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zoom RSS 『ガダルカナルを生き抜いた兵士たち』を読む

<<   作成日時 : 2018/09/23 09:19   >>

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読み終って、つくづく歴史というものは勝者の都合の良いように後になってまとめたものであることをつくづくと感じた。過去のことは永久にわからずじまいなのであるから、戦争のような人々の感情が入るものほど後になってからの創作の割合がずいぶんと多くなるのだ。だから歴史教育に通じている社会科の教員など程史実に残された資料を信じ込んでいる傾向がみられるが、それらの史料は幾分創作物語に近いものなので、彼らの言い分が絶対に正しいとは毛頭いえなくなるのである。私も最初のうちは国際法というものができて以降侵略主義が否定されてきたものと思ってきたのだが、どうも戦士たちの行動を見ていると、果たしてそれは現在から見てのご都合主義だったのではないかという気がしてきた。社会通念では、まだまだ戦争は経済上の取引と何ら変わりはなかった時代であったようである。国際法の理念というものが世界に浸透するまでには少なくとも5世代はかかるものだろう。100年以上だから、早くても戦後になってからだ。その間は「グレーゾーン」だろう。「侵略」というものが完全悪になるまでに経過した時間というものを考慮しなければならない。それは過去においては野心と同意義であって、決して悪とはいえなかった。だいたい、侵略の定義というのが不可能なのであって、それは再三語っているように、大きさのあるものは凝縮した固定的な視点を持つことが出来ないからでもある。

歴真に残る大帝国といえば、ローマ帝国と中華帝国の二つしかない。どちらも侵略を繰り返して巨大になったものだが、後者の方は何とか生きながらえて今日まで来た。いったんは青息吐息だったが、ようやく息を吹き返すと、今頃になあって昔日の侵略による版図拡大を思い出したのか、あちこちで侵略を繰り返している。他国から見れば侵略だが、自分ではそう思っていない。自国の領土だと思っているからだ。そのように侵略などという言葉は非常にあいまいで意味をなさない。

ガダルカナルというのは南半球にある。オーストラリアの北東にあるので、もともとオーストラリア軍が少人数で警備していたが、飛行場を作るのに絶好の島だというので日本軍が注目した。昭和17年3月、横浜航空隊所属の偵察機が発見して、わずかな勢力の豪州軍を追い払ったという。5月3日に海軍が先遣部隊を派遣したそうだ。ガダルカナル島の北のフロリダ島にある小島ツラギにおよそ800人の守備隊を派遣したらしいが、武器らしい武器といったものは大して持っていなかったらしい。小計1580名が輸送船でガ島に到着したのが7月6日のことで、ミッドウェー海戦でほとんどまぐれで負けてから後のことである。1580名のうち、ただの民間からの軍属(作業員)が1350名だった。軍人は230人しかいなく、こんなところを責められたら一巻の終わりだ。ブルドーザーのような高級な機械はアメリカにしかないので、日本は手作業で飛行場を作らなければならない。

ガダルカナルとは、ずっと前にも書いたと思うが、アラビア語風のスペイン語で「グアド(川)+アル+カナル(運河)」というスペインの地名。

米軍は8月7日にガダルカナル島に上陸したようだが、ツラギ上陸は失敗したため、翌日となったらしい。「水際撃滅に成功した少数の例の一つであり、その最初のものであった」と、防衛庁史料にあるそうだ。

すぐに日本海軍が反撃の行動を起こしたが、さっぱり地上に変化の起こる兆しはなかった。8月8日の深夜に行われた第一次ソロモン海戦では日本が圧勝したのだが、もともとは海軍が始めたガダルカナル基地なのに、肝心の輸送船は無視して勝手に帰ってしまったらしい。ミッドウェーでの敗戦がなかったらどうしていたかわからない。陸軍側としては不満もあったような感じであるが、この時点ではまだ簡単に奪取できるものと考えていたらしいところもある。陸戦では負けたことがなかったという自身もあったようだ。

今ではガダルカナルの敗因は戦力の逐次投入にあるといわれているが、どの辺が逐次投入なのかよくわからない。逐次部隊を集めて、攻める時は一気に攻めるということをやっているようにしか見えないが、結果としてゲリラ戦のようになって個別攻撃されたということだろうか。最初に上陸した一木支隊(*)は900人ほどだったというが、それは米兵を2000人程度と見積もっていたかららしい。次に上陸した日本軍も、総勢数千人というもので決して少なくはない。一木、川口支隊と合わせて、7000名とも9000名ともいう。これは中止になったらしいが、次には3万人の派兵を企てている。だから何が逐次なのかよくわからない。食料などは当然ながら逐次投入をやっている。
(*)一木第一支隊などといわれているが、最初から「第一支隊」などと呼ばれていたのかどうかわからない。連隊の先遣隊で、916名のうち840名が戦死した。8%強が生き残ったが、全滅ということになっている。こういう表現もかなり紛らわしいものがある。全滅とか玉砕などというと、「一人残らず」という印象を持ってしまうが、結構生き残って捕虜になったりしていたものが2割くらいあったりする。今時の定義でいくと全滅とは軍事能力がなくなった時とあって、7割残っていても全滅という場合があるらしいが、そういうのは気力の問題だろうとも思う。8割やられたとしても士気が高く気力がみなぎっていれば、やはりその部隊は恐ろしい戦闘能力を保持している。

