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zoom RSS 『弱小国の戦い』を読んだ

<<   作成日時 : 2017/09/23 08:27   >>

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また光人社のNF文庫だ。飯山幸伸という1958年生まれの人が書いている。どうも戦時に関する知識はすべて書物から得たという感じだ。すべてではないだろうが、例えばゼロ戦の性能などに関する知識は紙面上の統計資料から得たものであって、航空力学の知識が特別にあるようでもなさそうなので、例えば平均人というのが存在していたという陥穽に陥っているといる危険性も多少はありうる。機体の個性により大幅に異なるのだ。微妙に異なるなんていうものじゃあなさそうだ。しいていえば、大量生産ができる工業国ほど個体差の少ない生産が可能だと思うが、現在でも同一機種でも製品による当たりはずれは相当にあることを考えると、当時はバージョンアップした製品が下位のものに劣っていたという場合がかなりあったのではなかろうかと思う。資料面から過去を臨む場合は、平均値という誤謬に引っ掛かりやすい。飯山氏の本は10年ほど前に『ソビエト航空戦』というのを読んだが、その時は戦闘機の話で、別に異色ではなかった。今度のもののほうが格段に読みごたえがある。大戦に至る経緯というものが垣間見えて、NF文庫の中でも秀逸の部類だろう。歴史本と比べて非常に廉価だ。これは戦争関連のテレビゲームのデータが廉価であるのと似ている。歴史でも、生業を離れれば、適当な価格に落ち着くのかもしれない。

弱小国として、オランダやポーランドをあげているが、ポーランドが小国というのには少々戸惑いを覚える。国土の大きさからしても、軍隊の強力さにおいてもである。過去にはしばしばロシアを侵略している。オランダにしても同様である。世界大戦がはじまる時点で小国であったというならまだしも、過去においても小国であったというなら、イギリスも小国であるという言い草もまた可能となってしまう。オランダが小国で通用するのは、国土が日本よりずっと小さいからではないかと思う。ポルトガルはともかくとして、スペインを小国などという人はあまりいないだろう。

オランダの次には、スカンディナビアの話が続くが、この辺になると中世からの歴史の話になって、光人社のこのシリーズは第二次大戦の話ばっかりだと思っていたが、かなり異色ではなかろうかという気がした。今まで光人社は25冊くらい読んだと思うがはじめての形式だ。13世紀ころの黒死病が蔓延した北欧3国について書かれているのを見て、戦争などよりよほど伝染病のほうが人類の脅威であったことをしみじみと感じた。太平洋戦争で日本人の兵隊がいくらやられたといっても、伝染病が原因でやられる人のほうが結局は多かったのではないか。今更ながらに思う天然の脅威であった。伝染病の蔓延がなくなったのはよいが、一方で清潔すぎる環境は免疫力をすっかり弱らせ、日本人の多くはわずかな量のO157などにもやられるしまつだ。もっとも、一昔前ならとても二十歳までは生きられないような人だけが過激な症状を呈しているのかもしれない。最近は28度で熱中症になってしまうような人がいるかと思うと、23度で長袖を着たりしている青年もいる。

