ソ連工場の疎開


ドイツ軍のバルバロッサ作戦の快進撃を止めて反撃に転じたのは、極東戦車軍がシベリア鉄道で到着したからだなどとしている意見も多いが、そういうことよりも、攻められてから工場を疎開して、それから新たに戦車を生産したようである。モスクワまで250キロほどまで攻め入られてからやっと疎開を始めたが、2か月ほどするとさっそく増産体制に移ったという。そのくらい生産が速くて、一工場につき2、3日で一台という量を作り出していたらしい。1942年度で24500台、一日7台近くになる。アメリカとほぼ同数であるが、ソ連製のもののほうが性能においてはるかに勝っていた。指揮系統が脆弱すぎたために奥まで攻め込まれたのであって、粛清などしなければ不可侵条約など結ぶ必要もなく、ドイツに攻め入られるスキなどなかったという。

ドイツ軍は兵器が優秀だったなどとよく言われていたが、どうも調べてみると、故障は多いし性能にしても今一つ物足りない。作戦指揮がうまいから勝ち進めたのであって、兵器自体が優秀だったとはあまり思えない。ドイツ空軍などはポーランドの旧式戦闘機と戦って、圧倒的な多勢で攻めたのにもかかわらず、撃墜された戦闘機はドイツ側が若干多かったのではないかといわれている。ドイツ軍の練度が低かったせいもあるかと思うが、空軍が完全に制空権を握り、戦車同士の戦闘がなかったにもかかわらず、ドイツはほとんどが旧式だったとはいえ200両ほどの戦車を失い、4万名以上の死傷者を出した。しかし、大勝の陰に隠れて、戦車の能力にも限界があり、歩兵の助けがなければ攻略不可能な地形もあることを十分に学べなかった。あまりにあっけなく敗れたので過小評価され気味だが、ポーランド兵士の士気は高かったものと思う。特に騎兵の勇壮ぶりには、ドイツ軍機械部隊もしばしば擾乱を招いたという。あまりにも時代遅れだっただけだ。それでも、ドイツ軍の初日の攻撃は、何とか撃退したという。その上、ポーランドとしては英仏が進行するのは当然だと踏んでいたので、国境さえ守れば片が付くと思い込んでいたらしい。実際、英仏が侵攻していれば、歴史に残るほどの世界大戦になどなるはずもなかったという。練度のいまだ低いドイツ軍は容易に敗北したに違いないからである。戦力にしても、航空戦力を除けば、ほかのものは案外少なかったのだ。

太平洋戦争において日本は無計画だったなどとよく言われるが、それに輪をかけて無計画だったのがドイツで、ポーランド侵攻以降は大失敗で、成功したのは軍隊を動員することなく領土を獲得できた政治的交渉のうまかった時期だけで、たまたま将軍たちが優秀だったので、フランス占領だけはまあまあうまくいったに過ぎない。およそ戦略目的というものが何もなく、ただ当面の戦闘に勝てば何とかなるという直感で行動していただけにしか見えない。アクロバットだけうまくやって人気を博すが、結果は大概大失敗だった。少数のものを多く生産したので、優れたものがその中にあるのは当然のことで、技術力自体はもともと優れたものがあったが、おかしなことに4発以上の大型戦略爆撃機はなかなか製造しようとはしなかった。なぜドイツのような技術大国が早々にメッサーシュミット型戦略爆撃機というものを開発しようとしなかったのかは少々疑問である。

国旗が紅白を使用している点が同じだからではないが、日本とポーランドは日露戦争以降非常に友好的で、特に陸軍は暗号解読に秀でたポーランド(1932年にはレイエフスキーがエニグマ解読に成功したが、解読してこのざまだから、現在のように情報を取得したものが絶対に優勢というわけではなかったらしい)に学び、ソ連の暗号なども早くから解読していた。1928年(昭和3)年には、張学良政権の暗号を解読して、同政権が南京政府へ基準しようとしていることを突き止めていたそうである。そのポーランドにドイツが侵入したのだから、あまり面白いわけではなかったらしい。

