『真珠湾の日』

半藤一利氏の本だから常識的なことが書かれているのだろうと思っていたが、どうもそうでもないような書き方である。現在でも健康食品の広告などによくみられる手口を思い起こしてみれば、過去の記載が如何にあてにならないかということがわかる。無効例を隠して有効例だけを集めれば、いくらでも現実離れした記述が可能になる。多数派は常に虚偽の方を好むということを踏まえれば、常識とは虚偽に他ならないということの方がありそうな話ではある。まあ超エリートのやることだからミスはないに違いないというのが当時の常識だったのだろうか。特に真珠湾をやった海軍などは何事も海軍兵学校時の成績順でその後の一切の出世が決まるというお粗末さであって、これは現在の学歴至上社会とあまり変わるものではなかったらしい。勉強が出来ればその後もよいかというと、どうも違うようだ。閣僚たちのやることを見ていてもそうだ。東大を首席で卒業して、IQも160とか170あるという連中がなぜ平均以下の事しかできないのであろうか。まあ、これとよく似た例は巷では医者連中に多く見受けられるようで、これも不思議な現象である。正し医者のIQは政治家ほど高くはないようだ。


現在ルーズベルトは日本軍の奇襲攻撃の暗号をすべて知っていたとする意見が多いのには反対らしい。暗号解読というと、無線暗号の解読ということになるだろうが、真珠湾奇襲作戦には一切電報は使われておらず、すべて文書なのだそうだ。まあ、インド洋の戦いのように暗号を真に受けたために反対に負けてしまったという例もある。それに多分海軍は日本軍の暗号を解読していただろうが、それを大統領に伝えたかどうかはわからない。機密事項が漏れるのを恐れて民間人には教えなかったとも考えられる。国民にじかに放送することが多い職業だから、変に口の軽い人だったりすると困る。口が堅い人であっても、日本軍の奇襲が中止にでもなったら、また暗号の解読作業を始めることになって面倒だ。軍部内の機密にしておいた可能性のほうが大きい。そう一枚板でもなく、むしろ政府の失策をあざ笑うようなところがあったのかもしれない。それは日本も同じであった。イギリスでもフランスでも似たり寄ったりだったろう。

ルーズベルトは、たぶん後世に偉大な大統領という名を残したかったのだろう。マッカーサーなどに言わせると、名誉のためなら平気でうそをつくような性格だったらしい。大衆は信実よりも嘘の方を信じ込むものだから、あんなに人気があったというのも頷ける。それで大衆が出来るだけ信じ込みやすいような筋書きをいくつも拵えた。未来に関する様々な見積もりの中から、当たったものだけを大々的に表明すれば、さも自分が偉大な預言者であることを見せびらかせる。真珠湾奇襲に関する預言もその一つに過ぎなかった。お世辞にも性格がよい人とはいえなかったようだが、そんな人がいまだに大人気を博しているのだから、実に世の中いい加減なものである。

米国がパープル暗号をすべて解読していたことはどうやらはっきりしている。解読に成功したのはウィリアム・フリードマン(1891-1969)という人だ。しかし真珠湾奇襲のことなど、外務省の暗号には何も書かれてはいなかった。軍事用の暗号をすべて解読していたというのも、その後の米軍の活躍が超劣勢の日本軍相手にしてははかばかしくないのも何かおかしい。まあ、今時の情報時代を考慮すればで、当時は暗号を解読したために一方的に敗れたという例もあるようだ。

日本陸軍の方の暗号はほぼ完ぺきなもので、終戦間近になってもほんの短いものだけがかろうじて解読できたらしいが、全然情報能力というものを軽視していたので、さっぱりその力を情報戦に生かすことはなかった。日本陸軍はイギリス軍やアメリカ軍の暗号さえ解読していたが、それらも戦術に応用しようとは概して行わなかったともいうが、はっきりしない。反対に海軍の暗号は極めてお粗末なものだったらしい。