ヴァイキングの時代を経て、北欧のスカンディナビアにはスウェーデン、デンマーク、ノルウェーが成立していた。フィンランド地域は12世紀以降ににスウェーデンに占領される。14世紀末には「カルマル同盟」の名手としてデンマークが勢力を握るが、スウェーデンが独立を図るようになり、1523年にスウェーデンが分離してしまう。1643年にはスウェーデンがデンマークを破り、形勢が逆転した。1645年のブロムセローの和議の結果、デンマークは東部の領土のほか、かなりの国土をスウェーデンに明け渡し、さらにスウェーデンはハプスブルグ家との30年戦争終結のウェストファリア条約でスカンジナビア半島の大部分とバルト海沿岸からラドガ湖とそのはるか北方までの「バルト帝国」を築くに至った。これが1658年のことである。しかし、その後は敗戦が続き1721年のニースタッド条約でロシア帝国に広大な領土を譲渡した。その間ノルウェーが次第にデンマークと対等に近いところまで国力をあげてきたという。スウェーデン国王は、ナポレオンのかつての部下であったフランス軍の将軍カール、ヨハン国王の下、中立政策と非軍事外交の方針をとることにした。この辺りはよく調べてみるとまた面白いかと思う。デンマークも中立の姿勢だったが、イギリスに攻め込まれ、ナポレオン側に着く。するとスウェーデンはイギリス側につき、また争いが始まった。スウェーデンは盛況な軍隊を以て、ロシア、プロシアとともに、1813年のライピツィヒの戦いでナポレオン軍を破り、翌年のノルウェー軍との戦いにも勝利し、これを以て交戦状態になった戦いとしては最後になったそうである。デンマークは、翌1815年のキール条約で、ノルウェー領を失うが、グリーンランド、アイスランドの所有権はそのままに保った。1848年のフランス2月革命をきっかけとして、スカンディナビアに模範スカンディナビア運動が押し寄せたことなども書かれている。フランス革命の市民運動が大戦のおおもとであっただろうということがうかがえる。民主主義の危険な面だ(*)。その後1905年のノルウェー独立までかなりスカンディナビアの歴史について触れている。
(*)○○ファーストなどいいようで駄目なところもある。民意など正確に反映しなくてもよい。そのための代表民主制だ。押し付けるようなところがあってもよい。独裁に近いところがあってもよい。その方が国は栄えるだろう。国民生活も安泰だ。独裁が放縦に陥る危険はほとんどないであろう。平等主義も駄目だ。男尊女卑か女尊男卑か、どちらでもよいが、男女平等というのがいけない。女性は社会活動を行うべきではなく、社長のように何もせず指令だけ出しているか、それとも一時期のようにしもべの状態にあるかである。先進国が一様に衰退気味であるというのは、行き過ぎた平等主義のためである公算が非常に高いのではなかろうか。

先ほどポーランドについての違和感を記したが、そのポーランドの歴史についても述べてある。1386年がポーランド・リトアニアの始まりだろうという。この連合は巨大であったとしているが、そもそもポーランドが9世紀ころにできたころもそこそこ巨大な連合体であったらしい。15世紀末には、北はバルト海から南は黒海、西はアドリア海から東はモスクワ近郊にまで達する大国家であった。さらに16〜18世紀には国民の1割が貴族層という社会構成を為していたという。そのためかどうか、大変な保守膠着性が産業革命以降急激な衰退を招いた。非武装中立で平和を維持するだけの大国は反故という名目で領土を削られ、1795年の第3時分割でポーランドは歴史から姿を消した。どうやら昔のポーランド王国と現在のポーランド共和国との間には名称以外の連続性はなく、別の国家という見解のようだ。そういう見方をしてもよいという政体の国家だった。ただしポーランド本国としては歴史を主張しているだろう。

バルカン半島がなぜ「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたのかについても簡単に書いてある。原因はロシアの南下らしい。それで、露土戦争の結果結ばれたサンステファノ条約にドイツが反対し、ビスマルクの思惑でベルリン条約の結果、マケドニアがトルコに返還となった。それでギリシャなどは面白くないというわけだ。

運命の1914年夏、軍のボスニアでの演習を観閲するためサラエボを訪れたフランツ・フェルディナント、オーストリア皇太子夫妻は6月28日、オープンカーで市内を進んでいたという。当時の状況を考えると、これは極めて危険なことだったという。サラエボには「反オーストリア」の過激分子「青年ボスニア」が潜伏しているからだ。暗殺されたことは知っていたが、オープンカーで危険な街中を見学とはいかにも不用心だ。何か意図的なものが感じられないでもない。何人かに狙われていたのかもしれないが、犯人はガブリエル・プリンツィプという20歳前の青年だった。