さて、ソ連は緒戦で工場生産地の3分の2を失ったが、ドイツ軍が占領後生産ラインを奪う目的で、工場の爆撃を行わなかった。それでほとんど無傷で生産設備をシベリアに送り届けることが出来たのだという。到着するまでにシベリアでは新しい工場と工員のための快適な住居を建設していたので、到着後すぐに生産が開始された。工場を爆撃しなかったのが誤算だといえばいえる。それに条約破りの奇襲だから、ソ連国民は敵愾心で一致団結して全く逃げようともしなかったという。背後から銃で脅かされてやむなく、といううわさはあるが、あくまでうわさでしかない。

ドイツ軍の快進撃を食い止めたのは「泥将軍」というやつで、ソ連の道路はほとんどが舗装されていなかったので雨の季節になるとぬかるみで進軍できなくなり、仕方なしに冬になって道が固まってから再進撃となったのだが、今度は寒さでやられた。この時にソ連軍から学んだ冬季の軍備作戦が後日功を奏して、アルデンヌのバジルの奇襲で米軍に対するつかの間の大勝利を得る。そのソ連はフィンランドから冬の戦い方を学んだのだった。

この時に大活躍してドイツ軍を苦しめたのが、トラックの荷台に発射装置を取り付けた安上がりのカチューシャというロケット兵器だった。ドイツ軍はロケット工学は我がものと思い込んでいたらしいが、一部のロケット技術に関してはソ連のほうが上手だった。戦闘機にまで機銃の代わりにロケット砲を据え付けていたことも多かったので、ロケット弾を打ち尽くした戦闘機は体当たり攻撃をするしかなかったが、これが実に巧妙であって、体当たりで敵機を撃墜した後無事着陸して生還した機が多かったという。

カチューシャは、「スターリンのオルガン」と呼ばれ、平等を旨とする共産国には好まれた。オルガンというのは発射台の筒がパイプオルガンの形状をしていたためだろうか。ロケットの音が長く響くオルガンのようであったからかもしれない。大砲と比べればずっと静かで高い音だったに違いない。

ロケット砲は固体燃料で、大砲ほど遠方まで飛ばなかったし、命中精度も低かったが、破壊力が大きいので大量に使えば非常な効果を発揮する。コストが安いので10メートルにも満たない間隔で前線近くに並べて配置した。しかもトラックの荷台に連発の発射台があるので弾切れになったらそのまま基地に帰って補充すればいい。

第一次大戦でもそうだが、100年後の現在よりもおそらく動員力、統制力があっただろうということはかなり意外に感じる。仮に10万人程度でも統率の取れた指揮系統があれば、先日の停電騒ぎなどその日のうちに復旧したかもしれないし、工作員が3万人も動員できていれば、壊れた家など10日もすれば完璧に直っていただろう。「民主主義は時間がかかり面倒である」などと言い訳めいていわれることも多いが、こういうことまでのろいのはいただけない。あたかも民主的であることが好ましいことの様に吹聴されているようだが、民主主義は正しい政策ではないことはまず確かなのである。単に、正しい政策が見つからないので仕方なしに民主主義を運営しているに過ぎない。

ついでに改めてダムの貯水量のことを調べてみて、想像していたよりもずっと大きかったことに今更驚いた。なんと一億㎥以上もあるものがざらにある。川幅を10m、深さを5mとしたら1mごとに50㎥、1キロで5万㎥しかない。千キロで5千万㎥だ。これではダムの水を5%緊急放流しても大きな氾濫がおきる。しかも現在はもともと川のあった個所に公園など造って木々を植えているから、氾濫でその樹木が泥水と混ざって堤防に垂直に突き刺さったりする場合があるだろう。照明取付用の鉄柱や車の類も凶器となりそうだ。先のとがったものが当たれば、蟻の一穴をもってどころの話ではない。普段の自動放流が如何にわずかな量であることが推し量れる。かといって放流しないで決壊でもしたら100万人くらい一気に死んでしまう。前に古代は戦争にダムの決壊を大いに利用したと書いたが、実に強力な兵器だ。ただしダムを造るのに30年ほどかかったらしい。大きめのダムを空の状態から満タンにするまでには3か月以上かかるそうである。降水量100ミリの大雨でも一か月分の雨量に過ぎないそうだ。だから事前放水で3割も減量するのは行き過ぎだろう。2割でも多すぎかもしれない。

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