さて、対米英戦争がやむおえぬ必然となったかに思われだしたのは1940年(昭和15年)9月27日のことであったとしてもそう間違いでもなさそうである。日独伊の三国同盟締結の日だ。これでイギリスとの戦争状態は自動的に行われたのであるから、そのイギリスを全面的に支援しているアメリカとも大戦争になることは決定的になったといえるわけだ。2週間後の10月、山本五十六大将は、「これで東京大阪は3度丸焼けにされ、自分は長門の艦上で討ち死にするだろう」といっている。すでにアメリカは日本と戦う腹を決めたらしく、半年前の5月には太平洋艦隊の主力をハワイの真珠湾に常駐させることを公表していた。10月には日本の紫暗号を解読して日本のたくらみを把握していたのだから、もうあまり文句もはっきり言えない。そして同年11月13日にイギリス軍のタレーラン奇襲攻撃がおそらくヒントとなって、真珠湾奇襲の着想を抱かせたと、半藤氏は見ている。これにより「米海軍および米国民の士気を阻喪せしむる」以外に必敗を逃れる道はないとした。

海軍軍令部は山本の作戦に猛反対。翌16年9月に行われた図上演習でも、さっぱりうまくいかなかった。これが10月19日には突然山本案が採用されたのだからなんだかわからない。それで山本スパイ説まで唱えている人もいるらしい。しかし、最後の最後まで来て山本五十六の期待していたのは、天皇の「NO!」の一言であったそうだ。しかし天皇陛下は「やらねばいかんのかね」といっただけだった。律義な東条は連日のように宮中に参内し「戦うなら兵力の格差の小さな今しかない」と試算していた。日中戦争で疲弊していたとはいえ、当時の日本は、明治以来研究と演練を重ねて、これで勝てると海軍が絶大な自信を持つようになった「七割海軍」に達している水準であった。このまま放置していれば、2年後には5割、3年後には3割の戦力になってしまう。対米7割強の戦力のある今を除いて戦機はない。もっとも山本五十六にしても、なぜ水雷屋の南雲中将を解任して、航空戦を理解している山口少将を後釜につけなかったのかという疑問が残るが、もし山本五十六の思うままに采配が振るえたならばまずそうしたであろうから、ここにも何か裏の事情があったのだろう。

裏の事情といえば、話はさかのぼって近衛内閣が責任丸投げで総辞職などと本書にも書かれているが、ここにもやむに已まれぬ深い事情というのが隠されているようにも思える。中国からの軍事撤退を目指す近衛内閣に猛反対する軍部との軋轢だ。たかが内閣ごときに統帥権をうんぬんする資格などあるわけがないと軍部に決めつけられてしまってはどうもこうも身も動かしようがなかったとも考えられる。

面白いのは、昭和16年11月20日の時点で、ハル国務長官が野村大使と来栖氏の前で「アメリカ国民は、〈ヒトラーが世界の半分を支配し、日本が他の半分を支配する〉協約を結んでいると信じている」と語っていたことだ。そういう風に思われていたことは本当かもしれない。アメリカとしてはなんとか日本と妥協したかったらしいが、中国の猛反対があって結局ダメになったという。アメリカが民国政府にそれほど責任を感じていたとは思わなかった。

日本時間の11月23日の昼下がりにハワイ攻撃部隊全30隻が択捉島単冠湾に集結していた。給油艦が7隻だから、23隻が軍艦ということになる。24日の昼にハルは日本の要求を受け入れ、3か月間だけ平和状態を現出しようと、再び4か国大使と話し合うが、話を聞いてくれたのはオランダだけで、イギリスとオーストラリアはとてつもない無関心さであり、中国に至っては信用できないの1点張りで、ひどく失望したのだという。ドイツもこのころ日本がソ連を責める意図がないことにえらく失望していた。ソ連を挟み撃ちにすれば必ず降伏させられたという。蘭印どころか、アメリカに攻め込むらしいという情報を得てさらに失望していたらしい。