ハンガリー・オーストリアは間もなくセルビアに宣戦し、三国同盟を締結していたドイツもこれに準じたが、イタリアは同盟の趣旨に反して中立を保った。しかしこれは黙認されていたという。それどころか、連合国側について、結局同盟していたはずのオーストリアと戦うことになってしまった。同盟なんていうのはこの程度のものというのが世界の常識なのかもしれない。もっとも、期限切れが迫っていて、しかも更新の意志がないということを相手側が感づいたからかもしれない。ちょうど日ソ不可侵条約締結中であったにもかかわらず、領海侵犯したソ連の漁船を日本が拿捕拘禁したようにである。その時とは反対の反応が同盟側に起ったと考えればよい。どういう反応を示すかは実にその時の運だ。あのムッソリーニも1915年の9月に召集され、狙撃兵として前線に出た。彼は敵の投げた手榴弾を投げ返したことで瞬く間に有名になったそうだ。この時はヒトラーとは敵同士であったことになる。

大戦勃発の発火点ともいえるセルヴィアでは、1914年12月に南方の都市ニシュにおいて、「セルヴィアの戦争目的はセルヴィア人、クロアチア人、スロヴェニア人の解放と統一である」とする「ニシュ宣言」が発せられた。世界的に民族自立運動が盛んになったのは日露戦争に勝利した日本の影響と責任も大きいと思うのだが、そのことには触れられていない。この時僅かな軍隊を派遣したほかは、自国の戦時景気に酔いしれていたことが後々顰蹙を買うことになったのかもしれない。

当時は、防衛力強化による厳正中立が効果を発揮する時代であった。しかし、今でもそうかというと、それは疑問だ。筆者は有名な楽観論としてライト兄弟の「飛行機械は戦争の終結を左右するので、これが普及したら戦争は起こらなくなる」という誤解を引き合いに挙げている。あまりに速やかに戦争が終結するので、極限まで達すれば戦争は起こらないだろうなどという理屈らしい。しかし、無限などというものは現実社会のどこにもないのである。無限が妄想なのか、現実が妄想なのか、どちらかを選ばなければならない。私は、大概の人とは違うだろうが、内なる世界の無限が真実であって、現実社会が妄想であると思う。現実が妄想である以上、それに対する見解も任意に存在してしかるべきだ。一意には決定できない。

さて、「弱い防衛力が中立にとって安全」という考え方は、そもそもデンマークの左党の主張であったらしい。永世中立国ベルギーもこれをまねて、散々な目に遭った。そこでスウェーデン流の防備で固めた武装中立国のほうが現実的であることがわかってきた、というのが筆者の意見らしい。しかし、普遍的に通じる法則でもなさそうだ。武装中立を軍事国が尊敬している場合だけだ。非武装中立を尊敬している場合はそちらが優位だろう。相手の思考により世界の歴史は作られる。昨今は非武装中立を訴えるものを「お花畑論者」などと揶揄することがあるようだが、言葉に窮してそう言うしかないのかもしれない。しかし揶揄しているつもりで揶揄にはなっていない。大体想像する花畑は非常に堅固なものでありうるし、軍事物資のように枯渇する危うさは持ち合わせてはいない。おおむねお花畑論者は楽観主義のようにも受け取れるが、見ようによっては悲観主義でもある。時代背景が精神主義であれば、能天気だといえるのは武装主義者ということになるだろう。物質主義の時代には彼らのほうが一見懸命に見えるだけだ。愚か者と捉えられたら立場は逆転する。往々にして子供というものは楽観的に見える。右脳が活発だからだろうか・その理屈だと左脳が活発な大人は悲観的だということになる。想像力のある文学肌のものより、計算高い理学肌のもののほうが悲観的だ。コンピューター技術者にしろ、原発設計者にしろ、最悪の状況を想定して開発を進めるということを見ると、理科系の常識は悲観主義だ。福島原発事故の際の東電首脳部の対応がずさんだったのは、彼らが文科だったからとも考えられる。賢明に思われたいという人間は得てして理科を選ぶことからもそれはいえる。しかし反対に社会的洗脳を受けやすいのはむしろ右脳の方だろう。そこで世の中の雰囲気に合わせてしだいに人間は悲観に傾いて行くと推察される。

