにある不可思議な現象は言葉の習得というものだろう。語意だけという点に関しても、日本人が日常新聞を読むのに十分な数万語を成人までのどの段階で習得したのか、うまく説明できる理論などないだろう。覚えようと努力したつもりなど全くない。子供のころ習得したかと思うとそうではない。義務教育しか受けていないものの語意はごく少ないのが普通だ。ところが大卒になると、急に数万語になるのだ。生まれつき言語に興味があったというわけでもないはずだ。一日10語覚えるにしたって10年間で3万5千語にしかならないのだし、第一そう毎日未知の単語に接してはいないのである。そうするとどうしても、ソクラテスの想起説を思い浮かべないわけにいかなくなる。すなわち我々の頭にはもともと記憶がある(脳の内部にあるのか、外部にあるのかは問わない)のだが、それを呼び起こすには精神力が必要だというものである。この精神力は無意識からやってくるもので、教育を授かったという思い込みだと思う。

人間の魂は生まれてくる以前にいろいろな知識を習得しているものだが、誕生した瞬間にすべてを忘れてしまい、適当な時期にそれを時折思い出すという仕組みが、想起というものの正体だ。アーサー・クラークのSF小説『都市と星』の住民にもこういう仕組みが備わっていたのを思い出す。クラークが織り込んでいたのは想起説の露骨な表現だったのだろう。全然過去の経験のないオリジナルな魂というものの冒険譚の形の中にうまいこと織り込んだものだ。

精神界に属する諸物ともうまく接触しながら、物質界に属する者との分別がうまくできた人物の代表として、スウェーデンボルグなどという人を挙げることができると思う。霊界とコンタクトを取ることに対する障壁を取り除くものは強い信念だ。


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何か書いてあるのか知らないが、『信念の力』などという題名の本があるようだ。内界について触れているかどうかが気になるが、たぶん触れているのは例によって外界だけなのだろう。内界と外界を合わせたものが世界だという事に気が付かないのは実に間抜けだ。

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