それでも、25日にはハルは陸軍のスチムソンと海軍のノックスに3か月間の準備期間を設けるため、日本をおとなしくさせる計画への同意を取り付けている。さらに同日の軍事会議では、大統領自身が、日本は予告なしに奇襲攻撃をかけてくるだろうから、例えば来週の月曜日12月1日にでも攻撃してくるかもしれない」といった。問題はどうやったらできるだけ被害を出さずに日本に最初の一撃を行わせるかということであった。そのためには3か月という期間が必要だと、ハルは考えていたようだ。ルーズベルトも「情勢が有利でない以上、待つより方法はあるまい」ということになったそうだ。現実は3か月後にはドイツも敗退しだしていたので、戦争も起きなかっただろう。

それで25日の夜には、重慶を犠牲にして日本との石油輸出解禁は決定的になったかに思えたが、突然翌日にそれが取りやめになった。この急変は謎なのだという。チャーチルが中国の崩壊を望まなかったともいうが、そうするとルーズベルト大統領か、ハルより身分の高いものに動かされたようである。しかしこの前後の記録はどうも明らかではないようだ。半藤氏は、旧来の一般的な説は、ルーズベルト大統領が陸軍のスティムソンに、日本軍大輸送隊が上海からインドシナに向けて南下中との報を受けてからだというが、果たしてこれが昔の常識だったかというとどうもそうした気はしない。真珠湾奇襲の話となると、決まったように「ハルノート」から始まるばかりで、ハルが日本との戦争回避に積極的であったという話はまず聞かない。ごく戦史に詳しい一部のもののうちわでの常識であったものと思う。「大衆は常に間違っている」の公理にたがわず、ハルはすっかり極悪人扱いにされているというのが巷にあふれる勧善懲悪物語である。だとすると真実はこの逆であったという公算が大きい。

せっかく交渉案がまとまりかけたところへ、まったく一貫性のない翻意にすっかり嫌気がさしたハルは、早速その翌日交渉決裂のノートを日本大使館に提出した。日本はこれを最後通牒だと受け取ったが、どうということもない覚書だとハルは回想しているらしい。まあ、その辺の引き出しにあった他人の作ったノートを出しただけだからテキトーなものでしかなかったのかもしれない。こんなものを引き出して外交の種にしようとするのはなんとも投げやりな国務大臣である。アメリカ時間の11月26日の午後だった。日本の戦争指導部は「これぞ天祐」などといって大喜び。反対に外相の東郷はすっかり落ち込んでしまったという。真相は吉田茂が改装しているように、「ハルノートを最後通牒だと騒いでいるが、あれは重要なる外交文書ではあっても、最後通牒などではない」というものだったに違いない。『もはや我慢の限界』と勝手に思った日本人の心が最後通牒だと信じ込ませたものなのだろう。

アメリカ海軍の中でも「ハルノート」のことを聞きつけて、さっそく日本軍征伐に出かけた血気の多い機動部隊があったそうだ。見つけ次第先制攻撃をかけるという。そんな命令は出していなかったのはもちろんだが、領海侵犯なのだから撃沈してもどうせ正当防衛かなんかだ。大体敵対関係のある国の軍艦が自国の領域に入ってきたら即攻撃するのが軍人の常識だろう。時々真珠湾奇襲前に米国が日本の潜水艇を撃沈したから反則だという人がいるが、米国の領海だから法律上別段何の問題もない。機動部隊の司令官はあのハルゼーで、空母はエンタープライズ一隻だった。早速真珠湾を後にしたが、見つからなかったとあるが、ウィキにはこれと異なる話が書かれている。

攻撃側の空母赤城では一次攻撃中止が決定的になったというので、日本に帰って皆で酒を飲もうという話になってきていたところへいきなりでんぐり返しのような情報が入って、当分酒は飲めないということになった。その代わり散々重ねてきた猛訓練の効果が試せることになって大喜びだというのが軍人魂であるらしい。