セルヴィアが、オーストリアハンガリーやドイツ、ブルガリアと戦えたのは、ロシアが後ろ盾となっていたからだが、そのロシアの犠牲はやはり連合国中最大であったそうだ。第1次大戦で動員したロシア国民は1500万人に達したという。国家が斜陽期にあったからかパッとしないが、ソ連時代になってもやはり犠牲者は膨大だ。フィンランド独立戦争時、エリック・フォン・ローゼン伯の愛機に描かれていた「幸運の青十字」がその後フィンランド空軍のマークとなったことも書かれている。軽快で足の速いソ連航空機を相手に10倍の敵機を撃墜した冬戦争時代の話と比較すると、東の方の日本軍の弱さというものが浮き彫りになってくる。「幸運の青十字」とは、色が青いほかはナチスのハーケンクロイツそっくりで、フィンランドでは「スワスティカ(*)」と呼ばれ、元来何かお守りのようなシンボルらしく、世界でもこのようなマークは様々な文明が用いていたらしい。wikiには、シュリーマンがトロイの遺跡の中に見出したのが鉤十字のマークであり、ナチスはアーリア人優位を示す共通のシンボルとみなしていたという。しかし、実際はアーリア人以外にも広く用いられていた珍しくもない記号だったらしい。とすると、ナチスのハーケンクロイツにしても例外ではなく「お守り」だったのではなかろうか。どうも現在伝わる歴史解釈にはいろいろと疑問が付きまとう。
(*)サンスクリット語のスヴァスティカ(幸運)に由来するという。

第一次世界大戦は1918年にあっけない形で終わった。多分戦場の兵士たちは信じられないという人も多かったのではなかろうか(*)。翌年からその次の年にかけて戦後の後始末が行われ、オーストリアは3国に分割され、ハンガリーとチェッコ・スロバキアが誕生した。ドイツは分割されなかったが、これは民族の統一が出来上がっていたからだろう。世界大戦とは言うが、参戦した国のほとんどがヨーロッパの国々であって、そのほかはアジアが2か国しか参戦していない。しかもそのうち日本は大戦景気をうる目的で参戦したような感じもする。ソ連は連合国であるにもかかわらず、領土損失の形となった。いろいろと将来に禍根を残すような問題解決であったらしい。ほとんどが列強国の勝手な取り決めの中、ギリシャだけが領土を拡大できたのだという。デンマークなどはドイツに50年前に奪われた土地のほとんどがドイツ領のままだった。住民投票の結果だというが、大衆操作などこの時代では今よりずっと容易だったろう。

(*)理由の一つとしてあげられるのがスペイン風邪の流行だった。戦争による死者よりもインフルエンザで死ぬ人が多かったのでは困る。戦争のために栄養不足が流行したのがたたったらしい。日本も影響を受けたが、ヨーロッパよりはだいぶましだったらしい。栄養失調というのがあまりなかった。

ウッドロー・ウィルソン大統領は、プリンストン大学の総長からニュージャージー州の知事を経て、1912年の暮れに大統領に就任した。彼の提唱したのが、勢力均衡から集団安全保障の概念だが、100年たってもまだ核保有が平和の維持に必要だと訴えるものが多い。多分、この時点ではウィルソン自身が国際連合が机上の空論に過ぎないということは自覚していただろう。それで党のアメリカは国際連合には参加しなかった。まずは話してみるだけという気持ちだったと思う。国際平和の高僧としては、カントの『永遠平和のために』(1795)というのが古くから知られているという。当然ウイルソンもこの本を参考にしていたであろう。しかし、時代の雰囲気はまだまだ実現不可能であったに違いない。カントの理想のごとく、永久平和をスローガンとして建国を目指す動きが社会主義運動であったが、ソ連が共産主義からアナーキーを目指す過程で結局はアナーキーどころか真逆の権力集中を招いて大失敗に終わったが、第1次大戦終了の時点ではかなりうまくいっていたようでもある。

