太平洋戦争は聖戦だった。

大東亜聖戦碑というのがどこそこにあるそうである。多数派が聖戦だと思っていたなら、聖戦というのが民主主義的である。それを後世のものが手前勝手に解して醜戦などと決めつけるのははなはだ間違っている。何度も言うようだが「昔の人間より今のもののほうが何倍も知っているぞ」という思い上がりというものは非常な誤謬である。今の時代のものは幅広くすべてのものが読み書きができるだけであってそれらを集計したものの総計が上回っているということだけしか断言できはしないのだが、案外そんなこともわからないものが多いというのが現在である。

日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争の現実 (中公新書) [ 吉田 裕 ] - 楽天ブックス
日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争の現実 (中公新書) [ 吉田 裕 ] - 楽天ブックス

白樺派の武者小路実篤は「軍人ほどのバカはいない」と野木将軍の前でいったらしい。それくらい確とした反戦論者であったものが、かの奇襲の一方が伝わるや大喜びしている。ウィキには「反戦思想をかなぐり捨て」などと書かれている。しかし、挑発されたための防衛と受け取ることもできる。ということはこれは自衛のためのやむを得ない戦いだったのであって、戦争などと呼べる代物ではなかったのかもしれない。同じ白樺派の志賀直哉も、内心反対であったに決まっているが、やはり開戦には賛同している。三好達治によると、ルーズベルトは、「脂肪過多デモクラシー大統領」でしかなかった。ルーズベルトに限らず、アメリカの著名大統領をよく調べると、実に人間的に欠陥の多いものが目立つ。こうしたものほど独裁政治を行う。『あれでよくクビにならないものだ』というようなものも不思議と再選されたりしている。

もっとも、当時の米国と日本の対立を、現在の日本と韓国の対立のように考えてみることもできるかもしれない。すると、当時の日本国が当然だと主張していたことは、まったく的外れな手前勝手な解釈だったということも見えてこないわけでもない。明治維新後あれだけ友好的であった米国が急につれなくなったので駄々をこねたとでもいうような解釈もできる。日本にしてもなぜタイやベトナムなどと比べてもよほど信用できない国に対して今まで優遇措置を講じてきたのだろうか。これで等しくアジアはみな平等の位置に戻るのである。当たり前のことに対して駄々をこねている様子が、当時の日本の姿と重なる。

戦後、広島の原爆慰霊碑の「過ちは繰り返しませぬから」の碑文の考案者雑賀氏も、当時は高校の英語教授だったが、開戦の方を耳にするや、廊下に飛び出して「万歳」と叫んだという。我慢できなくなって大げんかを始めてみたが、負けて冷静になってみたらやはり後悔したということだろう。今では何かと暴行を振るった場合が悪いというのが通念となっている。特に傷害を負わせた方が強者である場合はほとんど無条件に罰を負わされるのは強者の場合である。車対歩行者の場合や、若干曖昧になるものの、男性対女性の場合などである。しかし、原因を作った方がより最低という言い回しもできる。そうして原因を先に作ったのはどちらかということになると、「もう我慢の限界に達した」というのは実は米国側であったと見ることもできるが、圧倒的多数の国民が忍耐の限界を超えたとなるとやはり日本側だろうとも思う。精々米国の言い分は「日本は喧嘩のルールを破った」などというものである。喧嘩即ち遊びにはルールが必要だ。それが国際法だが、解釈の仕方では完全な防衛となる。過剰防衛としても、裁判でそうきつい罰を課せられるということもないはずである。


特に軍人などは当初から反戦を唱えていたのは山本五十六くらいのものであって、何時暗殺されるかわからないといわれたたほどだったという。それで海軍首脳部が何度真珠湾奇襲(*)の演習をやっても、米軍に前日に発見されて空母を失うことがわかっていても、強硬に奇襲または強襲することを主張したのであった。開戦すれば100%敗北するのだから、防衛戦争などという主張が通るはずもなく、宣戦布告の時期だけは厳格に守らなければならないとしたのも山本五十六ぐらいのものだったらしい。
(*)1940年11月10日にアレクサンドリアを出発した英空母イラストリアスがソードフィッシュでイタリアのターラント湾を奇襲した事件がモデルになったらしい。翌日の夜奇襲は成功し、3隻の軍艦に損害を与えた。イタリア軍は対空砲火と阻塞気球で対抗したが、イギリス側の損害は第1波12機、第2波9機中、それぞれ1機のみ、合計わずか2機を失っただけであった。こういうことを先進諸国がドンパチやっていれば、『俺もやってみよう』と思うのも当然だ。今振り返って、「とんでもないこと」というのは当たらない。あまり真珠湾奇襲と並行して語られることがないのは、当時はこんなのはそう変なことでもなかったというのを隠す狙いがあるのかもしれない。また問題になっている宣戦布告にしても、日本がもし勝利していたなら恙なく済んでいたはずである。負けてしまったために宣戦布告が必要だったということになっただけである。現在の国際法では、どの国も防衛のための奇襲みたいなことを行って戦争をしている。領空侵犯、領土侵犯といって、いきなり相手を攻撃している。まあ、電波時代だから宣戦布告などしなくても気が付かない方がおかしいともいえる。宣戦布告無しの攻撃が問題されたのは過去に2回しかなかったといってもいいくらいだ。それもドイツや日本が勝っていたなら、防衛のためで問題ないということになっていただろう。それ以前とそれ以降、特に第2次大戦後は全く問題視されていない。