日本の方でも、南方の油が手に入った所でどうやって輸送するのかを正す段になると、タンカーをやられることまで東条内閣というのはよく考えていなかったらしい。慌てて引き出したのが第一次大戦でのイギリスの例で、毎年10%のわりというのを考慮した。実際はもっと断然やられたわけで、東条氏の試算では3年後には大幅に増えるはずが、現実にはゼロになった。戦艦大和などは停泊しているだけで油食いだったから、沖縄特攻などやって座礁して砲台作戦となったわけだ。

米国の情報筋がつかんだ日本軍の軟化は「取り立てて大した軍情動ではない」とされていたらしいが、日本にしてみればこれこそが本命で、攻撃日を12月8日としたのも、このころ太平洋からマレーへ吹く季節風のためであって、輸送船団をこの風に乗せるのが目的だったという。当初は開戦の翌日に宣戦布告する予定であったが、どうも宣戦布告の後に開戦した方がよいと天皇陛下などに言われたらしい。富国の前に開戦しても問題はないという風潮であったとすれば、いよいよもって「真珠湾奇襲は卑怯なだまし討ち」などというのは後講釈のデマだ。東郷外相などは、これは自衛のための戦争なのであるから宣戦布告の必要はないと終始考えていたらしい。領海侵犯した他国の軍艦を掃討するのに、いちいち宣戦布告の必要がないのと似たような理屈だ。それに、東京裁判でも一人だけ、「日本に加担するわけではないが、日本は無罪だ」と主張しているから、実際当時の社会状況においては別段異常でもなかったのかもしれない。

米新聞界の長老ハーストはサンフランシスコの新聞に寄せた時評の中で「日本が米国に戦いを挑んでいるとみるのは誤りである。世界第3番目の上顧客である日本との貿易を断絶したのは米政府ではないか。日本は米国に何ら差し出がましいことをせず脅威を与えていない。」と開戦前に語っていたそうだ。これを見ると、当時日本がそう悪童卑劣であったなどという印象は受けない。大騒ぎしていたのは、世界情勢を冷静に見ようとせず自分自身の利害を中心に見ることしかできない習性の中国国民政府位のものでしかなかったとも思えてくる。シンガポールなどは大戦艦ウェールズとレパルスの到着で「これで奴らはアメリカには手出しできるがアジアの盟主となったイギリスには手が出せまい」と安心しきっていたらしい。どうもイギリスはこの段階になってもアメリカより強大だと思っていたようだ。

太平洋戦争勃発時、真珠湾攻撃に従事した航空隊員の一人は「この作戦では俺はもう生きて帰らぬつもりだ。帰ってきたくないんだ。全弾射ちつくしたら、敵基地に自爆する。もう生きていたくないんだ」とつぶやいたという。戦闘員のどれほどがそういう心持を抱いていたかは知らないが、当時の日本の状況を考えると、決して少なからずそのようなもの思いを抱いていたのではないかという気もするのである。

空母エンタープライズ一隻で日本機動部隊を攻撃しようと躍起になっていたハルゼイ少将は7基の索敵部隊をすべてオアフ島の南方に向けた。もしも北を索敵していたなら、日本軍の釣果は空母一隻がおまけについたかもしれない。何しろベテランぞろいだから、米軍の空母一隻などでは歯が立たなかっただろう。敵の来襲におびえていたのは南雲長官位のもので、ほかのものは来襲があっても軽く叩き潰せると考えていたようだ。