世界大恐慌の影響のほうは、先進経済大国ほど統計的には大きくは出なかった。オランダでは平均株価が4分の1に下落した程度だったという。ベルギーに至っては2分の1程度に下落しただけだったという。現在なら多分生活にはほとんど影響のないレベルだろう。10分の1以下にまで下落したアメリカでさえ、富裕層には影響がなかったどころか、反対に以前より栄えたものも多かったらしい。あくまで平均が下落するだけだ。不況というのは100人が失業すれば、その物資を1人が受け止める社会だ。労働者に回す賃金を節約すれば、元以上に経済は回転するのだろう。

小規模国家の第2次大戦突入時の戦力推定というのも載っているが、どういう資料を参考にしたのかわからない。別々の資料かもしれないし、あまりあてにならない。ポーランドの兵力110万人、ベルギーの60万人、オランダの27万人、ギリシャの60万人、ユーゴスラヴィアの15万人に比して、ノルウェーの2万5千人、デンマークの6千6百人というのは少なすぎる。特にデンマークだ。国際連盟の集団安全保障を信じ切って、軍縮に励んでいたとある。それで慌ててナチスと不可侵条約を結んだが、やはり攻めてきた(*)ので、ナチがユダヤ人を差し出すように命令した時はヨーロッパで唯一逆らって、国内のユダヤ人をスウェーデンへ国中の船舶で逃がした。日本人には到底できない真似だと思いきや、ああいう状況になれば案外やるのかもしれない。デンマーク人の勇気を示すものというより、ナチスが如何に紳士的であったかを物語るものかもしれない。ヴァイキングというのは本質的にアナーキーで非武装主義だったのだろうか。通説とあべこべに平和主義だったのかもしれない。ただ昔から、親がだれでも構わないから国を親だと思っているのが、ヴァイキングの特徴で、これは日本人には理解しがたいと思う。近年日本の少子化が叫ばれているが、世界の常識でいうと、多産化は非嫡出子をいかに増やすかということにかかっているようである。
(*)3万8千人規模のドイツ軍に攻め込まれ、2時間で降伏したが、戦闘はその2時間後に終わったそうだ。この戦いで14名のデンマーク兵が戦死したという。ナチスの占領も最初のうちはずいぶん穏やかなものだったというが、負けが混んでくるとそうはいかなかった。いらいらしてくると人が変わるのはだれでも同じだ。女性にとってはナチスは特に紳士的だったらしく、後のアメリカ軍の統治下よりもずっと好ましかったと証言しているものも多いようだ。

ナチスのポーランド侵略についても、恫喝というような単純なものではなかった。ポーランドのドイツ側の要求を完全無視するような態度にヒトラーが業を煮やしたとする意見を採用している。まあ、そういう意見がある以上そちらが本当かもしれない。出来るだけ単純明快に善悪を割り切ろうというのが、戦後の世界秩序回復のためには必要であった。だからどうせ世界戦争に関する通念は物語化した創作を多分に含んでいるものだろう。よく言われるのが二正面作戦を選んだナチスの話であるが、そのようなことを自分で選ぶはずがないであろう。ドイツ軍としては、ポーランドに先に攻められたので反撃したという既成事実を作り合上げるために、強制労働の囚人にポーランド兵の軍服を着せて射殺したうえで国境近くに捨てておくという工作をしたようであるが、今となっては全く問題にもされていないようだ。