まあ、兵隊の数が大きければいいかといえばそうでもないので、1人の兵隊を1000人が取り囲んで攻撃すれば敵は全滅するだろうが、味方は同士討ちによってその何倍もやられるだろう。ゲームのようにはいかない。大体10倍を超えたら数が多すぎて身動きが取れないと思う。


動にもわからないのが、ガダルカナルを撤退した兵士たちが骨と皮ばかりで何か月も過ごしてきた後に、いきなり握り飯を食べても別段なんともなかったようなことである。終戦により捕虜たちが解放されたその日の夜または数日後に多くのものが死亡してしまったという。現在これをリフィーディング症候群といって、低リン血症による心不全や意識障害とされている。ところが日本軍の戦争体験者の記録にはそういうことはどうも書かれていないようなのだ。海外の戦争物には書かれているから、これも何か気力のようなものと関連性があるのかもしれない。終戦で病院に収容され、ほっとして食事をむやみに取ったら途端に死亡したという日本兵士は多いらしい。日本軍は対処法を知っていたので、わざと栄養のない握り飯を供給していたのかもしれないが。少なくも日本は秀吉の兵糧攻めの時点でこのことは知っていたので、なぜわざわざ死を招く栄養十分な食事を病院側が与えたのかが疑問である。そもそもバタバタ死んだということ自体嘘なのかもしれない。昆布とかわかめのエキスをしみこませた握り飯ならそんなことにはめったにならないのではないか。欧米人のような糖分たっぷりの栄養食でその確率が増すのだろう。


米軍の記録によれば、海戦史上、キスカ及びガダルカナルからの日本軍の撤退ほど巧妙なものはそのたぐいがないそうである。見事に欺かれたそうだ。11700名が撤退したが、糖の日本軍でさえも進撃のための一時撤退だと信じ込んでいたらしい。撤退のために750名の兵士がガダルカナルへ送られ、遙か当方では日本軍の潜水艦が大部隊を装ってしきりに電波を発信した。もちろん彼らは撤退のことは知らない。2月1たちから7日までにすべてが撤退し、増派された750名の生き残り300名も帰還した。

完全撤収から18日後の昭和18年2月25日、ニュージーランド・フェザーストーン収容所で日本兵捕虜暴動未遂事件が起こっている。ガダルカナルのフラフラの陸軍兵が海軍捕虜の暴動計画に反対し、あわや同士討ちとなろうかという寸前に、海軍の密告により事態収束。このニュージーランド兵の収容所では日本兵士のちょっとした労働作業の命令もあったらしい。強制労働ではないがそれに近いものだったらしい。まあ、連合国といっても様々だ。10月8日にはニューカレドニアのヌーメア収容所でも、日本兵捕虜の一人が射殺されたことをきっかけに海軍が暴動計画。またしても陸軍側は猛反発。軍人精神云々を持ち出すなら捕虜になる前に自決すべきであって、ガ島戦の経験がないからそんな無駄な計画を企てるのだという。これも海軍側の密告で2日前に発覚。海軍側は23名ほど、陸軍側は5名ほど自殺したらしい。ヌーメアに送られたがダルカナルの日本兵捕虜は61名もいたという。完全撤収に取り残されたものも相当混じっていたようだ。海軍捕虜もガダルカナル付近でとらえられたものらしいが、次第に元気溌剌な海軍将校の数が増えてゆき、最終的には200名ほどになったらしい。もっとも果たしてどういう状態の敵が捕虜で、どういうのと戦うのかさっぱりわからないが。


ガダルカナルというとイメージが悪かったが、アメリカでは撤収の鮮やかさが評価されていたとは思わなかった。ウィキには「ケ号作戦」として載っている。本書の記述とは若干異なる。数が一致しないのは、民間の軍属を勘定に入れるかどうかというものだろうか。真相はわからないどころか、過去などというものは点の様に存在するものではないのであって、再構築は不可能だ。昨日起こった殺人事件の真相さえ解明できないというのに、なぜ秘密裏に行われたはるか以前の戦争状態が特定できるのであろうか。これこそが真相だと得意げに語るものが一体どこまで本気なのか見当がつかない。

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