当時読売新聞の論説委員だった清水幾太郎は、真珠湾開戦を聞いて、「やっと便通があったという感じ」だったと述べている。「便通から悪性の下痢になり、脱水症状に陥り、終には死に至るという危険を遠くの方に感じながら」という。後々どうしようもなくなるということが十二分にわかっていながら、わざわざ可能性の低い期待にかけるというのが大方の人の人生だ。私には「劣等民族とさげすまれてきた黄色人種の日本人にもこれくらい奇抜な作戦が煉られるのだ」という世界の称賛を受けるという喜びが真珠湾奇襲攻撃には秘められているように思えてならない。山本五十六が長いこと日本の誇りであったことにはこういう意味合いもあるのではないか。宣戦布告さえ手違いになっていなければいまだに日本の誇りになっていたかもしれない。日本人にとってはノーベル賞級の誇り高い作戦計画であっただろう。今当時の様子も顧みずに、「史上最大の愚策」などといいはばからない人がいることにはほとほと閉口する。それは昨今の欧米思考、グローバリズムというものにすっぽりはまった東洋の魂というものを失った思考だ。

こうした心意気を半藤氏は評論家の中島健蔵の「ヨーロッパ文化というものに対する一つの戦争だと思う」という言葉を紹介している。亀井勝一郎は「かつてペリーによって武力的に開国を迫られたわが国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである」と述べていたそうだ。真珠湾奇襲は卑怯なだまし討ちなどではなく、復讐だったということは念頭に置いておくべきだろう。亀井勝一郎も、かつてマルクスエンゲルスの思想にあこがれたひとりであった。そうして現在とは正反対に多くのものにとってソ連は理想国家であり、希望の国であった。そうしたことを思うと、なんと世代ごとに概念は変化するものかという感を強くする。手のひらを返すように正反対の思想が王道となる。実に無定見である。

日本の場合は人種差別による迫害への復讐だったが、ドイツの場合は同じアーリア人種のなかでの迫害に対する復讐戦争であった。ドイツ自身が非アーリア人種を軽蔑したので、復讐というイメージが打ち消されているが、こちらの方が完全な復讐である。


歴史の解釈は人の数だけあるといってよいような話の一つで、それは過去の事だけではなく、現在であってもそうである。過去と現在は同じなのだということにはなかなか思い至らない。というよりも、現在など人間には把握できない。複数の人間が見ている共通した現在はすべて過去の事象である。ヒトにより事実は少しずつ異なる。距離が離れれば離れるほどお互いの差異は異なるのだが、お互いが現在の事象はだれにとっても同じであるなどと思っている。現在であってもそうなのだから、過去のことではほとんど任意に変わりうる。

時というものが存在するかしないかは個人の判断の自由だが、私には運動だけが存在するもののように思える。宇宙の膨張する方向が未来である。これに対して、過去や現在は存在するという考えもあり、未来だけが想像だという考えもある。また未来も現在や過去と同様に存在しているという考え方もある。2番目の考え方が主力ではないだろうか。未来は過去とは全く異なるといった見解を示す人のほうが多そうだからである。


真珠湾攻撃作戦 日本は卑怯な「騙し討ち」ではなかった (光人社NF文庫) [ 森史朗 ]
楽天ブックス
日本は卑怯な「騙し討ち」ではなかった 光人社NF文庫 森史朗 潮書房光人新社シンジュワン コウゲキ


楽天市場





真珠湾の真実 歴史修正主義は何を隠したか (平凡社新書) [ 柴山哲也 ]
楽天ブックス
歴史修正主義は何を隠したか 平凡社新書 柴山哲也 平凡社シンジュワン ノ シンジツ シバヤマ,テツヤ


楽天市場





[真珠湾]の日 (文春文庫) [ 半藤 一利 ]
楽天ブックス
文春文庫 半藤 一利 文藝春秋シンジュワンノヒ ハンドウ カズトシ 発行年月:2003年12月05日


楽天市場





遙かなり真珠湾 山本五十六と参謀・黒島亀人 (祥伝社文庫) [ 阿部牧郎 ]
楽天ブックス
山本五十六と参謀・黒島亀人 祥伝社文庫 阿部牧郎 祥伝社ハルカナリ シンジュワン アベ,マキオ 発行


楽天市場



◆どのみち真実など世の中にあるわけがない。適当な見解のうち勝利したものの意見が歴史の真実となる。裁判において辣腕の弁護士の主張が正義となるのを見てもわかる。真実などどうでもいいのだ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック