負ける筈のなかった太平洋戦争?

満州帝国 (河出文庫) [ 太平洋戦争研究会 ] - 楽天ブックス
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そういうことを言っている人がいるが、仮にハワイを攻略して、フィジー、サモアを占領し、米豪の連絡を遮断すれば、ドイツの敗戦というのがなくなる。何しろ、ノルマンディー上陸の時点でもドイツ軍のほうが強力だったのだ。ソ連の頑張りで東部戦線に全勢力の65%もの大軍を釘づけにされていたから負けたようなもので、それ以前にアメリカの力が弱まればそんなことは起こるはずもなかった。



ちょっと考えると、気球を3万メートルくらいの高さまで上げてワイアで係留しておけば、かなり遠方まで船の動きなどつかめたのではないかと思うが、そういうことはやらなかったのだろうか。1931年にピカールが16キロの高さまで上がっているから無人なら30キロくらいまで上がれたかもしれない。カメラで海上の様子を自動撮影して地上までカメラごとエレベーターのようなもので行き来させる技術位なかったのかとも思う。しかし30キロ上がっても650キロほど先が見渡せる程度らしい。ちなみに高度1万メートルだと380キロほど先までわかる計算だ。

世界地図などぼんやり眺めていると、こことここを制圧できていれば滅多に負けるようなこともなかっただろうなどという気にもなる。

もちろん、書籍に記された歴史にどの程度の真実が記載されているかについては大いに疑問で、国家の歴史などにしてもかなりいい加減に歪曲されているに決まっている。むしろけんかを仕掛ける方には何かしら正当な理由があるのが普通で、たいていは喧嘩を売られる方の根性がひん曲がっているという場合も多い。確かにドイツ連邦においては遠く三十年戦争以来の怨みというのがある。最大の仇はフランスであり、フランス軍といえばスイスの傭兵だ。スペインもイタリアも、ヨーロッパじゅうが敵なのだが、イタリアはどうでもよかったらしい。日本にしても、かのパール判事が「無罪」を主張したのはやられた方のゆがみを指摘したものかもしれない。単独になればなるほど被害妄想に近付くだろうが、多数派になるほど精神の異常性は薄まる。戦後教科書的に史実だとされてきたことの多くの部分は後からの解釈で、「そういうことも少しはあった」という程度のものなのだろう。

なぜ山本五十六がハワイ攻略を続けなかったのかというと、最初の奇襲がだまし討ちの格好になり気勢をそがれたからかもしれない。あそこでさらに運よく空母2世くらいを仕留めていれば、2年くらいは安泰であって、もしかしたらいい条件での講和も夢ではなかった。なぜハワイをやらないのかという疑問は海軍内でもしきりと話題になっていたそうである。当時の様相がどうだったのかがわからない、今わかっているのは大方戦勝国の都合の良いように描かれた戦史に過ぎない。果たして大和や武蔵が本当に無用の長物だったのかわからない。敵陣地に対する艦砲射撃が強力だからだ。敵の砲台から攻撃を受けたらどうするのかというと、こちらは遅いといっても船だから動いていてなかなか当たらない。マジノ線でもスターリン戦でも、砲台が役立たずということは前々からわかっていた。20キロも離れたところからの撃ち合いだと弾が届くまでに30秒もかかるから、こちらは大体よけられるのに、向こう側はよけようがないので波による影響を除けば大体命中被害を受ける。まあそういうときは使えるのではないか。爆弾よりも強力だ。しかし大西滝次郎が戦前から主張していたように、超弩級戦艦などより、空母3隻に航空機1千機を生産していたならば全体的にはより好ましい破壊兵器であっただろう。

まあ、爆撃機の水平爆撃の破壊力など大したこともないから、あれで軍需工場が全面的にやられたとも思えないのだが、一般住宅には威力があったことは確かだ。しかし地上砲台はまず無傷だろう。急降下爆撃では重量が少なすぎる。艦砲射撃なら大体40センチ砲の徹甲弾で1トンの重さがある。高価なミサイルなど使っても、よほど速度が速くなければ昔ながらの艦砲射撃にはかなわない。しかも恐ろしく安上がりで砲弾もかなり積める。

ドイツがソ連に侵攻したのも、日本と同様石油を守るためだ。独ソ不可侵条約などを結んでしまったために、石油の90%を依存しているルーマニアに危機が迫ったからだという。日本がアメリカを攻撃したのと似たような理由だ。しかし、不可侵条約を結べばイギリスやフランスは手を引くとみていたのに、宣戦布告などされて効き目がなかった。それでやむをえずせめいった。ここも日本が3国同盟がソ連も含めた4国同盟にでもなれば、アメリカはすぐ手を引くだろうとみていたのと似ている。

ナチス幹部の多くは、日本がソ連ではなくアメリカに対して抗戦することを知ってがっかりしたというが、ヒトラーは逆に大喜びしたという。石油資源なくして攻め入ったところで長続きしないことを知っていたからだろう。日本にとってその資源は蘭印にしかない。しかし、その蘭印への道には米植民地フィリッピンがある。蘭印確保のためには米艦隊を掃討することが不可欠である。だから最初からソ連に侵攻するなどということには無理があるのである。アメリカからの石油供給が立たれたとあっては、シベリア方面からソ連を挟撃し、東西から挟み撃ちにされたソ連を降伏に追いやることなどまるで不可能である。それに、何もドイツをそう信頼していたわけでもなく、むしろ長年敵対関係にあった国であるからそれほど協力するつもりもなかったのかもしれない。それでもドイツは日本にジェット機の設計図を手渡したりしている。意外なのは原爆の研究は日本のほうが進んでいたらしいことだ。

しばしば耳にするのが両者ともに、危険な両面作戦をなぜ選んだのかという意見だ。しかし、ドイツに対しては多少それは当てはまるかもしれないが、それも宣戦布告されたのでやむを得ずという色彩が強く、最初から東方を目指していたとはいえる。日本の場合はひたすら蘭印だ。

緒戦の驀進が単なる僥倖だったとすると、これはサイコロを振って10回も連続して同じ目が出ることに相当するのではないか。それはいかにもおかしいから実力があったとしか思えない。そうすると、初めの真珠湾で3度、4度と攻撃を続けなかったというのも残念な話に思えてくる。攻撃を続けていれば、ハルゼーの空母も発見できたかもしれない。すぐ南にいたという。

ドイツ軍にしても何か突然ツキに見放されたような時期もある。ヒトラーが後から「イタリアの邪魔がなければ」と悔やんだというように、後一か月早くソ連を攻めていればモスクワも占拠できた可能性が大きい(*)。もっともヒトラーの勝手な予定変更で2か月無駄になったのだともいわれている。ドイツ軍が敗れたのは靴のサイズがぴったりで冬用のぶかぶかサイズではなかったからだそうだ。ロシア兵は冬には隙間に藁や新聞紙を詰めて足が凍傷にならないようにしているから進撃ができるというのだ。だから冬になる前なら占拠できたというのである。
(*)スターリンに先を越されないように先制攻撃をかけざるを得なかったのかもしれない。ソ連はこの時期戦線に部隊終結の準備をしていたらしい。戦闘機の発進準備はほぼ完了していたかのようにもみえる。スターリンは懸命にドイツ進行の予定はないと打ち消していたというが、あまりこのことが話題になっていないというところを見ると、信憑性は薄いのだろう。しかし、バルバロッサ作戦の始まる一週間前にソ連のタス通信は「ソ連の戦争準備などというのはバカげた噂だ」と言っていたそうで、ヒトラーにも先を越されてはいけないという思いがあったのかもしれない。バルバロッサ作戦で実際にドイツが投入した戦力は157個師団、320万だという。ソ連の計画では258個師団でドイツに攻め込む計画だったという。オーストラリア侵攻計画で、10個師団出せないから無理と諦めた日本とは大違いである。国力の差というより政治力の差だと思う。世界大戦の始まる前の1938年の時点でドイツの国民総生産高は日本の3倍から4倍に達し、2位のソ連に迫る勢いであったらしい。(経済力に関してはすでにこの時点でアメリカはソ連の倍もあった。日本の10倍近いが、だから10倍強かったというわけでもない。日本の経済力はイタリアよりは少なかったがフランスよりも若干多く、石油・石炭といった天然資源はこの2か国よりは多く有していた。)ナチスの経済政策が如何に巧妙であったかを物語る。一方で総人口といえば、日本の方が若干多く7200万人ほどいたという。勿論当時の経済理論が今のそれとはまるきり異なることも考えなければならないから、現在ナチスの政策をまねたなら真逆に動くことも考えられる。ちょっと鼠小僧みたいなことをやったから人気があったが、日本は金持ちは恣だったから軍人になろうとするものも少なかったのだろう。

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