実際に戦闘が行われてみると、航空戦以外は全く押し切られてしまった。従来は「航空機は一日で壊滅」のようなことが言われていたが、どうもこれも違うようだ。ポーランドの戦闘機はドイツの爆撃機よりも遅い旧式であったが、これが割と多勢のドイツ軍とよく戦ったという。航空戦だけは一方的に押し切られはしなかったようだという。速度が遅い旧式なので、あらかじめ敵の位置を予想して迎撃または奇襲を繰り返していたというが、航空戦においては作戦がいかに大事であるかということかもしれない。それでも全体として急速に減少したポーランド軍を相手に、ドイツ軍は同士討ちを警戒して思うように戦うことが出来なかったようである。ポーランドには強制収容所があったため、ポーランド国内で死亡した市民は第2次大戦中、603万人に上ったという。ほとんどがポーランド人とユダヤ人だったらしい。

ドイツ軍の侵略占領はまず中立国から始まったのだが、中立国で防備も弱体だから簡単に攻め落ちたので、攻める方の被害も少なかったかというとそうでもなかったらしい。ことに爆撃機や輸送梃など空軍の被害が大きかったという。これはギリシャ軍にしても思ったというが「イタリア軍なら撃退できてもナチスがやってきたら勝ち目はない」というのが普通の考え方になっただけで、ナチスが強かったのはヒトラーのはったりのおかげで、敵が勝手にコチコチになったからなのかもしれない。確かにナチスの武器は強力ではあったが、故障が異様に多かったらしい。チーガーとかパンサー戦車などにしても、性能だけ見ればソ連の戦車群より強力だったかに見えるが、ソ連製はほとんど故障がなかったらしい。やはりヒトラーの気迫というものが軍隊に与えた士気の高揚効果だろう。

筆者はノルウェーのヴィクトン・クヴィスリンクという政治家が、ヒトラーとよく似た性格の持ち主だったことをあげているが、イタリアのムッソリーニなどにしても、彼らが例外的な存在だったというよりも、実のところあの時代ならどの社会にも登場しがちな、むしろありきたりの人物だったのではあるまいかという思いを強くした。それを現在ではことさらに変人のように扱っているのかもしれない。ギリシャのイオニアス・メタクサス首相もナチスかぶれ。オランダ民族社会主義運動のアントン・ムッセルト。ベルギー政財界の不正を糾弾する「レックス運動」のレオン・デグネルなど。ヒトラーナチスのやったことは、富裕層から資産を奪い貧乏人にふるまうという鼠小僧のような真似が基本で、そのために必要だった暴力がエスカレートしたものらしい。だから同調者はいただろう。ムッセルトなどは1946年に銃殺刑になっている。銃殺刑に処するほどの問題だったろうか。ヒステリックな対応だったようにも思える。まだまだ戦後75年くらいではナチスの優れた点を語るべきではないのだろう。150年もたてば、ナチスの社会福祉が世界の先鞭だったくらいは評価されるだろう。以前、J.F.ケネディとヒトラーの類似性について話したが、そのケネディが、ヒトラー氏の数か月後に「彼は非常に魅力がある。歴史に残るに値する重要な人物だ。」などという日記を残しているそうだ。まあ、ケネディ一族というと、ちょっと狂いの一族だから、平均とはかなり離れている。

読み終って、太平洋戦争のはじめのころのベテラン兵たちは意外と自由で上官のいうことなど必ず聞くとも限らなかったのではないかと思った。規律正しさというものは、兵隊を一般人から無差別に採用するようになってから生まれたものかもしれない。一般人なら暴力で封じ込めれば羊のように従順にさせることなど簡単だ。そうしてその従順さが現在にまで続いているのかもしれない。もしそうであったとすると、歴史で習ったことなどいよいよまやかしだ。まあ、学校教育などというものは大体そういうものだが、それでも社会通念よりはましだ。


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