政治というものが厳粛なものだとしたら、戦闘はどちらかというと遊びに近い。それは歴史家ホイジンガも語っていた。規則を伴った闘争は完全な遊びといえるそうだが、流血でやめるとか、殺害したら終わりというような取り決めが特にあったわけでもない。どこかで厳粛な政が面倒になって遊びへと転化していったものが世界大戦なのかもしれない。軍隊を遊びに不可欠なもの、将棋の駒のようなものと考えると、かのF.ベーコンが労働や機械的技術を軽視したというのも頷ける。勤勉な軍人は全く役に立たず、怠け者ほど適しているというのも郁子なるかなである。戦術の根本は遊びだということだ。遊びにはあらかじめ作られた台本が必要である。そうして軍人は遊びを演技する役者だ。戦争を遊びと見ればなるほどと思うところもある。ただし、産業労働者にしても勤勉で働きすぎるというのは不況の原因にもなる。労働においても遊びは重要である。遊ぶための労働である。

開戦の報をラジオで聞いた元首相近衛文麿は、「海軍は間違いなく今朝ハワイを奇襲したはずだ。僕の在任中、山本五十六君を呼んで日米戦の意見を聞いたところ、はじめの1年はどうにか持ちこたえられるが、2年目からは勝算はないと語っていた」といったそうだ。海軍も最近まで知らなかった戦術を何年も前に打ち明けるとは、近頃の噂とは正反対に相当信頼できる首相だったのだろう。

アメリカも東南アジアからはゴムや錫を輸入していたが、日本の場合はそれどころではなかった。どうにも石油が全然不足している。「われわれが日本への石油供給を続けているから日本は東南アジアに侵攻してこないのだ」とルーズベルトは語っていた。戦争の勃発する1年以上も前に、アメリカは日本外交のパープル暗号を解読していた。まるでちょうどいいときに石油輸入を禁止したかのようである。それで上の言葉を額面通り受け取るなら日本に戦争をけしかけたのはルーズベルトだということになる。自分から仕掛ければ当然失脚するからそれは出来なかった。


戦後に編纂された歴史教科書などには、日本政府の侵略戦争の事しか載っていない。確かに維新政府は侵略的であったように見える。確かにそれは事実であったと思うが、平和友好里に発展してきた国家などあまりないだろう。大国となればなおさらだ。

教科書に記載されていることなどをまともに受け取ると、戦争前の日本はまるで無知蒙昧であったかのような印象を受けるだろうが、実際はそんなことはなく、今よりずっと賢明な人物ばかりであっただろう。前にも言ったが、教育水準などは今よりもずっと高かった。ただ数が少なかっただけである。現在よりずっと賢明なもの達が、今よりも愚かしい選択をするというのもおかしい。

それからよくある勘違いが、昔の日本は貧しかったという考え方だ。そうではなくて財産があったから文明開化もできたし、侵略戦争もできたのである。軍隊を養成するにも、まず資本と教育が必要だ。

現在何かと非難の対象となるところが多かった大政翼賛会にしても、一党独裁制とは程遠い複数多党制であった。近衛文麿が作るくらいだから、行き過ぎたポピュリズムの弊害というものがあって、いわば現在のアメリカ帝国主義に似たようなところがあったのかもしれない。

太平洋戦争中と戦後にかけて日本が乱れ、今のように個人的なテロ事件が頻発するようになったのかもしれない。猟奇事件ははるかに減少したというデータは戦後からのものでしかない。その前は軍人が町中を闊歩していたから妙な殺人事件や泥棒は少なかったと考えても別におかしくはない。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント